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15. 06. 18

もういちど「ほうかな」方面への旅(その2)

再び大三島からしまなみ海道を経て、
尾道に行きます。

尾道からバイパスで福山西まで行って
そこから山陽自動車道を西に高屋ジャンクションまで。
ここから今年の3月に全線開通した呉道路で
呉まで。(実際は呉の東隣の広までですが)

呉は街の背後がすべて山ですから
(鎌倉みたいな場所。)街中に入ろうとすると必ず
トンネルがあります。

休山トンネルを越えると呉の中心市街地です。
呉の市内で和食の店と探したのですが
なるべく車に乗ったり降りたり、とか歩く距離を
少なくしようと思って、目的地の横のショッピングモールの
駐車場に車をとめて、その中でお昼を
食べて、そこから目的地に行こうと思いました。


お昼を食べて、ショッピングモールの南玄関を出ると
もうすぐそこに「これ↓」が目に入ってきました。
オヤジも「おっきいなぁ」と驚いていましたが、
謙介ももう何度もこれを見ていますが
実際見るたびにでかい、と思います。
Kure
おまけに横がショッピングモールだったり駐車場だったり
して、ごく日常の場所なのですが、そこにこんなでかい潜水艦が
どん、と置いてあるって、、、やはりすごいことだと思います。

謙介はもう3度目ですが
両親ははじめてなので
やはり相当びっくりしていました。
いきなり日常の中にこんなのがあるし。
1階はこの建物の全体の案内があって
2階は戦後から現在までの海上自衛隊の歩み
が資料展示とともにありました。
3階は潜水艦について。
Kujira1

それから屋外の潜水艦に
入れるようになっています。 
これは潜水艦の操舵室。
Kujira2

オフクロは潜水艦なんて興味がないんじゃないかなぁ
と思っていましたら、
全然そんなことはなくて、どんどん潜水艦の中まで入って行って
操舵室まで行って、潜望鏡を操作して、外の風景を
見るというところまでやったので、びっくりしてしまいました。

3階には海上自衛隊の隊員のおにいさんが交替で詰めていて
いろいろな質問に答えてくれるコーナーがあります。
謙介が先にオヤジを潜水艦の中に一緒に行っている間に
オフクロはそこに行って海上自衛官のおにいさんにいろいろと
質問したらしいです。

潜水艦を見て、今度は道を隔てた大和ミュージアムへ。
Yamato4
移動距離100メートルの範囲で、レストラン、見学場所が
全部コンパクトにまとまっているのがうれしいです。
謙介なら前に来たときだって呉の街中、3キロくらい歩いたのですが
平気でしたがやはり80歳を超えた二人がいますから、、
なるべく歩く距離は少なく、移動もエレベーターがあるか
エスカレーターがあるか、ということを考えます。

この日も結構な人が来館していて
館内は見学者も多かったです。
Yamato2

これが人間魚雷。
Yamato3
こうして実物を見ると改めて戦争というものの狂気が
身に迫ってくるように思います。

うちのオヤジやオフクロの何歳か上の
世代の人たちがこうした兵器に乗って
帰らぬ人となりました。
うちの両親ともB29の爆撃の中を
逃げまどって何とか助かった経験を持っています。
「戦争は何もかもなくしてしまう」
空襲で無一物になってしまった経験のある
オフクロがこの人間魚雷を見て、ポツリと
言った言葉がとても印象的でした。


国家というものは黙っていたら国民の権利を
どんどん奪っていきます。そこで、ここまで
国民の権利を守ります。という国家と国民の間の
明文化された歯止めが憲法のはずです。

憲法を改正といいながら実際はそういう歯止めをどんどん
あいまいにしていってわれわれの権利を
いい加減なものにしていこうとしているのではないのでしょうか。

憲法を変えるということについて、
国民の意識を問うとしたら現状ではハードルが高いものだから、
国民に意思を聞くこともせずに、なし崩しのように
小手先だけで憲法解釈を変えていっているんじゃないですかね。

今の首相は戦争をしない平和国家の道を歩む
と言っていますけれども、あの人が未来永劫
首相をするわけでもありません。

時の政権がちょっとずつちょっとずつ国民の権利を
奪っていって、最終的に国家が国民に対して
なんでもできるようにしていくのでは、という
疑惑を謙介は持っています。

過去の歴史を見たらいくらでも
そんな例はあります。

大正デモクラシーと言っていた国が
どうして日中戦争から太平洋戦争へとなだれこんでいったのか。

確かに周辺国はああいうふうです。


謙介自身、韓国にも中国にも住みましたから
彼らの考え方とか意識は実感としてわかります。

ソウルにいたときには、もう本当にうるさく領土問題について
言ってくるヤツがいたので、こちらも
竹島のことを強硬に言って喧嘩もずいぶんしました。
腹の立つことだって山ほど経験しました。

蘇州にいたときには
人民政府様の力というものってこういうものなのか
というのを実際に見たり聞いたりしました。
人民政府様が太陽は西からのぼる、と言えば
西からのぼるのです。

まったくなぁ、と思います。
防衛するための武力は必要と思います。

ですが、集団的自衛権は別の問題です。

そういうと大抵平和ボケって言う人がいるんですが、、。

ならば平和ボケって言ってる人に、
「じゃああなたは戦争で死ぬ覚悟はできているのですね」と
謙介は聞いてみたいのです。

ひとたび戦争がはじまってしまったら
戦闘員だから非戦闘員だから、とか
戦闘地域だから、非戦闘地域だから、
などという配慮を攻撃側がするとも思えない。


現に今だって誤爆とか言って
普通の住民が戦闘の犠牲になって亡くなっている
ケースなんて普通にあるではありませんか。


一昨年から去年にかけて両親のライフヒストリーを
まとめましたが、その過程で、両親の戦争中の生活も
聞くことができました。

戦火の中を逃げ、家財はすべて空襲で焼けて、
そのうえ残った家財でさえ全部盗まれたこと。

単にアメリカの空襲とか爆撃、ということだけでなくて
同じ日本人でさえ、生き死にがかかったら
略奪とか泥棒とかを平気でやるような人間になることを
オフクロは身をもって知ったのです。

去年二人のライフヒストリーをまとめながら
改めて戦争について深く考えました。

そしてこの時期に呉と言う場所に再び来て、
改めて戦争と平和ということについて
いろいろと考えることができました。


両親も久しぶりにこういう戦争の遺品を数多く見て
思い出すことが多々あったのでしょう。
呉からこの日の宿泊地の尾道まで
やはりそうした戦争の時の話をいろいろと
聞きました。前に1度聞いた話もあったし
今回はじめて聞くこともあったりで
呉から尾道までの1時間ちょっとが
あっという間でした。

今日はここまでにします。


(今日聴いた音楽 I Girasoli  映画ひまわりのテーマ
 ヘンリー・マンシーニ 1970年 )

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