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14. 07. 24

日本人の戦争中の略奪について

今日も最初は岡山の話から。

NHKの大河ドラマは全然見てないのですが
それでも新聞の番組欄の見出しを見ていると
今、どのころをドラマが進行中なのか、というのは
想像がつきますよね。

そういえば以前に岡山の坊さん友達に、
地元の備中高松城や
足守の藩屋敷や、吉備津神社、吉備古墳群を
その友達のオートバイの後ろに乗せてもらって
まわったことがありました。

その時に大爆笑したものが2つありました。
備中高松城の跡に行ったのです。
本当は歴史の無常さ、悲しさということをしみじみ
感じるはずの場所だったのですが、、、。

そこに水攻音頭、という歌の歌詞が
看板にでかーく書かれていたのです。
それにしても「みずぜめおんど」って、、、。

音頭、っていうくらいですから
ああこりゃこりゃ、って踊るわけでしょう?

Dsc02316

ね。本当にこういうのがあるんですよ。


音頭ですから、やはり振りつけなんかも誰かが考えていて
この時期、盆踊りでみんなで踊っているんでしょうか?

「みずぜめ おんど、ええがぁ。あんたもひとつ
おどってみられい。」
(水攻め音頭、いいでしょう?
あなたもご一緒におどられたらいかがですか?)

とか言われたら、、困ります。


それからもう一つは吉備津神社の裏にあった
「話せば分かる像」


はなせばわかるぞーっていうシャレかと思いました。

どうしてはなせばわかるぞーなのかといえば、
ここが犬養毅さんの故郷だからです。

いえ、普通に「木堂犬養毅先生像」でいいと思うんですけど、、。
仕事場に帰ってから、その当時うちの仕事場にいらっしゃった
犬養道○先生にそのご報告をしました。あの方、とってもこわいばーさん
きっぱりした方でいつも非常に現実的で冷静な判断が非常に速い方なんですが、
とーっても複雑なご表情で「まぁ」とおっしゃっただけでした。


それから足守藩の藩屋敷の建物を見学しました。
この藩屋敷の建物は重要文化財に指定をされて
いる建物なんですが、、、。

それはいいのですが、建物に入るやいなや、
いたるところ、うっとうしいくらいにそれはもうあちこちと
重要文化財重要文化財重要文化財重要文化財と札があったのですが、
玄関のすのこ板を見て、笑いました。

やはり木の札がつけてあって、「これは重要文化財ではありません」
って書いてあるの。
ギャグでしたねぇ。

    ×      ×       ×

このところ何度か両親から
二人の人生の聞き書きをしていることについては
何度かお話してきました。

先日、戦争中の話をいくつか聞きました。
父方の祖父は昭和19年に輸送船の機関長として
乗務中にアメリカ軍の潜水艦に魚雷攻撃を受けて
戦死してしまいました。

母方の祖父は戦争が始まる前の昭和13年に身体を
悪くして亡くなっていましたから、両親とも空襲の
激化した時期には父親は死んでいなかった、
ということです。

まぁ戦争中なんて男子はどんどん徴兵されて軍隊に取られて
いましたから、うちばかりでなくて多くの家は父親がいない、という状態
だったのでしょうね。


で、母方の家の話です。
戦争中は(謙介から見て)祖母と母の姉と母と3人暮らし
だったそうです。 
当時は本当に物資が極端に不足しているうえに
毎日のように空襲がありました。

母親の家でも、郊外の親戚の家に
荷物を疎開させることを考えてはいたそうです。

ですが、何せ物不足で大八車を借りることがなかなかできなかった
そうです。ようやっと大八車を借りるめどがつき
家財を長持に入れて、明日運べばいいようにした日の晩
空襲があって、家は丸焼けになってしまいました。

空襲のときは焼夷弾の落ちてくる中を必死で郊外に逃げて
何とか助かりました。
数日して家の焼け跡に行くと、焼けた長持は確かに
残っていたそうですが、中に入れてあったもの
すべて、ごっそりと無くなっていて、何も残っていなかったそうです。

亡くなった祖父はいいものをたくさん持っていて
大島の着物とか、火鉢のいいものとか、刀剣なども
結構持っていたのだそうですが、
長持の中に入れてあったそうしたものは忽然と消えてしまっていて
すっからかんだったわ、との話です。

要するにどこかの焼け跡で長持が焼け残っていた。
開けたら、刀剣とか着物の焼け残ったものがあったので
金になると思って、盗んだヤツがいた、ということなのでしょう。

空襲に遭って亡くなった人の話、
焼け出された人の話はよく聞きましたが

そういうふうに物を盗られた話というのは
たぶんあるだろうな、とは思っていましたが
うちの家がそういう目に遭っていた、ということを
聞いて、そうだったのか、と改めて知ったということなのです。


たまたまうちの家は田舎に何軒か親戚があったので、食料に
ついてはそうした家を順番にたずねていって食料を分けてもらって
いた、と聞きました。 

何せ空襲の時は着の身着のままで逃げたのです。
早くに家財の疎開ができていて、着物とか骨董品というような
食べ物に替えられるような品物があればまだよかったのですが、
交換しようにも交換するものが全くなくて、加えて男手が全くいない
状況でしたので、親子3人本当に苦労した、と言っていました。

最近のニュースでは日本人は
風水害とか地震といった自然災害の時でも暴動も略奪も起こさず
行政が救援に来るのを辛抱強く待つ、というニュースを
よく聞きます。


そういう経験があって、戦後本当に苦心惨憺をしたうちのオフクロは
日本人がお行儀がいいだの略奪もしない、って言うと、アホか、
というような反応をします。
「どこの日本人がお行儀ええのや。ふん。」とか言って鼻で嗤っています。

事実、実際に
先の東日本大震災の時も、ずいぶんと泥棒が
あったという話も聞きましたよね。

つい先日だってこんなニュースがありましたし、、。

戦争中なんてこういう空襲のどさくさに紛れて
みんな結構泥棒とか略奪とかやっていたんだよな、
ということを改めて知った、ということです。


これから8月にむかって、また平和を学習する機会
戦争の記録を聴く機会が増えてくると思います。

戦争の話と言うと、どうしても人が亡くなった、とか空襲の犠牲になって、、
罪のない人が多数亡くなった、という話が多いように思います。

そういう中で誰かが勝手によその家のものを盗んだ、
ということも結構あったのだ、ということも
史実として正確に伝える必要があるように思いました。
そういうこともすべて含めての戦争記録でないといけないように思います。

人間は自分の生活のために、他の人の持ち物を盗んだり
人のものをかっぱらう、というようなこともやることだって
ある動物だ、ということなのでしょう。


今回の両親からの聞き書きもずいぶんな回数を重ねました。
謙介自身も今まで断片的にだけ聴いていて
なんとなくわかったように気になっていたことを
改めて「通し」で聴くことができて、ああそういうことだったのか、
ということが分かりました。
全体像として一つの流れが把握できた、とでも
言えばいいのでしょうか。
そういうことがありました。
こういう機会だから、というのであれやこれや、と
ついでにいろいろなことを聴くこともできて、
最初は収拾がつかなくなりそうにもなったのですが
こちらも大体整理ができて、分かったように思います。

さすがに二人の話も大体聞き終えたかな、という
気もしています。(あともうちょっとかな。)

これを一応まとめておくことと
9月を過ぎて涼しくなったころに
日頃付き合いの少ない親戚のところにも
行って、もう少し話を聞かせてもらって
最終的なまとめにしようと思っています。

今回のこともそうでしたが、
やはり実際に聞いてみることで
いろいろとわかってきたこともありました。
本当によい経験になりました。

(今日聴いた音楽 Everything 歌 MISIA
 たまに不意にすごく聴きたくなる曲です。)


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