風立ちぬ
うちのブログ、読書感想文で検索して来る方が
もう毎日毎日どんどん増えてすごいことに
なっているのですが、、、。
今年の特徴として、
「ファーブル昆虫記」以外に、
「火垂るの墓」の「読書感想文」
という検索で来る人がすごく多いことです。
あれ、ジブ○のあの映画を見て、
感想文を書こうと思った人がいた、
ということなんでしょうかね。
結論から言うと
火垂るの墓で読書感想文、っていうのは
とてもしんどいです。
決しておすすめはいたしません。
どうして? って
そんなもの、新潮文庫に入っている
野坂さんの原作を読んだらわかります。
あのね、野坂さんの小説の文体っていうのは
江戸時代の八文字屋本系統の浮世草子が
下敷きになっていて、なかなか独特な文体
なのです。その一風変わった文体が
独特だったので、評価を受けた、という部分も
あるくらいでして。
謙介、野坂さんの作品をはじめて読んだのは
高校の時でした。「アメリカひじき」を
読んだと思います。続いて「エロ事師たち」、を読んで
「火垂るの墓」を読みましたけど
最初読んだ感想が「なんだこれは」でした。
自分の場合は読みこなすのに時間がかかりました。
火垂るの墓で感想文を書くのについて
決してお止めはしませんが、
まずはその文体をあなたが読みこなせるかどうか、
ということだと思います。
感想文を書くということは、
その本を読みこなせて、
あなたはこの作品に強い感銘を受けた
ということになったかどうか、ということです。
それでも私はこの小説に強い衝撃を受けた。
読む前と読んだ後では、自分の気持ちが
大きく変化をした、物の見方もすっかり変わった
というのであれば、それで感想文を
書いたらいいと思います。
映画を見て、今年は戦後70年だから
火垂るの墓で書こう! とか思う人が
いるのかもしれませんが、
あくまで読書感想文なのですから
感想文の対象は映画の作品でなくて、
野坂さんの書いた小説のほうですよ。
老婆心ながら。
と、まぁ
野坂さんは措いておいて。
謙介、最近はずーっと堀辰雄を読んでおります。
上の本は 堀辰雄 妻への手紙 新潮文庫
1979年の17刷のもの ただし現在は絶版
堀多恵子さんの文章をはじめて読んだのは
高校の時の国語の教科書だった、と思います。
教科書に多恵子さんの書いたエッセイが収録されていたのです。
その関連で堀辰雄の作品もその時期、
集中的に読むことになりました。
謙介が一番良くいろいろな本を読んだのは、高校の時でした。
もうね、同時進行で3冊くらい一度に読んでいました。
2日から3日で1冊本を読んでいた記憶があります。
1年間で、300冊くらいは読んでいたと思います。
しかも、高橋和巳なんて、大好きで全作品読んだりしていました。
大学に行って、最初近現代で卒論を書きたい、
高橋和巳で卒論を書きたい、って言ったら
国文法の武〇先生に真顔で「やめなはれ」と言われました。
その前に謙介、田辺聖〇で、卒論を書きたい、
と言ってドクターの院生から
「アホ」と言われておりました。
「生きている作家で卒論を書いてはいけないのだ」
ということを知らなかったのです。
その作家が亡くなって作品がすべて出そろってからで
ないと作品を客観的に見ることはできないからです。
文学研究の鉄則のようなことすら知らなかったのですから
アホ、と言われて当然だったと思います。
で、その次に考えたのが高橋和巳でした。
高橋和巳は1971年に亡くなった作家でしたから
そういう意味ではオッケーのはずでした。
でも先生から「ほかの人にしときよし」と言われました。
後から分かったのは高橋和巳と武〇先生、
友達だったそうで、(院のドクターのその先輩が
後からこっそりと二人の関係を教えてくれました。)
そういう中で友達ならではのいろいろな
葛藤とか、いろいろと口に出しては言えないような
ことどもがお二人の間にはあったのだ、と想像しました。
そうこうしているうちに謙介の興味の対象は
近現代から真逆の上代文学に行ってしまい、、、。
記紀歌謡・万葉集のほうに行くわけですが。
高校の時と違って
大学に入ったら、だんだん専門の本を読む必要が
出てきました。そういうことで、
いろいろな文学書を読んでいたのが
自然、研究書とか資料を読む
というふうに変わっていきました。
でも、そんな中でも
堀辰雄の文章は好きでした。
小説も好きだったし、
大和路・信濃路 というようなエッセイも。
しばらく近現代文学から遠ざかっていた時
3回生の時だったか、美術史の授業を取りました。
担当は森暢先生。
森先生が撮った大量のスライドを見せていただきながら
(それは、土器だったり、仏像だったり、襖絵だったり
水墨画だったりしたのだけど)先生の解説を聞く
というものでした。
いつも先生は風呂敷包みを抱えて教室に
ひょっこりとあらわれるのでした。
そうして助手の人が用意していた映写機に
そのスライドをセットすると、
今日の作品のテーマ、見どころをまず説明したあと
照明を消してスライドをスクリーンに映しはじめるのです。
いつだったか、授業が始まる前に
横の席に座っていたHくんが
「森先生、堀辰雄と親しかったんだって」という
話をしてくれました。
「え? ホリタツオ、ってあの「かぜたちぬ」の
ホリタツオ?」
「そうそう」
「ほんまか? 」
「そやかてエッセイの中に出てきはってんで。
今日は森くんと法隆寺に行ったとか。ほれ、ここに
書いたある」と言って、大和路信濃路の文庫本だかを
見せてくれたことがありました。
註があって、確かにこの「森君」というのは
美術史家の森暢さんと書いてありました。
堀辰雄の大和路の寺や仏像を書いた
エッセイの向こうに森先生の授業が
思い出されて、そして授業の間に抜けて
遊びに行った奈良のそこここの風景が
よみがえってくるのです。
そうしてもう一度辰雄の文章に戻って
気がつくと、本を拡げている自分に気づきます。
こういう時間の旅行もまた読書の愉しみでは
ないかと思うのです。
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