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14. 12. 07

実地調査登山

今年の2月のこと。

考古学を教えていただいた恩師が
ある遺跡のシンポジウムのパネラーになったので
そのシンポジウムに行ったのです。

そのあとで、ごあいさつに行ったら、
「あ、ええところに来たわ」というお話とともに
宿題を出されてしまったのです。

こちらの地方に飯野山という山があって
それは結構有名な山なのですが。

たぶんこの辺の小学生でも高学年の子は
知らない子はいない、というような山です。

映画の「UDON」にもどーんと出てきます。

Udon0534_2

写真の左の建物が舞台となった製麺所ですが
この右に飯野山が見えています。
おそらく監督もこの飯野山が見える場所、ということで
わざわざここにセットを作ったのだと思います。
この山が見えていなかったら、おそらくここに
このセットは作っていなかった、と思うんですよ。

この山、別名を「讃岐富士」といいます。


Iinoyama

古事記の中に四国の記述がありまして、、。
四国は身(土地)は一つなのだけど、
その面は4つある、と書かれています。

伊予は愛比売(えひめ)
讃岐は飯依比古(いいよりひこ)
阿波は大宜都比売(おおげつひめ)
土佐は建依別(たけよりわけ)
とそれぞれ四つの国を治める神さまの名が書かれています。

伊予が現在の「えひめ」となったのは、
この古事記の名前から来ているわけです。

讃岐の神さまの「飯依比古」の「飯」もどうも
この山のあたりに古代の豪族がいて
その地域の統治の中心があった、と考えられているんですけどね。

で、先生のおっしゃるには、この飯野山がこの地方において
特別な存在ではなかったのか。というふうに考えられたわけです。
で、先生はこの山で歌垣が行われていたのではないか、
と推論を立てていたところに、古代歌謡をやっている人間が
のこのことあらわれた、と。

「謙介、その辺調べてくれないか。」というふうになった、というのが
事の始まりでした。

でもね、このブログをお読みのみなさんはご存知のように
謙介2月から肝臓の治療をしていました。
大体が2階にあがるのでさえ、途中の踊り場で
休憩しないといけない人間が
標高500メートル以下の丘のような山だといったって
のぼるのは無理な話です。
先生にそのことを話して、治療が終わって体力が回復したら
調査に上がりますから、といって延期してもらっていたのでした。

こういう論文を書くときは、
文献とか資料で調べることと、実際の場所に行って
その場所を調査する、ということをしないといけませんが、、
とりあえず図書館で調べられる文献での調査を
3月から6月に行って、だいたいの推論を作りました。

文献から調べた限りではこの山で歌垣が行われていた
という証拠は出てきませんでしたが、
この山が信仰の対象として古代から崇敬の対象であった、
ということは確認できました。
そこまでのわかったことをとりあえず先生に手紙で知らせて
いたのでした。

それでもやはり実際の場所に行ってみて
どういうふうになっているのか、ということを
この目で見て確認しなければならない、ということを
しなければなりませんでした。

それが延び延びになっていて、、。

そもそも治療が8月に終わるはずだったので、
9月には山にのぼって調べる、という予定だったのですが
治療の終わりが10月で、体力の回復を待って、、
ということで11月の末にようやっと
のぼろうか、ということになったのでした。

のぼりはじめてしばらくいくと、ちょっとした広い空間がありました。

Shigisan4_1

ここには宝性寺というお寺がありました。
Shigisan1

今は東のほうの平野部に移転しているのですが
昭和の初めごろにはここにあったようです。
このお寺は奈良の信貴山の讃岐別院だったのです。
ですから今はこんな石碑が残っています。

Shigisan2

今は信貴山、真言宗の本山の一つのお寺になって
いるのですが、もとは修験道の宗教だったんですよね。
修験道というのは、山野をかけめぐって修行をする
部分もありましたから、この山にこうした修験道の
お寺があった、ということは、この山が修行の対象としての
山であった、ということですから、この山がこの地方で
崇拝されていた山、ということの一つの対象になるなぁ、
と思いながら山をあがっていきました。

最初は山の北側をあがっていきます。次第に標高が高くなると
木々の間から瀬戸大橋が見えてきました。

Setoohashi

北西方向には丸亀城が見えました。
(すみません。豆粒どころか、針の先みたいな大きさでしか
写っていませんけど。)
Marugame1

南西方向、正面にぼんやりと見えているのが
象頭山です。 この山の一番南の端に
金刀比羅宮があるのです。
Kotohira

ちなみに逆にこんぴらさんからみるとこんな感じです。
(右端に見えているのがそうです。)
Iinoyama2

のぼりはじめて40分ほどで山頂に到着しました。
どの登山案内のサイトを見てもこの山は初心者向き
と書かれていました。
でも病み上がりのおぢさんには
結構きつかったです。
Sancho1

山頂部はとがったものでなくて、このように
平らな場所があります。
写真正面に写っているのは昭和天皇の御製の石碑です。
昭和天皇がまだ大正時代、摂政だった時に
ここで陸軍大演習があって、この地から、陸軍の演習を
展望されたのだとか。
Sancho2

古代、歌垣の行われた山というのは、
たとえば有名な山としては筑波山があるのですが
この山は頂上が二つに分かれています。
この頂上が二つに分かれている、というのが
どうも古代の人にとっては大きな意味を持っていたようで
こうした形状の山には歌垣の行われていた形跡が
残っています。
この飯野山も、頂上部がそんなふうになっていて
こうした形状から言えば、なるほど、歌垣が行われて
いたかなぁ、ということは言えるかもしれません。
その時に、たまたまこの山にのぼってきた
おばさんの会話を聞いて、ああ、やっぱりと思ったのです。
昔はこの山の頂上に行者さんのお堂があって
山頂付近から、護摩供養とか日常の生活のための
煙がよくあがっていた、という話でした。
やはりこの山でこうした儀式が行われていた、
ということだったのです。
こうした石塔を見ることができたのも収穫でした。
Sancho3
実は本当の収穫はこの後にありました。
(それは論文に発表するときにまた書きます。)
それを見られただけでも今回しんどい目をしてのぼった意味が
あったなぁ、と思いました。
帰りなんかそれでちょっと興奮しながらおりたくらいだったのです。

のぼるときは余裕があまりなくて、目に入った景色を撮るだけ
だったのですが、帰りはもうずいぶんな余裕で(笑)
こうしたハゼの紅葉にもああ、きれいだ、と思ったり。
Haze

とにかく今回の登山、ちょっとしんどかったのですが
やはり論文を書くときは、実際に史跡踏査をして
実地検証をして書かなければならない、ということの
大切さを改めて感じることになった登山でした。

謙介なんて全然アウトドア派じゃないですけどね。

時には調査で古墳の発掘とか民俗学の調査とか
こんなふうに登山とかありまして、、
こういうの、どう言うのでしょうか。
結果的アウトドア? ですかね。(笑)

(今日聴いた音楽 酒と泪と男と女 
 歌河島英五 1975年 たまに聴きたく
 なるんです。) 

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Comments

>「あ、ええところに来たわ」 本当は先生自ら登山されたらいいのでしょうか?
謙介さんお仕事を引寄せますよね。
歌舞伎座は玉三郎さんがいるのに…松也さんは浅草の宣伝に大忙しですが明治座で「チケットはあれでは売れない」なんて声が?浅草3等\2000→\2500→ついに\3000ですので!私は縁遠いですがネイリストの黒崎えり子さんはスカルプは無闇に勧めない!折角健康な爪なのにキチンと説明してお客様を育てていくのも仕事。続けて来てもらう方が利益が出る!
今のチケット価格ではリピーターになるのは難しく一過性で終わるでしょうが\大好き松竹は今儲かれば先々のことには興味がない…
猿之助さんは3月休みなく酷使され来年も1月歌舞伎座2月松竹座4月名古屋5月明治座
今は束の間皆さんでご旅行ですがその費用も…松竹に殺されますよ!
南座も長年のご愛顧に感謝して記念品ではなく舞台の檜を活かして商品販売ってどんだけ\大スキなんですか?藤十郎さんまで担ぎだしてどういうつもりなんですかね?11月国立劇場を観劇して後は誰が?と後進の指導も是非お願いしたいのに。
老いも若きも松竹に酷使され寿命を縮めるでしょう、その前に松竹は歌舞伎から撤退を!!

Posted by: ゆき | 14. 12. 08 at 오후 7:16

---ゆきさん
最近、テレビとか雑誌とか、
本当にさまざまな媒体で松也丈を
見ますね。別にカウントはしていないのですが、あれ、また出てるや、って思います。

次世代を担う存在として売り出させたい
ということなんでしょうね。知り合いの
ブログを見たら、ページを変えても
柔軟剤のCMに出てる彼の顔が
ずーっとついてきて、ちょっと、と
思いました。
松竹、もう売れるものは何でも、という
感じですね。で、あれこれやるもんだから
下手な鉄砲も何とやらで、
たまにまぐれで当たったりするんですよね。
その時にきちんとどうしてそれが客に
受け入れられたのか、検証をすればいいん
でしょうが、何もしないまま調子に
乗って突っ走って、ブームが終わったら
それっきり、というパターンです。
新しい層のお客の開拓、とか、、
ポリシーがないから、もうめちゃくちゃ
ですよね。役者も観客も被害者だと
思います。

Posted by: 謙介 | 14. 12. 09 at 오후 11:25

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