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15. 10. 06

南山城の古寺へ(その2)

浄瑠璃寺の後は岩船寺へ。
800メートルほどです。
小学生が遠足に来ているようで
道をにぎやかに歩いていました。

途中の道にはこうした野仏がまつられて
いました。
Nobotoke

浄瑠璃寺はまだ開けた場所のお寺でしたが
こちらの岩船寺は、山峡のお寺、という感じの
お寺でした。
もう少しして、紅葉が美しい時期になると
観光客がどっと押し寄せるのでしょうが、
中途半端な時期が幸いしたのでしょう。
ほとんど観光客もいなくて
こちらも静かで落ち着いた雰囲気でした。

Gansenji1


岩船寺の塔も美しいたたずまいでした。
山の木々のはざまに見える、というのが
風情があって、、とても良いなぁ、と思いました。
Gansenji2

この塔は国宝です。
それから重要文化財の石の十三重の塔
これはおそらく鎌倉時代あたりのものだと思います。
Gansenji3


岩船寺から今度は加茂のほうへと降りていきました。
道は山道でカーブの連続です。
「カーブの連続だねぇ」と言ったら
「こんなカーブの連続が運転の
し甲斐がってあってええねん」ということでした。
加茂の中心部を突っ切って北に行きます。

このあたりはどこにでもあるような
田舎の田園風景の広がる
のんびりとしたところなのですが
実はこの辺、むかしむかしは
都が置かれていたところだったのです。


天平12年(740年)12月15日聖武天皇の勅命により、
平城京からこの地に都を移したのでした。

741年(天平13年)の9月に左京右京が定められ、
大極殿が平城京から移築され、宮殿が造られていきました。
ですがわずか3年の後、743年(天平15年)の末になると
この京の造営は中止されてしまいます。

そうして聖武天皇は近江紫香楽宮に移ります。
742年(天平14)秋には近江国で宮の建設が始まり、
さらに744年(天平16年)2月に、穂積老を留守官に任じて
難波京に遷都、さらに745年(天平17年)5月に
都は平城京に戻されることになりました。

この時期、聖武さん、ほいほいと都をあっちこっち
遷しているんです。この理由にはいくつか説がありまして。

東大寺の大仏を作るにあたって、適地としていろいろな場所を
考えていた、という説もありますし、大仏の造営に
あたって、どういう方法で作っていけばよいのか
ということを実際に見るため、という説もあります。

事実、この加茂のあたりには木津川という川が
流れておりまして、この水運を利用して大仏殿の
建物の木材を運んでいるのです。

はてさて。理由はどこにあるのでしょうね。

田園の中を突っ切り、今度は細い道をうねうねと
上がる道を走ります。
さっきまで時速160キロで走っていた車ですが
今度はものすごい急坂をえちらおっちら登って
いってくれています。

急こう配の道を上ること15分で
着いたのが海住山寺(かいじゅうせんじ)
というお寺です。
お寺の本堂は改築されて新しいのですが、、
Img_9582

五重塔は国宝です。 
Img_9581

境内からは木々の葉の間から、かつての恭仁京のあたりが
見えました。 田畑と住宅が混在して、彼方には加茂の市街地も
見えて、かつての宮があったことを考えなければ、どこにでも
あるような風景の場所なのですが、、、
何せ宮の置かれた時期だって数年でしかありませんし
できかけのところで、はいさようなら、と言って
紫香楽宮に行ってしまいましたから、、、
十分な建物は建っていなかったとは思いますが。

「そろそろお昼やし、おなかが減ったわ」と友達が
言うので、山を降りることにしました。
加茂の駅のところまで戻り、
ラーメン殿に行くことにしました。
このお店は、大津の雄琴にあるお店の唯一の
支店なのだそうですが、、。
Tono1

ここではスタミナそば、というのにいたしました。
運ばれてきたラーメンは、まっかっか。
インパクトは大きいですね。
Tono2

これは韓国の唐辛子なのですよ。
唐辛子は「こちゅ」といいます。
そうこちゅじゃんの「こちゅ」です。
見た目はまっ赤で辛そうですが、
そう大したことはありません。
その赤い粉の下には、天下一品の
ラーメンに似た、どろっとした感じの
スープとラーメンが入っていました。

さて。おなかもいっぱいになりましたので、
再び車で出発です。


(今日聴いた音楽 Emerson, Lake & Palmer
Mussorgsky - Pictures At An Exhibition
展覧会の絵のロック版と言ったらいいのでしょうか?
音源はLPレコード はじめて聞いたのは、高校の
2年の時だったように思います。
彼らの演奏は抒情的で、メロディーが美しいのです。)

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Comments

 その恭仁京で,朝賀の時に使われた宝幢を立てる穴が朝堂院の敷地に見つかったそうです。
 短い期間とはいえ,ちゃんと儀式はやってたんですねえ・・・

 それはともかく,完全な新築ではなく移築であったにしても,あれだけ転々としてたら相当な費用がかかったことは間違いないわけで・・・誰か聖武さんを止める人はいなかったんかい!と思ってしまったり。

 こちゅを干すのはお隣の農村風物詩ですねえ。梅の天日干しと重ならないではないけど,鮮やかな赤と青天の印象的です。

Posted by: Ikuno Hiroshi | 15. 10. 08 at 오후 11:44

---Ikuno Hiroshiさん
もうこの時期、聖武さん転々と都を移して
いますねぇ。造っちゃやめてかわり
造っちゃやめてかわり、もうその
くりかえしですもんね。まるで
飛鳥時代を彷彿とさせるような
転居具合です。
恭仁宮にしろ、紫香楽宮にしろ、
宮を移して、どの程度そこに居ようと
考えていたのでしょうね。その意識に
よって、建物だって変わってきますよね。
 飛鳥板葺宮とかは、「板葺」だったという
ことですから、そんな程度のものだった
のでしょうかね。
 やはり、「あめのしたしらしめししすめらみこと」は、もろもろの儀礼を
つかさどる存在であったですから、
あめつち、ほとけ、などなどに対して
儀礼をおろそかにすることはなかった、
のでしょうね。

Posted by: 謙介 | 15. 10. 09 at 오전 8:16

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