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15. 02. 26

浅春・京都:その3

さてもさても観光道路をどんどん西に走ります。
山越を抜けて広沢の池を右目で見て走っていくと
嵐山がどんどん近づいてきます。
標識に従って右折するとわはははの大覚寺に到着です。
なぜにわはははなのかは、次回にわかるかもしれません。


Daikakujimonnchuu


いやぁ。久しぶりの大覚寺でございます。
早速中に入りまして拝観させていただくことにします。
Daikakuji1

ここもお庭が美しい。
Daikakuji2

殿舎と殿舎をつなぐ廊下ですが、
わざと天井を低い造りにしているそうです。

天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られていて、
床は鴬張りになっていますから歩くときいきいと
音がします。

Daikakuji3


Daikakuji4
それからこれは勅封心経殿です。建物自体は大正14年にできたので
コンクリート造りです。法隆寺の夢殿がモデルとか聞いています。
この中にはには嵯峨天皇や、後光厳、後花園、後奈良、正親町、
光格天皇の勅封心経がおさめられているとか。その経典が非常に
霊験あらたかなので、紐でその経の箱と参拝者を結んで
その霊験のご縁を得ることができるようになっています。

回廊はかくかくと曲がっていて
稲妻型になっているそうです。(これも意匠)
Daikakuji5


大覚寺は撮影所のある太秦に近いので
よく映画やドラマの時代劇のロケで使われます。
時代劇を見ていたら、たいてい協力「仁和寺」「大覚寺」と
あったりします。どちらも建物が威風堂々としているので、
大名屋敷、武家屋敷の撮影にうってつけなのでしょうね。
同じ右京区だし。
そういえば前に夜、大覚寺の横の大澤の池に行ったら
撮影をしてたことがありました。

仁和寺はそれでもまだ五重塔とか金堂とか経蔵が
あってお寺、という感じだったのですが、
大覚寺は、最初の標柱にもあったみたいに
大覚寺御所、というようなものでしたので
お寺、という雰囲気があまりなくて、、
御所のかたわらにお寺の施設を造りました、
という感じがします。
やはりお寺の成り立ちがそういうところに影響している
ように思います。

寒い時期でしたし平日だったので観光客は少なめでしたが
その分、落ち着いた感じでしたし、
ゆっくりと見ることができました。

今日はここまでといたします。

(今日聴いた音楽 遠くで汽笛を聞きながら
 歌 アリス 実際の発売は1976年なんですが
 持っているカセット録音の分は さあていつ
 なのでしょう。)

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Comments

この写真の廊下、見覚えあります!
市川雷蔵主演の映画「弁天小僧」で、雷蔵が寺小姓に扮して乗り込む屋敷がこの廊下でした。
「新・平家物語」でも、この廊下を木暮実千代が歩いてた気がするなあ。
大覚寺は京都の一番西のイメージで、滋賀県民としてはとても遠く感じるのですが、ぜひ訪ねてみたいお寺の一つです。

Posted by: mishima | 15. 02. 27 at 오후 1:27

---mishimaさん
もうね、遠山の金さんとか大岡越前とか
水戸黄門とか、いたるところに
登場していまして、、。(笑)
実際に行って、場所を見たら
あ、ここここ、と思うこと請け合いです。
滋賀からは、JRですと京都駅乗り継ぎ
になりますね。で、嵯峨あたりで降りて
後は歩いて回る、ということになりますか。
もう少ししてあたたかくなったら
是非一度どうぞ。
それと滋賀県と言えば「近江」のほうが
認知度が高いから、「近江県」では
いけないのか、という議論があった
とか。mishimaさんはどちらのほうが
いいですか?

Posted by: 謙介 | 15. 02. 27 at 오후 4:07

「近江県」については、歴史的地名を大切にしようという動機なら理解できるんですが、知名度向上のためという提案なので、どうも賛同しかねます。滋賀県より、近江牛や近江商人のほうが有名ということらしいです。
前身は大津県で、府県統合の過程で大津の属していた滋賀郡からとって「滋賀県」と改名。なので、彦根や長浜の人にはゆかりのない名前なのは確かです。近江国とほぼ同じ領域なので近江県の方が歴史的にはふさわしい名称だとは思います。ただ、滋賀県という名前も150年近い歴史があり、いまさら変える必要はないだろうという感じですね。
現在、旧国名を名乗る都道府県は無いのですが、これは明治政府が旧体制を連想させる旧国名を避けたのかなと想像しています。

Posted by: mishima | 15. 03. 02 at 오전 10:38

---mishimaさん
そういえば大学時代に万葉集のゼミの
発表のレジュメを作っていた時に
「志賀の都」が出てきて、ひとしきり
滋賀県の話になりました。mishimaさんが
おっしゃったように彼は長浜の人でしたから
滋賀県という県名はねぇ、というような
ことを言っていた記憶があります。
都道府県名は、調べてみますと命名に
ついて結構揉めたところが多いですね。
長野とか地域意識が強いところは
廃藩置県で藩が都道府県になって、
それがまた合併されていく段階で
なかなか決まらなかった、という話を
聞いています。
平成の広域合併でずいぶん慣れ親しんだ
地名が消えてしまいましたが、永年に
なりますと地名もやはり
いろいろな文化的な背景を持って
きますから、そう簡単にその時の行政の
好き嫌いで変えてもらったら困ると
思うんですけどね、、。

Posted by: 謙介 | 15. 03. 02 at 오후 10:47

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