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14. 06. 12

作品制作のために

Unchan

こないだあるサイトで、こんな字の広告が出ていました。

この字を見たとき、
正直に言って
「これって一体何?」と思いました。


横に「書家」という肩書の人がいるので
これは「書」の作品、ということなのか?

でも、 じゃあこれは作品というようなものなのか?
って言ったら、、、違うでしょ、としか思えない。

というようなことで謙介の思考が混乱した
というわけなのです。


最初に謙介の目に入ったのは、ひらがなの2字でした。

「クラウドは」の「は」 と
「通信だ」の「た」の2字です。

2つの字とも、一番最初の入筆のところに
こぶのようなものができています。 ということは、
ここで筆を一旦止めたか、「は」のたて画の最初の部分に至っては、
もっとしっかりとこぶができていますから、明らかに
ぐっと紙の上で押さえた、ということがわかります。

ひらがなの場合、文字の最初、筆が紙の上におろすときは、
筆は押さえて入ってはいけません。
ひらがなの字の書き方の鉄則ですし、基本中の基本です。

それではどうして押さえるとダメなのか?
この写真の字のように最初のところを
押さえると、そこでこぶができてしまい、
ひらがなの持つ字の伸びやかさが
殺されてしまい、かなの特徴であるはずの柔らかさが
消えてしまうからです。


このひらがなの字の書き方は、
どう見ても漢字の、それも楷書の書き方で
書かれていました。

どうして、ひらがなは
ひらがなのための字の書き方をしないのでしょう?
それをまず疑問に感じました。

次に書体のことです。
この作品の場合、
ひらがなは楷書体で書かれているのですが
しかし「通」の字なんて、しんにゅうのところ、
画から画のつながりがありますから
これは明らかに行書でしょう。

その「通」のしんにゅうとか右側の
旁の「マ」の入筆のところに見られるような、
画から画へとつながる細い線が
ごちゃごちゃと出過ぎです。
うっとうしくて仕方ない。


普通は字を書くときの動線として、身体上の
ムーブメントとしてはつながっていても、
それを紙の上に書かれた線としてそれを出すのは控えます。 

あんなふうに細い線ばかりガチャガチャ
書かれていたら、作品として字を見る側の人間が
うっとうしい線があって目障りで仕方がないからです。


それから画の途中で線がかすれてしまって
いる部分があります。「信」の最後の「口」の
ところとか、アルファベットの
KもDもIもそれぞれの画の線の途中で
字がかすれてしまっています。
特にそれがよく分かるのが 「I」だと思います。

字がかすれるというのはそこで
筆が紙から浮き上がっているか、
筆の穂先が割れているか、
筆を動かす速度が速くなっているのです。

ゆっくりと書いたのであれば、
墨が紙にしみこむ時間が長くなるわけですから
かすれる、ということはありません。

楷書の文字は一画一画整えて書く書体ですから
画の途中で墨が足らなくなって
字をかすれさせるようなことになっては
いけません。これは楷書の基本です。


少なくとも普通はこういうがちゃがちゃした線とか
楷書なのに字の途中で墨が枯れて、
線がかすれる、というようなことは、
あってはならないことなので、
大抵のプロの書家はこういう線は極力
出さないように筆の穂先に神経をとがらせます。


では上の字のように、どうして通のしんにゅうのところの
ようなつながった線が出てしまったのか、といえば
筆の穂先が紙上に垂れ下がってしまい、紙の上に
そのまま線が書かれてしまったからです。

写真の人がこの字を書いて、しかも、持っている
筆でこの字を書いたのであれば、なぜこの人が
こういう字を書いてしまったのか、ということは
謙介、大体想像はできます。

この筆、おそらくは羊毛もしくは馬の毛の筆だと思います。
なぜかと言えば、写真は切れて見えていませんが
右の端のほう、おそらく筆の穂先はだらんと下に向かって
垂れていると想像できるからです。


この羊毛筆の最大の特徴は「腰がない」のです。
要するに「へなへな」「ふにゃふにゃ」です。
だから筆の穂先が垂れてしまうのです。

で、このふにゃふにゃの毛の筆で
字を書こうとしたら、
筆の管の真上から、真下の一点にむかって
力を集中させなければなりません。
で、なければ筆先を自分の思い通りに
コントロールできないのです。
で、その使いにくい羊毛の筆を使いこなしているか、
と言えば、そういう無駄な線が出てみたり
穂先が割れてみたり、字がかすれたりしていて
制御不能なまま、最後まで引っ張っていった
としか思えない。


ではこの字のようなことにならないように
するにはどうすればいいか?
そんなことは非常に簡単です。


筆の用材選びをするときに
硬い性質の毛の筆を使えばいいのです。 

もし、このふにゃふにゃ筆ではなくて、硬い毛の筆を
使っていたら、もっともっと上手にしかも自由な
線の字が書けていたはずです。

ならばどうして、ふにゃふにゃの筆を選んだのか?
それは謙介がこの字を書いたのでもないですし、、
本当の理由はわかりません。

仮に羊毛筆を使うことによって、この作品制作が成功しているので
あれば、使った効果があった、ということになると思いますが、
この場合、正直に申し上げて成功しているとはとても言えない。

だって作品を見たら、筆遣いが最後まで制御不能のまま
ですもん。どうして自分が筆遣いをコントロールできるような
筆を使って字を書かなかったのか?
謙介、とても不思議です。

だって、そうでしょ?
使いやすい道具を使う、っていうのって
当たり前のことではないですか。


そういうこともありますし、もう少し踏み込んで言えば
作品としての成功・失敗以前の問題として、
この書かれた字を見る限り、この字を書いた方が、
ひらがなの字の書き方以前に、漢字の字の書き方の基本を
系統的に習ってはいない、ということにも気になりました。

この素人ぽさの抜けないような字を見ていると
古典のさまざまな作品を習ってきた、という
痕跡が全く感じられないのです。

中国や日本の書の名品、古典を
きちんと勉強してきた人なら、
書いた字を見れば、その人がどんな古典の書を
学んできたのか、
たとえばこの人は九成宮をベースに学んできた人だ、とか
像造記にしろ、高野切にしろ、寸松庵にしろ
その人が取り組んできた書の作品が
書いた字を通して背後に透けて見えます。


しかし、この方の字からはそういうものがまったく
感じられない。

墨を筆にべちょべちょとつけて、
筆で紙の上でただ塗ったくっただけ、
単に自己流の字を書いた
ということしか、こちらには伝わってこないのです。


こう書くとじゃあ、前衛書道はどうなの?
という質問が来るかもしれませんね。

前衛書道も最初のほうはそれなりにいい作品が出ていたのです。
最初はじめた方々は、今までに古典を習ってきて
その基礎基本があったうえで、そこにとらわれない字を
創作する、ということでした。

一見矛盾しますが、そういう古典を習ってきたという教養が
あって、それから独り立ちをする、ということですから
作品制作の望ましい形でありました。

ところが後に続いた人はそういう既成の古典学習を
一切否定していったわけです。

ですから必然的に単なる我流の癖字しか書けなくなってしまった。

それですっかり字の魅力のない痩せこけた字ばかりに
なってしまって、見る側の支持も喪ってしまった。
それが前衛書の現実です。


今、マスコミでもてはやされている人の
字を見てみると、そういう単なる我流の癖字
ばかりで、本物の字というものが
顧みられない状況です。

ここにも字の技量以前に、書いた人が
ご器量良しだったらオッケーというのか

実力はなくてもイケメン美人ばかりが
もてはやされている、という風潮があって
やれやれ、という気になります。

書いた字が正統に評価されない、ということは
本当に悲しい状況ですし、書の作品を見る側も
「ここまで文字を見る目が落ちてきたか。」と
見る側の水準もものすごく低下してきたことに
危機感すら覚えてしまうのです。

作品を作るときにまず製作者が考えるのは、

(1)どんな字を書くのか、
(2)その字はどういう書体で書くのか。

そのためには、
どんな硬さの毛の質の筆で、
どんな性質の紙を使うのか、
(紙のにじみの多い紙なのか、にじみの少ない紙で書くのか) 
墨の色は何色がいいのか。
(濃墨か淡墨か黒か青墨か)
作品に応じて、用具用材を
その都度選択することです。

順列組合せの世界というのか
この墨にこの紙は? ということで
何十通りも書いてみます。
しかも墨は書いた直後と乾いてからでは
また印象が異なってきます。

書の作品制作というより、
まるで科学実験の世界です。

そういう用具用材の選択の結果と
自分の練習や技量が合わさった総合力が
作品の出来なのだ、と思います。

この上にあげた字については
うーん、、、正直言わせてもらうと
「もっとがんばりましょう」かなぁ。


こんなふうに書いてきたら、そんな
上から目線の言い方なんかして、
って感じる方がいるかもしれません。

ですが、上から目線下から目線とか言う以前の問題として、
謙介は、この字を書いた人に、
「これをあなた名前を出した責任のある作品、として
世間に問うてもいいのですか? 」

と謙介は質問してみたい気持ちでいっぱいなのです。

(今日聴いた音楽 歌 雪村いづみ 佐野元春 
 Tokyo Chic  2014年 ついさきごろ出たCDです。
 謙介の聴く曲としては画期的な新曲ですね。なんたって
 数か月前の曲ですし、、。)

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