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15. 09. 29

月に群雲

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昨日はお月見をしました。
雲がかかってその雲の間を月の輝きが淡くなったり、
皓皓と照り渡ったり、を繰り返すを眺めていると
飽きませんでした。

前回も書きましたけれども、月を眺めていると
過去のことがあれやこれやと思い浮かびます。

京都にいる時、夜遅くなってから自転車をこいで
嵯峨の辺をゆっくりと走る、ということを
よくやっていました。住んでいたのは右京区の
常盤でした。双ヶ岡の西になります。

平安時代の人の考えで言うと
双ヶ岡から西は「嵯峨野」ということでしたから
自分の住んでいたところも嵯峨野、と言えば
嵯峨野ではあったのですが。 でもあの時期
右京区が農村から都市化するさなかで、
昭和40年代まではのんびりとした風景だった
常盤の辺も、何時の間にやら、マンションや
住宅が立ち並んで、都市化していきました。

今では古都保全法によって厳しく建築を
制限されている大沢の池とか広沢の池
嵐山近辺しか、嵯峨野の面影を残すところは
無くなってしまいました。

その嵐山まで、自転車をゆっくりとこぐと
25分くらいだったですかね。
夜中にふらふらとよく出歩いていました。

春は夜桜や菜の花が咲いている畑の
彼方に月がぽっかりと浮かんでいましたし、

夏は大沢の池に月が映っているのを
見に行ったりしました。

秋は嵐山の渡月橋の上から月を見ました。

冬は大徳寺近くの建勲神社前にいた
友達の家を出たときに見た雪の中の
月。

それぞれ季節によって月の表情、場の空気
みんな違っていて千変万化のお月見が
できました。

あのころはのんびりと月を眺めているいろなことを
思う、などという余裕があったなぁ、とか。(笑)


忙しいと言えば、平安時代の貴族です。
時々ものすごく誤解をしている人がいます。

平安時代の貴族は毎日仕事もせずに
やれ和歌の会だの、管弦の遊びだの
ばかりしていた、ということを言っている人がいますが
あれは大きな嘘です。

平安貴族の日記を読んでみると
御所の中でさまざまな案件の審議があって
夜中近くまでそういう政治の案件の
討議とか、話し合いがあった、と記されて
います。徹夜の仕事もあったりして 
実際は相当にハードな仕事を
していました。 どうして遊びの記事が
目立つのか、と言えば、そういう貴族の生活を
記したものが枕草子であったり源氏物語などから見た
貴族の生活でしかないからです。

女性は政治の現場にはいませんでした。
だからそういう政治闘争だの御所内の審議が
どうなっているのか、ということは一切知りませんでした。
興味もなかったと思いますし、、。
だから休みのときの貴族の男の描写しか
できませんでした。

そういう仕事の場を離れた
今風に言えばデートのときの男のことしか
知らなかったですからね。

そこのところを知らないで、源氏物語とか
枕草子に書かれた貴族像が平安貴族の日常生活
と思ってはいけません。
あれは「そういうこともあったけれども、
それはあくまで一部でしかない」
ということなのです。


でもまぁ、いにしえびとが月をめでたのは確かなことですし、、。

少しは月を眺めたりする余裕が欲しいなぁ、と思います。

そういうことをできるような毎日が
本当の意味で豊かな生活、というのではないかなぁ、と
昨晩、久しぶりに月を眺めながらそんなことを
思ったのでした。

(今日聴いた音楽 さよなら夏の日 歌山下達郎
 1991年発売ですが、謙介は1995年発売の
 ベストアルバム TREASURES で聴きました。)

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