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14. 09. 25

高野山へ(2) 大門から中心部へ

さて。

このブログをお読みのみなさま


この2枚の写真ですが、どういう意味だか
お分かりになりますでしょうか?

弘法大師空海のここがお生まれになった善通寺で
Zentsuji4

こっちが入定した高野山奥の院です。
Okunoin

つまりは空海さんの最初と最期の場所、というわけです。


で、うちは真言宗なのですが、
この真言宗という仏教の宗派が実はとてもややこしいのです。

真言宗は英語で言えば、shingon sect なんですけど、、
実はその「シンゴン セクト 」の中にさらにさまざまな
派があるのです。

それが全部で18派あるわけです。

日本人の感覚からいけば、この真言宗内部の18派のほうが
セクト、っていう感じがするんですけどね。


真言宗というのは基本的に言えば
南無大師遍照金剛、とお唱えをして、
弘法大師さまが開祖、というのが真言宗、
ということにはなるのでしょうが、
ただ、実際のところ、そういう理解だけでは
本当のところはどうしようもないのが現実です。


それというのも開祖の空海さんが真言宗を広めるについて
広く仏教の他宗派から神道、修験道、そのほか
もともと日本にあった土着の信仰までなんでもかんでも
非常に融通無碍に取り込んだのですね。

たとえば浄土真宗は、
どのお寺に行ってもご本尊は阿弥陀さまに決まっています。
「南無 阿弥陀仏」とお唱えするではありませんか。

でも、真言宗なんて、お寺によってそれぞれご本尊が違うわけです。
大日如来だったり、薬師如来だったり、普賢菩薩だったり、まぁいろいろです。


まぁもともと密教というのが、そういう柔軟性のある仏教でしたが
特に天台の最澄さんより真言のほうが空海さんの性格もあったのか
よりいろいろな宗教・宗派を包含していく度合いが大きかったように思います。

たとえば真言宗以前から存在した南都仏教までも
真言宗は取り込んでしまいました。


謙介から見れば、
南都仏教と真言宗の教えはどう考えたって違うやろ、と思うんですが、、。

たとえば、悟りの境地だって、南都仏教の方は「この世ではなくて
彼岸に悟りの境地があるのだ」と説明します。

一方真言宗ではこの現実に彼岸の楽土を形成できる、と
していますし、現実の身に成仏の理想を達成できる
と考えました。だからこそ空海さんは最期に即身成仏された
わけですよね。

根本的な部分において、南都仏教と真言では
結構違いがあるのですが、空海さんが「かまんが」(讃岐一帯の方言で
かまわない、問題ない、という意味)と言ったので
何でもあり、としてしまったのでしょう。

真言宗を広めるについて既成の南都仏教の力に対抗して
真言密教を広めるのではなくて
南都仏教を取り込む形で行っていったのです。

ですから今も真言宗と南都仏教は密接な関係にあります。


近々奈良で高野山の出張展示のイベントがありますが、
Nara


この「奈良」という場所で開かれるのも、加えて東大寺がこのイベントの
後援に入っているのも、そういう空海さんの、柔軟性の「結果」が
こうして今にまで至っている、ということの現れ、だろうな、と謙介は思うのです。

その真言宗も最初は何でもありだったのでしょうが、
次第に宗教的に教学自体を学問化・体系化をしていくにつれて
何でもオッケー、では、うまくいかなくなっていったのでしょうね。


教学ということで厳密に突き詰めていくと内部で解釈の違いや
矛盾がいっぱいでてきて、
結局、中で、それぞれ細かく違ってきてしまった、と。

そういうことで単純に真言宗という名称では
ひとくくりにできない、という部分があっちこっちにあって
それが真言宗と言いながら18もの派に
分かれている、ということなのだ、と思います。


でもまぁ、一般の人はそこまで細かいことは言わずに
仁和寺だろうと、東寺だろうと、長谷寺だろうと
生駒山だろうと、善通寺だろうと
真言宗といえば、お大師さん、ということだろうとは思いますけどね。

謙介の恩師のそのまた師匠の五来重先生は
戦前から太平洋戦争の期間中を挟んで、ずーっと
ここ高野山大学の先生としてそうした仏教民俗学の
研究をしていたのです。

さて、今回は高野山の端から端まで見学しようと思っていたので、
高野山駅から大門行のバスにまず乗りました。


昔、鉄道やケーブルができる前は大門が高野山の表玄関
だったわけです。

Daimon

大門から街の中心部を目指して歩きます。

Koyamachi1

歩いていて思うのは、ここはやはり宗教都市だなぁ、という
ことでした。門前町とは違うんです。
お寺が街の中心にまずあって、そのお寺を邪魔しないように
街がくっついている
その傍らに家がある、という感じです。
確かに商店もありますが、琴平とか長野のような門前町
というにぎやかさではなくて、落ち着いて静かな街です。
おもしろかったのは、ここは高野山大○だってありますから
若い元気な人だってたくさんいるわけです。
そういう人が枯淡の境地の精進料理ではかわいそうすぎですよね。
やっぱりから揚げ定食とか、ぎょうざ、レバニラ炒めとか
とんかつ、ハンバーグでしょ。そういう店もあるのですが
そういう店は表通りにはなくて、
全部裏通りにひっそりと目立たずにありました。
やはり仏教都市ですからねー。遠慮しているんでしょうね。


Koyamachi2

とはいえ時代の流れですね。コンビニがありました。
Famima

仏教建築方式の車庫、という感じですかね。
Shako


高野山には、街道にこうした町石があります。
この町石は文字通り1町ごとに置かれていて
高野山への道しるべになっています。
前に高野山に来た時は、この町石を見るために来たのでした。
Choseki

ここから壇上伽藍のほうに入ります。
来年の開創1200周年記念事業として
中門の再建工事が進んでいます。
Chumon

こちらが金堂。
Kondo

中に入ると、身を清めるための塗香があります。
練った香を少し手に付けてのばします。

今年の春の高知の五台山の特別開帳の時にも
本堂に入るにあたってこの塗香をいただきました。
香りも幽遠で厳粛な気分になります。

ここまで来られたことを感謝しつつ合掌しました。

その横の根本大塔。
こちらも入って礼拝しました。
Daito

開祖空海の像を安置した御影堂。
Mieido

国宝の不動堂。
Fudodo

西行の植えた西行桜。
Saigyo

念仏三昧の三昧堂。
Zanmaido

しかし、高野山山上の気温、この日は15度でした。
謙介は半袖のポロシャツだったのですが、
中にはネルの長そでシャツとか、ジャケットを
来ている人もいました。

檀上伽藍から街の中心部に行く蛇腹道では
もうすでにちらほらと紅葉がはじまっていました。

Jyabaramichi


そりゃそうですよね。お昼近くで気温が14、5度ですからね。

ここまでお参りをしますとお昼近くになりましたので
さすがにおなかがすいてきました。
昼食のお店に移動することにしました。


今日はここまでにします。

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