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15. 08. 18

祈りの対象と美術品と

謙介、大学の時に、博物館学の授業を
とっていました。

はじめての時間に行ったら
ほとんどが史学科の人ばっかりで
国文科は謙介だけでした。

あのころはねぇ、太ってたから
(102キロあったの。今は60キロくらい)
いっそお前が仏さんの代わりに
ガラスケースの中に入れ、とか言われたり、、。
(史学科の奴らって嫌いだ)

それでも展示の仕方とか、そのほか
いろいろなノウハウまで実際に習って
(結局その学問が直接的には役には立たなかったのですが
博物館に行ったときに、人の動線とか展示の仕方を
見たりして、いまでもその習ったことは結構役に立っています。)

ただその時以来ずーっと大きな「問い」が
生まれて、、、。その問いは今も解決できないまま
延々と持ち越しになっています、

実は去年高野山に行ったときに少し書いたことが
あるのですが、、。

あの時はこんなふうに書きました。

 
 基本的に仏像は祈りの対象なのだから
 そのお寺で安置された状態のところに行って参拝したり
 拝見してこそ、本当のその意味が分かる、というものだと
 思うんです。

 確かに、美術館のガラスケースの中で見たら
 お寺では見えないような光背のさらに後ろとか、
 近くまで寄れますから、細かい細工とか
 分かるかもしれません。

 でも、昔の人が信仰したのと同じ視点で
 仏像を拝む、お寺独特の雰囲気、
 その暗さ、状態の中で拝見する、

 仏像はお寺での礼拝のために作られたのですから
 一番その「ために」に合った形で拝見するのが
 いいんじゃないかなぁ、と思うんです。

 美術館への出陳という場で見るのは、なんだかデパートの
 うまいもの大会に行って、よその地方の名物を
 買って食べるのと同じような気がします。

 よその名物だってデパートで買ってくるんじゃなくて
 実際はその土地に行って
 その地方の人たちの方言とか空気を感じながら
 食べるのが一番だと思うんですよね。

 近鉄のホームの売店とかデパートの全国うまいもの大会で
 赤福を売っていたのを買ってきたとしても
 伊勢内宮の参道の赤福のお店で食べるのと
 売店で買ったのを家で食べるのではどこか違うように思います。

 赤福と仏像を一緒にしてはいけませんけれども、
 仏像というものはやはり本来は美術館とか博物館じゃなくて
 その所蔵されているお寺に行ってみるのが
 一番じゃないか、って謙介は思うんですよ。

美術館や博物館に行けば当たり前のように
仏像とか、曼荼羅の掛図とか、紙に書かれた仏様とか
が展示されています。

でもね、そういうものは、本当は信仰の対象としての
ものだったわけですよね。
仏像が美術館や博物館で展観されるという
記事を見るたび謙介はとても複雑な気持ちになります。


ずいぶん前に学習院の院長さんをされた哲学者の
磯部先生も↓こんなふうにお書きです。

 かつては堂塔伽藍の奥深く、静かに鎮座して
 信者たちの敬虔な礼拝を受けていたであろうし、
 現在でも本来はそうあるべきであろう。それが
 いつのまにか信仰の世界から引きはなされて
 このような博物館で、単なる美術品ないし歴史的
 遺物として、信仰には無縁な民衆の鑑賞の対象に
 なり下がってしまった。これは一体どういうことか。
 これでいいのか。 これが当たり前のことなのか。
         
           磯部忠正 『日本人の信仰心』

謙介、博物館とか美術館で仏像を見るのは
正直言って好きではありません。

だからどこそこの美術館とか博物館で
仏像の展観がありますよ、という告知が
あっても、簡単にすぐに行こうか、という気には
なれないのです。


展観するにあたって仏さまの魂を抜いている、
ということも当然知ってはいますけれども、
こうした信仰の対象の諸仏を
遠慮会釈なく、分析的に見ていいものか、
という気がいつもするのです。

割り切れない思いを抱えつつ、それでも
どうしても、という時には見に行きはしますけれども
やはりどこかで割り切れない思い、というのはあります。


法隆寺の宝物館でもそれを見たのですが
時々、そうしたお像の前に小銭が置かれていることが
あります。それはやはりそうした展示されている仏像を
信仰の対象として拝した人がいる、と
いうことなのだと思います。

このブログをご覧のみなさまはいかがでしょうか?
展観されているのだから、と、割り切ってご覧でしょうか。 
それとも、そうした展観にためらいがおありでしょうか。

この葛藤はおそらくこれからもずーっと
続くのだろうと思います。

はてさて。
どう考えたらいいものなのでしょう。

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Comments

 ・・・そうですねえ・・・僕も正直,葛藤を感じなくはないです。
 でも,「ここまでお出でいただいたことで,お姿に接するご縁ができました,ありがとうございます」と思って観賞させてもらいます。

 ただ他方で,現世利益を求めての「偶像崇拝」というのもどうだかなぁ・・・と思ったりもします。

Posted by: Ikuno Hiroshi | 15. 08. 20 at 오전 1:02

謙介さんほど深くは考えておりませんが、ときどき「良いのかな?」と思うことがありました。
こじつけ的な発想ですが、仏像は「神仏の姿を具現化して、人々に識らしめるために作られたもの」という認識を持っておりまして、見てもらえてなんぼ!と考えておりました。
ですから、寺院の中に安置されているものも、博物館などで展示されるのも、信仰心や信仰への関心をもたせる手段と捉えています。
そもそも仏像(広く言えば仏教)に興味がなければ、たとえ博物館であっても見学のために足を運ぶことはないと思います。
仏教が偶像崇拝を認めている以上、直接の信仰対象以外にも偶像が利用されることはあり得ると思っています。
無神論ではないにしても、最近の日本には無宗教(特定の信仰をもたない)が増えていると言われていますので、美術館や博物館の展示が信仰への誘いになるのか、単なるアートで終わるのかは判断が難しいです。
最近では人々の感心事が増えすぎて、しかも世俗的なことばかりが大勢を占めているかなで、信仰心がどんどん日常から離れていってしまうと、神仏の像は本当にただのアートになってしまうと思います。
「マリア像やキリスト像」と「天の父なる神」をいう二つを出してみますと、本来の信仰の対象は「天の父なる神」で、その叡智や導きを具現化するために「マリア像やキリスト像」が作られたすれば、確かに神々しく畏れ多い仏像ではありますが、仏教として重要なのはその像の後ろ(上?)にあるものかと思います。
いろいろ書きましたが、私の住んでいる地域は偶像崇拝がなく、自然物などの形のないものを信仰対象にしていますので、神仏は神社仏閣にありましても私にはアートの印象が強いです(苦笑)。
考えが浅いので、きちんとした自分の考えや思いが書けません、すみません。

Posted by: タウリ | 15. 08. 20 at 오전 8:58

---Ikuno Hiroshiさん
Ikunoさんのお話を伺って
改めて考えたのですが、謙介もやはり、ご縁、ということで拝見させていただくの、だ
なぁ、と思いました。
前にこちらで唐招提寺の鑑真和上像の
展覧会があったのです。 普段であれば
限られた日に奈良の西ノ京に行って
お堂の中でようやっと拝める尊像が
四国辺の県立美術館まではるばるお越しに
なって、しかも四方八方からじろじろ
観られて、、、とあの時も拝見しながら
内心忸怩たるものがありました。
そんなことでまだしばらく悩みながら
拝見する、というようなことに
なりそうです。

Posted by: 謙介 | 15. 08. 20 at 오후 7:42

---タウリさん
お話、興味深く拝読しました。
おそらく大抵の人は、そんなふうに
礼拝の対象ということと美術品ということの
あいだに垣根を作っていないのかなぁ、と
思います。同じ出張展示、と言われても
善光寺の御本尊のように「出開帳」です
(前立本尊の出張公開)と言われたら
お賽銭を投げいれて礼拝するのでしょうし
美術品としての展示、と言われたら
そんなものか、と思って展覧会に
行くのでしょう。何もそこまで、
という気持ちの人がほとんどかもしれません。
そうですよね。最近はお寺女子
という方々がおいでのようで、
その人にお伺いすると、どこそこの
お寺にイケメンの仏様がいる、とか
言う話になったりしますし、、
もう礼拝とかじゃなくて
アートになっているのだなぁ
と思ったりしました。
沖縄の信仰とも併せた本当に丁寧なお話、
ありがとうございました。
自分自身ももうちょっと考えてみたいと
思います。

Posted by: 謙介 | 15. 08. 20 at 오후 7:51

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