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14. 10. 23

迷信だとか昔の人の世迷言とバカにした人たちに

先日御嶽山が突然噴火をしました。

何らかの前兆があれば、登山禁止にするとか
措置が取られていたのかもしれませんが、
登山客の多い季節の、そのまた多い曜日に
ということがやはり犠牲になった方々を
多くしてしまった、という原因だったのでしょう。

まだまだ何名もの人の行方が分からない
ということですし、加えて頂上付近の天候が冬へと
変わったために今年の捜索は終わりになってしまいました。


こんな時期に、このことについて書くというのも
どうだろうかと、いろいろ考えたりもしました。
事実何人もの方の命が失われ、いまだ見つかっていない方も
おいでのこの時期に、とも思いました。

しかし謙介が以下のことを言い出したのは
ウン十年前の大学の卒業論文の中からの
ことであって、何も今に始まったことではありません。

そのことは、このブログをずっと読んでくださっている
かたがたには、「ああまたあの話」というようなものでしょう。
ずーっとこのことについては言ってきたことですし、
自分がやってきた学問的な研究の結果として
このことについて改めて書いておきたいと思ったので
以下、アップすることにしました。


先日、火山学者にマスコミが
今回の御嶽山のような
被害が出ないようにするためには
どうしたらいいでしょう? と聞かれて
その答えは「登らないことですね」だった、とニュースで読みました。

実は文系の謙介もそれに近いことを
ずっと思っていました。


あの山はスポーツとかレジャーとして
登ってはいけない山だと。

あの山は「特別」の山なのです。


御嶽山の信仰ということで言えば、
中世から近世の「御嶽信仰」というのが
まず思い出されることと思います。

ここで謙介が改めて言わなくても
御嶽信仰の資料など山ほどあります。

しかし謙介の言いたいのはそんな中世とか近世の
ことではありません。

もっと以前、古代からあの山は神さまのいらっしゃる山として人々が
信仰していた山だったのです。


ですから御嶽山にのぼるのは、
信仰上の特別な儀式の場合したのぼらなかった
でしょうし、あの山は本来そういう
「神格」を持った山だったはずです。

そんなものは民俗学を研究した人間なら、
「御嶽山の表記」を見ただけで簡単に分かります。


なぜかと言えば、最初に「御」の字がついているからです。


「御」という文字がどうして頭につくか、と言えば
その山に神様がいらっしゃる霊山だったからこそ
特別につけられた敬称としての接頭語なのです。

ではどうして神様がいらっしゃる、と考えたのか、
その理由はいくつかあるでしょう。

一つは古来から定期的に噴火をしていて
その都度被害が出ていたから、ということがあると思います。

自然災害は神さまのわざ、と考えていた昔の人々は
そういう自然災害の起こる山に神さまの存在を信じて
畏怖尊敬の対象としました。


山だけではありません。
古代の人は、さまざまな地形のうち、
たとえば「山」とか「岬」とか「坂」とか
曲がりくねった道の角とか、川が合流する地点には
神さまがいらっしゃる、と考えました。

たとえば「みさき」という地名。

そんなもの土地の先端部なんですから
わざわざ「み」なんてつけないで
単に「崎」とか「先」でいいはずなのです。

そこにわざわざ「み」という
接頭語をつけたのは古代の人々が
そこに神様がいらっしゃる、と考えたからです。

陸地が海上に突出した岬は
その下の海の流れが複雑になることも
あったでしょうし、そのためによく海難事故が
あったかもしれません。

海の難所だったでしょう。

ですから、そうした場所を特別の場所と考え、神さまの存在を思い
そうしてその神さまに海上交通の安全を祈ったのです。

だからこそ尊敬と畏怖の意識をこめてそういう先端部に
「御」という文字をつけたのです。

字は「御崎」でも「三崎」でも全部考え方は一緒です。

それから「みさか」という坂があると思います。
「御坂」でもいいですし「美坂」でも「三坂」でも
いいです。「みさか」と読む坂の場所。
この坂も「村」だったり「国」の境目だったり
その坂自体がそういう境の坂だった場合です。
自分の住む場所から違う場所に行く、ということは
非常に危険なことでした。旅の道中を祈らざるを得なかった。
だからそういう境の「坂」には古代の人は神さまの存在を
信じました。


川も合流する地点に神様をおまつりしました。

なぜならそういう川の合流地点は
よく氾濫して人的物的被害が出たでしょうから。

京都の石清水八幡宮は3つの川の合流地点にあります。
あそこに石清水八幡をおまつりしたのは、
歴史的に見て、あの辺で川がよく氾濫した、と。
そりゃそうでしょう。3つの川があそこで合流するのですから。

そうした水害の被害から
守っていただきたいために神さまをおまつりしたのでした。

律令の補助法令として存在する格式(きゃく・しき)
のうち、延喜年間に出た延喜式に出てくる延喜式内社の場所は
大抵古い川筋沿いにあります。


それは農業社会だったこの日本で、やはり
川の氾濫、逆に日照りによる水不足が
どれほど人たちの関心の中心であったか、という
ことの証拠だと思います。
水の流れの要所に神さまをおまつりしたのです。

御岳山も噴火をして今回のような被害が昔から
何度と繰り返しあったはずです。
決して今に始まったことではないはずです。


そしてもうひとつはその地域を代表するような
山である場合です。

有名な山というのは、本当に美しい山容をしています。
奈良の三輪山だって、鳥取の大山だって、富士山だって、
鳥海山だって、白山だって、その土地を代表する山というのは
みな美しい形をしています。そういう秀麗な山容の山には
神さまがおいでになる、と古代の人は考えました。

今回の噴火を自然の復讐とか言う人がいますが
謙介はそんなふうには思いません。

なぜならあの山は「噴火をする恐ろしい山ですよ。
気軽に登るような山ではありませんよ」と
その山の名前からして、
昔の人はちゃんと知らせてくれていたのです。

そういう昔の人の考え方を、現代の人は、「非科学的」とか
「迷信だ」とか言うようになってしまいました。

謙介が思うのは、現代の人が、
そういう昔の人からの「言葉の真意」を汲み取ろうともせずに
単に非科学的という言葉で
全く無視してしまった結果ではないのか、と思います。

このブログで「御」の字のついた地形は
神さまがいるところですから、それは「畏怖尊敬の対象」として
考えないといけない、ということについては、
本当にもう何度も言ってきました。

謙介の学部の時の卒業論文の研究のひとつが
そうした地名につく「御」の解釈についての考察だったですからね。
このことについてはそれ以来ずっと言ってきました。

以前、そういう「御」の解釈について、
謙介が上で述べたようなことをあるところで言ったら、

社会学系の人とか、理工系の人から
そんなものは迷信だとか、科学を知らない昔の人間の
世迷言だ、とか散々言われたことがありました。
非科学的とか、もっとひどくて、ばかばかしいとか
ナンセンスだとも。

そんな昔のことばかりやっているから人文系の人間は、
100年一日のごとでく学問の進歩とか発展なんてない、
とも言われたりしました。


今より未来が発展するのか? 進歩するのか?
昔は未発達で野蛮な人間ばかりだったのか?


それではどうして今の世の中でも源氏物語が
読み継がれているのでしょう?

シェークスピアの戯曲が何度となく劇として再演されて
いるのでしょう? チェーホフだってギリシア神話だって
そうですよね。 どうして人は昔の作品を
こうして今も読もうとしているのか。

中世の能狂言だって近世の歌舞伎だって
昔の非科学的で迷信だらけの時代の話ですが
そんなもの価値なんてないのですか?


今回の噴火に就いて。

昔の人だって、何の理由もなしに、そこに神さまの存在を
思ったりわなかったはずです。

噴火の起こる科学的なメカニズムとしての
理解はなかったかもしれませんが、
現実的な事象としては、こういうことがあった、
こういうことが起こった
ということはあったわけですよね。


昔の人はそういう実際的な被害があって、
現実問題として大変な目にあってきた、と。
それから身を守る術というのは今の我々よりずっと切実で
大切な問題であったはずです。


御嶽山が、「御」がつくような表記になったのは
そういう理由があったからなのです。

謙介が思うのは、
六国史の記事と東日本大震災の関連でも
言いましたが、
気象学とか防災学の専門の人は、こういう古典の記録とか
表記について、単に迷信だの非科学的な話とか言わないで
現代の進んだ気象学の知見と併せながら
もっともっとこういう古典籍の名称を
研究対象として欲しいと思います。


だけど気象だの地学だのの専門の人で
こんなこと研究してる人っているんですかねぇ。


誰もうちに教えてくれ、って聞きに来たヤツいないけどさ。


今回の噴火は、そういう意味で謙介も非常に複雑な
思いで推移を見ているところなのです。


今回の噴火でもそうですが
今の火山学で、噴火のメカニズムは分析できるかもしれませんが
予知はやはり難しいと今回のことでも痛感しました。

予知はできませんでしたが、
過去に起こった状況を詳細に検討していく中で
今後の防災に何かしらの資料として活用できるのでは
ないのか、と謙介は思っているんですけどね。

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Comments

元々辺鄙な山奥在住なので登山には縁がありません…すでに日常生活が登山ですので。
消費税10%程度取られている感じがしていたのですが気のせいではやはりなかったですね。電気料金も値上で値上される割に手元資金がでは不景気も当たり前、で相変わらずの無駄遣いですので。
歌舞伎も今後は国立中心でいいですね。高い割には納得出来る舞台が⇒酷使される役者を観るのが辛くなってきました。3年後どれだけ皆元気でいてくれるんでしょうか?松竹はどうするつもりなんでしょうかね。何にも考えてなくてその時に場当たり的な対応で済ませるんでしょうけど

Posted by: ゆき | 14. 10. 23 at 오전 11:28

最近TVで猿之助丈のCMをよく観ますが…ソル◯ック、お米、納豆劇団etcの維持の為?とはいえ何だか気の毒です、切ないですね…母も可哀想だと。松竹は一寸は役者の事etc考えてもいいんじゃないでしょうか‼︎所詮松竹にとっての歌舞伎は金づるでしかないんでしょうけど。

Posted by: ゆき | 14. 10. 23 at 오후 8:39

---ゆきさん
ちょっと前に、どうして頭の中で計算した
額より多く請求が来るのだろう、と思って
しみじみとレシートを見たら、税抜価格が
知らない間にかつての税込価格に変化して
いたのに気付いたのです。 業者は原料価格
の値上げとか言いますが、小麦なんか
値段が下がっているはずなんですけど、、。
こんなの便乗値上げと言わずして何を
言うのか、と、腹立たしく思いました。
猿之助丈、本当に大変ですね。
澤瀉屋はやはり高麗屋とか成田屋とかと
違ってなかなか舞台に出るのも難しい
ようですから、こういうところで
いろいろと頑張らないといけないのかなぁ
とか思います。謙介も「半蔵門」(笑)で
ご覧になるほうがいいように思います。

Posted by: 謙介 | 14. 10. 23 at 오후 10:50

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