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14. 07. 11

聞き書きその後

その後も両親からの聞き書きは続いています。
今や土曜の午前中はそればかり。(笑)

目下母親のほうを聞いているのですが、
聞けば聞くほどいろいろと聞きたいことが派生的に
出てきて、正直、そういうことがあったのか、
と驚きの連続です。

土曜の午前中に聞いたことを午後からまとめて
パソコンに入れておきます。
ワードで入力していると、じゃあ、このことは?
というふうに疑問が次から次へと湧いてきて、、。
次回の質問事項としてメモをしておきます。


多少は知っていたこともありましたが
8割くらいははじめて聞くようなことで
聞きながら、ふーんと思いました。

オフクロがそのオフクロの祖母の話をして
くれたのですが、その祖母が生まれたのが慶応2年。
ですからぎりぎり江戸時代の人、ということです。

まぁそう考えると江戸時代もそう昔のことでも
ありません。

Bantan2

上の本は父方の祖父が勤めていた会社の社史です。
何か参考になる部分はないだろうか、と思って
兵庫県立図書○から借りました。


え? こないだ京都に行ったついでに寄ったのか?
兵庫県立図書○のある明石は
つい近くをバスで通ったのですが
明石の図書館には行っていません。

でも借りる方法があるのです。

この本というのがどんな本か、と言えば
淡路島と明石の間の定期船を運航していた
海運会社の社史です。

ですからおそらく兵庫県の
しかも神戸とか明石の辺の図書館には蔵書があるだろう、と
目星をつけてみました。

最初に神戸大学図書〇のウエブOPACを見てみました。

OPACというのは、Online Public Access Catalog
の頭文字で簡単に言えば蔵書目録です。

今は神戸大〇に合併されてしまって海洋科学部という
学部になってしまったのですが、
以前は神戸商船大〇という船舶の学校が
別組織としてありました。

神戸商船大○という大学なんですから
地元の兵庫県の海運会社の本くらい蔵書にあっても
不思議はないと思いません?

それで2003年に神戸商船大〇の図書館を引き継いだ現在の
神戸大〇図書館が持っているだろうと思ったら、あにはからんや。
その本はかの大学図書館の蔵書にありませんでした。

じゃあ明石市立図書〇にはあるだろうと思ってみたら
確かに明石市立図書〇にはありました。
ですが貸出禁止だったのです。

で、次、ということで明石市立図書館の
隣の兵庫県立図書館のOPACを見たら
ありました。しかも貸出可でした。

兵庫県立図書〇のある明石まで行かなくても
自分の居住地に居ながら
他府県とか他市町村の図書館の本を借りる
ということができるILL(Inter Library Loan )
というシステムがありまして、
今回はそのシステムを使いました。

公立とか研究機関の図書館で
図書館相互の貸し出し協定を結んでいれば
遠距離貸出が可能です。

まぁ大抵の都道府県とか
県庁所在地の市立図書館間、各大学図書館は
相互貸出協定を結んでいるので、そういうふうに
他府県の図書館の本を借りることができるようになっています。

じゃあ、もし兵庫県立図書○にも
その本が仮になかったとしたらどうしたのか。
最後は国立国会図書館にお願いする予定でした。

国会図書館のOPACで検索してみたら
この本は電子化されている資料でした。

ですから地元の県立図書館経由で
国会図書館に見せてね、って申請したら、
国会図書館から現物は送られないで、
期間限定で地元の県立図書館にその本のファイルを送信・
公開してくれるようになっています。それを地元の
県立図書館ないしは市立図書館のパソコン画面上で
そのファイルを開けて見る、というシステムです。
で、一定期間が来たら公開は終了、です。
これを電子図書館と言います。


こうした電子図書館の方法ももちろん知っていました。
これだと往復の送料とか手間とか時間だってかかりませんし、
送ります、と言って送信したら、ほとんど同時にファイルを開けてみることが
可能です。図書館側も現物を貸すのではないので本自体
傷みません。

でも謙介はその本の現物を実際に手に取ってみたかったので
手間と送料はかかるのを承知で
兵庫県立図書○から送ってもらう方法を採りました。

こんなシステムは
謙介が大学生の時にはすでにあって、
京都にいて、九州の大学図書館から
そうした本を送ってもらって参考資料に使った、
ということもしていました。


両親の場合、太平洋戦争をはさんでいるので
どうしても戦争のごたごたや空襲の関係で資料が散逸していたり
いろいろな思い出の品そのものだって焼けてありません。

それに父方の祖父のように戦死をして当人に聞きようがない、
ということだってありますし。
ですから本当に同時期の史料を探すのが難しいところが
あります。


そんな中、この方法では? こっちは? 
といろいろと思案を巡らしながら資料を探していくのです。

こういう資料探しって、ゲームみたいな部分が
あるんですよね。 このキーワードで探してなかったら
別のこの言葉だったら? とか。

どんどんキーワードとか検索の範囲を
変えてやってみていきます。
そうしたら、思わないところで、ひょこっと資料が
見つかることがありまして、、。


亡くなった両親の祖父母の除籍謄本を取り寄せて
みました。 戸籍ですから書かれているのは一切の感情を持たない
公的な記録にしかすぎませんが、その記述の中から
時々、あれ、というようなことも見えたりします。
どうして、ここで養子をもらったりしたのか。
どうして、逆に養女に出したりしたのか。

そんな記述を両親の記憶ともに補ってみて行くと
その当時のうちの家と親戚のそれぞれの人間関係が
浮き上がってきたりします。

どうしてこういう縁組になったのか。
戸籍の記録からは分からない人の営み
しかもそれがのちに自分自身に関係してくることです。
こういう経緯の末に今の自分がいるのか、
ということをいろいろとみています。


最初にお話したように、両親に一つ聞いたら、
そのことに関連して聞きたいことが二つ三つ、と
出てきますし、、。聞きたいこともまだまだあるので
もうしばらくの間、両親からの聞き書きを
続けて、とりあえず記録としてまとめておきたいと
思っているのです。


(今日聴いた音楽 埴生の宿 歌鮫島有美子
 アルバム 庭の千草 イギリス民謡集 から
 1986年7月22日 日野市民会館での録音
 「埴生」の「埴」は「埴輪」で使われているのと
 同じ「土」の意味です。 埴生の宿 というのは
 土で作った粗末な家、という意味です。
 そんな粗末な家でも心安らげる懐かしい場所
 というのが「我が家」である、と。その安らげるはずの
 家も空襲で焼けてしまい、家族もみな亡くなってしまい、
 一人国鉄の三宮の駅の柱にもたれて先に
 亡くなった妹の骨をドロップの缶に入れて
 餓死していかざるを得なかった主人公の
 少年の最期に、この歌がかぶさって改めて
 平和とは、人の命とは、ということを考えるのでした。)


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