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15. 06. 25

「カカムリ」は来たけれど(今日も長め)

えー、今日は6.25(ユ・ギオ)でございますので
「かの国」のお話です。

(6月25日は朝鮮戦争のはじまった日です。
韓国では朝鮮戦争のことを今日の日付から、ユギオと
いう言い方をよくします )

ソウルの姉に「ウエギョブチャンクワン」(外交部長官)
が日本に来たよー、ってメールしたら
「あ、カカムリね」だって。

「カカムリだなんてあなた、
ヌナ(おねいさん)そんなことを
言ったらだめですよ」と言ったら、
「じゃあテムリね」だって。


すごいわー。


ちなみに韓国語のカカムリもテムリも「ハゲ」の意味です。
ソウルの姉なんて、仏教の尼さんですから頭を剃っています。

韓国の尼さんや坊さんは怖いのです。
坊さん同士、どつきあいとっくみあいの喧嘩をすることもよくあります。

それでもっとすごいのは、それがテレビの
ニュースでしょっちゅう流れることです。

忠清北道のどこそこのお寺で
坊さん同士の抗争事件がありました、とか。

謙介がいた時だって、KBSのニュースで
そんなのが流れているの何度も見ましたもん。

一度見たのは、泡消火器の栓を開けて対立相手の坊さんに
かけているところです。で、そのあと、目が点になったのは
その空になった消火器(金属製)を相手方の坊さんに
投げつけていたのです。

日本の坊さんだって、まぁ
派閥抗争がないとはいいません(笑)。

しかしおそらくこんなふうに直截的な行動に走ったりは
しないと思います。


韓国の坊さん尼さんは怖いです。
恐い上に頭を剃っているせいか、もう天下無敵です。

外交部長官の頭髪に関するコメントにしても
何のためらいもありません。

「はげ」の一言で片づけてしまいます。


まぁそういうことで、
尹チャングワンの努力というのか
糊塗というのか、
そんな行為が一挙に空しくなるような
コメントだったわけでございます。

でもさぁ、おねいさんは宗教者なんだからさー、
もっと言動を考えないといけない、
って謙介は思うぞ。


でも本人のために言っておきますが、
口は悪いですが、日本の坊さんのように
肉とか魚とかお酒とかは全然摂りません。

前に来日した時に、すし屋に行ったら
(成り行きで)おねいさんはかっぱ巻きしか
食べなかったです。
そういうところはえらいとおもいますけど。

さて。


このところ忙しくてなかなか更新ができなかったあいだに、
いろいろ(ごちゃごちゃと)日韓関係でありましたね。


うちのブログの右側のカテゴリーのうち
「はんとうもんだい」というのが、
すべて「こりあんぺにんしゅら」関連のことですが、、。
われながらずいぶんあれこれと書いてきたなぁ、と思います。
でも、本当にネタは尽きないというのか、
いくらでもやってくれますね。


最近、「韓国疲れ」というような
ことばがあるんだとか
聞きました。


ですが謙介はこんなことで疲れていてどうするよ、と
思います。

外国との付き合いなんてこれが普通ですってば。

言葉も違う、文化も違う、思考回路も違う、したがって考え方も違う
そんな人を相手に、どういうふうにやっていくのか。

国際化というのは、そういったこちらの論理の通じない人間と
いかに付き合っていくのか、ということだと思いますけどね。

なんだか国際、ということ、ことに韓国とか中国となったら
すぐにどっちが勝ったか負けたか、とか
世界中で何位なのか、とか言う人が多いですが、
外国との付き合いなんて
スポーツじゃないんですから、勝ち負けじゃないと思うし
そんなことを一々気にしてもなぁ、
って思います。

韓国人はよく日本を引き合いに出して
日本に比べてどうだとかこうだとか言いますけど、
あんなもの実のところは「日本がうらやましくして
仕方がない」のです。いちいち気になっているから
あんなふうに言ってるのです。

日本に対してすごく大きなコンプレックスがあって、
それが陰に陽に作用して
あんなふうな言動となっているのでは、と
謙介彼らと付き合ってきて実感しています。

そんな連中のコンプレックスに対抗して、
ワーワー言ったって
仕方がないじゃないか、と思うんですけどね。


謙介がソウルに住んでいたころ、
毎週水曜日になると、中学洞(チュンハクトン)の
日本国大使館の前で
ハルモニ(おばあさん)が演説をはじめるのでした。


そのおばあさんは、「私は第二次世界大戦の時に
従軍慰安婦として日本に強制連行されて
日本軍の兵士と性行為をさせられた」と
演説をしていました。

中学洞はその表側の太平路(テビョンノ)とは
全く違って裏通りの地味な通りです。
ちなみにメインストリートの世宗大路
(以前は太平路 テビョンノと言ってたんですけど)
側には美国(アメリカ)大使館があります。

(今度そのじみーな日本大使館が建て直されることに
なって(だってもう古いもん)一時移転するのだそうです。)


日本国大使館のある中学洞のその通りは
地味とはいえ、ソウルの中心部ですから
やはりそこそこの人通りもあるし、今では
コンビニもできたりしています。
そこで、毎週水曜になると、おばあさんが
演説をしていました。

でも、当時のソウルの市民の反応は
「バカじゃないの? 」ということでした。
「あんなの、補償の金目当てだろ」
という声さえも聴きました。

それが証拠に道行く人は
どんどん通り過ぎるばかりで
誰もハルモニの演説なんか
聞いてはいませんでした。
ハルモニが一人で向かいの地味な黄土色の
直方体のビルに向かって
演説していただけでした。

謙介も非常に疑わしく思いました。
なぜなら、そのおばあさん、済州島の人、
というのに、済州島の方言ではなくて
ソウルの言葉で話をしていましたから。

ただ、そのハルモニの演説をいつも真っ先に
報道していたのが日本のTB○でした。

なぜなら当時は、TB○のソウル支局が
日本大使館の真ん前のビルの2階にありましたから
そんなもの、自分の部屋からカメラを回したら
それでよかったわけです。

そして日本の新聞に従軍慰安婦の記事が出たときから
謙介はずっとそのことを疑わしく思っていました。

そのためにはまず済州島の近代史を
知っておかないといけません。

実は済州島というところは、朝鮮半島本土からは
いつも非常な差別を受けてきた場所なのです。

21世紀の今日でも
いざ、結婚寸前にまで行ったのに、両親が
「済州島の人とはダメ」ということで
結婚が破談になった、という
例もよく聞きました。

みなさんもご存じのように大阪の鶴橋には
非常に多くの在日韓国人が住んでいますが、
あの鶴橋の辺の在日の方々の出身はたいてい
済州島です。

なぜあの辺に済州島の人が集まっているのか、
と言えば、これといった産業もない、
本土からはいろいろと差別される、ということが
続いて、あそこにいたのでは生きていられない、
と、思って日本の大阪に来た人が集まって
できたのが、あの鶴橋界隈の在日の人たちの
集落というわけなのです。

ですから鶴橋の人たちは済州島から強制連行をされて
大阪に来て住んだのではなくて、済州島で
生活ができなくて、自発的に大阪に移り住んだ人たちが
あそこに集まった、というのが歴史的な経緯です。

なぜあの鶴橋の辺に集まったのかといえば
大阪の地形と関連しています。
鶴橋から東、味原(あじはら)の辺は
昔は湿地で人が住んでいなかったのです。
そこにやってきて住み始めて、現在に至った、
というわけです。
まぁ大阪は昔は上町台地を除いて海とか
湿地だった場所でした。
何度も言ったように今の梅田は
元の表記は「埋田」で、湿地だとか蓮池だった場所を
埋めて作った場所です。

そういう鶴橋の辺に済州島からの人が
住み始めて今の「コリアンタウン」を形成した、
ということです。


その済州島への差別は、
日本の植民地統治が終わって大韓民国が成立した後、
ますますひどくなりました。

そうして、その差別があまりにひどかったために
済州島では、大韓民国への帰属を止めて、
かつての植民地時代のように、日本への帰属を
もう一度願う人たちの運動さえ起ったのです。

もしも、日本の統治下に於いて、強制連行が日常的に
起こっていたのであれば、済州島の人たちが
日本への帰属をもう一度願う、などということは
有り得ないはずです。


当時の大統領は李承晩(いすんまん)でしたから
もちろんそんなバカげたことは許さない、
とソウルから軍を派遣して、そんな運動は
弾圧してしまい、何万人という島の人を殺害しました。


それが○日新聞の一連の慰安婦問題の報道で
あたかもそれが既成事実のようになってしまった。

果たして十二分な歴史的な資料に基づく
検証は行われたのか、ということです。

事実を照合して、果たしてどうなのか。


学問の検証は感情論とケンチャナヨ(適当)では困ります。


それで言いますと、創氏改名のこともそうです。
この件については、ずいぶん前に
日韓の歴史学者が相互に研究した本が出ていて
創氏改名については一定の研究成果が出ています。

いまだに梶山季之という日本の小説家の書いた
「族譜」という作品の影響が余りに大きく
大日本帝国が、植民地であった韓国の人に
日本名を強制した、という話だけがずーっと
伝えられて残っています。

創氏改名というのはそういう韓国人の姓を
無理やり変えようとした制度ではありません。
そもそもその解釈からして正しくない。


ご存知のように韓国では本貫(ポングアン)という制度が
あります。 慶州出身の李さんであれば、慶州李氏という
ことになって、全部一族です。ですから、何代さかのぼっても
慶州李氏の一族であれば、すべて一族であって結婚することは
できません。

創氏改名という制度は、そういう本貫制度を変更させようと
する制度でした。 たとえば、ソウルの龍山に住んでいる
金性哲さんは、金性哲さんだけの戸籍を持てる、としたのです。

本貫制度であれば、何千年かさかのぼって、慶州出身の
金さんの家の、何百代目かのさらにそのまた分家の金性哲さん
という戸籍になるわけですが、創氏改名というのは、
一家にひとつの戸籍、という方法を取ろうとさせた
戸籍制度だったわけです。


こないだ、謙介、この本↓を読んでいたのですが、

Toshokan2015_001


この本のテーマである朝鮮王公族とは
違った部分であれまぁ、と思ったことが
ありました。
それはこの戸籍制度は朝鮮の王公族にも
適用されているのだ、ということが分かったことです。

しかも著者はそうした創氏改名の研究者ではないので
そういう戸籍のところが淡々と書かれていて
理解しやすかったです。

日本人の主張としては、
学問の成果について科学的かつ客観的な検証を十分せずに、
一方的な感情論だけで、自分勝手な結論を導き出そうとする
その姿勢がそもそもダメなんじゃないか、って言ってるんですよね。

あくまでも研究の結果は結果としてそれは
厳粛に受け止めなければなりません。
自分の願望のように結論を捻じ曲げてはいけない、
ということですね。

それを言ってるんだけど、かの国の学者は
そうじゃない、と言っている。その証拠がちっとも
客観的ではない感情論で言ってるだけじゃないか、
ということですね。

その辺が対立の核なんだと思います。

こうしたことは、あらゆる機会を通じて
世界中にきちんと言っていかないといけないと
思います。
疲れたなんて言ってる場合ではないのです。


しかしまぁあのmersへの対応
(日本での呼び名はマーズと言っていますが
韓国ではハングル表記を見たら、メルス、って
言ってるみたいです。)
まことにいつものケンチャナヨ対応でございました。
で、その結果ああなった、のですね。

最後に。
Ikunoさんのブログで出ていた本。

Toshokan2015_129

うちの仕事場にありましたので、
只今読んでいるところです。

今日のブログはいつもに増して
長くなってしまいました。
お読みいただいてありがとうございました。


(今日聴いた音楽 목포의 눈물  木浦の涙 
 李蘭影歌 ライナーノーツは不明)

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