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14. 06. 04

わかりあえる・あえない

こないだ東洋経○という雑誌の
日本人と価値観というコラムで
「同性愛は絶対に間違っている思う人の割合」という
数字の国際比較の表が出ていました。

ISSP2008年調査結果

間違っている、と思う人が一番少ないのはオランダで
12.5パーセント
2位 ベルギー  13.1
3位 スイス    16.5
4位 デンマーク 19.7
5位 オーストリア22.3
6位 ノルウエー 24.1
7位 スペイン   27.1
8位 フィンランド 28.0
9位 スウェーデン28.5
10位ドイツ    29.1

で日本は12位で 33.7
だから日本は3人に1人くらいが同性愛は間違っている
と思っている、ということなのだそうな。

だけどアメリカなんて 25位で、56パーセントが 間違っている、と
思っている人がいる、とのこと。四捨五入したら6割が同性愛は
けしからん、って思ってる人がいる、ということです。

アメリカって一見、ジェンダーの自由さについて
理解ありそうな気もしてたけど、
全然そんなことなんてないんですね。

逆に絶対にあんなものは許さない、と
宗教的文化的にも考える人が
たくさんいる、ということなんですね。


アメリカからの報道として、
ゲイ解放、っていう側面からの記事ばかり
聞こえてくるのですが、そういう点では
非常に閉鎖的な一面もあるのだなぁ、という
データで、視点を拡げる、という意味でも
いい勉強になりました。

今日はそのことに関連して、わかりあえるあえない、
というお話。


こないだ、うちの仕事場のバイトの大学生くんが
「謙介さん、身近な人同士って分かり合えると思いますか? 」
って質問してきたんです。 それでまずキミはどう思うの? 
って聞いたら、「無理です。」っていうお答えで、、。

で、誰のことが理解できないの?
って聞いたら、おとうさんなんだとか。

大学生になって思春期かぁ? って謙介
思ったんだけど、そういえば、最近の高校生・大学生って
反抗期がない、っていう人も結構いる、って聞きますし。

そういう反抗期がない、という人に比べたら、
親のことが分からない
親が自分を分かってくれない、って子のほうが怒るのは
その人の精神的な発達という側面からは
自然な流れのような気がします。


だって思春期に子どもが言う怒りのセリフって

「どうして大人は(親は)分かってくれないんだ。」でしょ?

こういう怒りとか不信感というものが
思春期の怒りの根底にあるようです。

そうしてこの思春期の時期に
生まれてからそれまでの親との関係を一度壊してしまう、
というステップを越えて、
それでもまぁ仕方がない、親は親なんだし、、俺は俺だし、、
って子は子なりになんとなく距離の取り方を習得していって
それまでの認識を修正していくのでしょう。

そうしてそんなふうに新たに発見した
親と子の距離の取り方を基本にして、
他者と自分との間の適当な距離の取り方を学んで、
それを世間に応用していくようになるのだと思います。

ところが世の中には家族によっていろいろな仲の親子関係が
あります。

その子が自立していくべき過程で
親子関係がさらにこじれたり、
一方的に親が子に暴力をふるって抑圧したり
逆に親が子にべたーっと寄りかかったりするような依存だったり、、。

そういうふうな関係の場合は、子と親の間の距離の取り方について
うまく学習できないまま、になってしまう、っていうことだって
起きます。

人間の内面の発達って、絶対にA⇒B⇒Cと進んでいかなくては
ならないもので、AからいきなりHくらいに飛んでしまった場合は、
その飛ばしてしまった部分までもとに戻って、B⇒C⇒D
とやっていかないと、大人になってからいろいろな精神的な
部分でその飛ばしてしまった影響が出てくるように思います。

省略とか飛ばしは絶対できません。
後から必ずその飛ばした地点に戻って必ず
やり直さないといけないし、人の発達の段階としても
そういうようになっているようです。


自分と周囲の距離の取り方を学んでいく、
それがまぁ思春期の役割でもある、ということなのでしょう。


謙介は思うんですけど、
自分から見た他者なんて、
地面の上に置かれているボールみたいなものだ、と
考えています。

自分が「地面」で「ボール」が相手で。

ボールにはいろいろな面があるけれども
接しているのはほんの少しの面積でしかない。
科学的に言えばたった1点だけなわけです。

ところが人っていうのは往々にして
接している部分だけ見て、相手のことを知ってる、
分かってる気になっているだけじゃないか、
って思うんですよね。

果たして本当に相手が
分かっているか、といえば、ほとんど大半の部分は
わかっちゃいないんじゃないか、って思うし、
そういう部分でお互い分かり合えるのか、っていうと
それもはなはだ怪しい。

どうしてそんなこと分かるんですか?
って大学生くんが聞くから、

あのね、文学の主要なテーマなんて
人と人とは理解しあえない、っていうのが
大きなテーマなんだよ。

特に外国文学なんか読んでみたら分かるから。

他者との対立、和解、っていうのが大テーマなんだもの。
いい? 対立の後は、和解なんだ。ここがミソ。


和解、っていうのはお互いに理解なんかした上で
仲直りになっていないんだから。

ちょっと言い過ぎたなぁ、すまんかった、
いや、俺も口が滑ってしまった、
っていうことでごめん、って言って握手するのが和解だもん。

だからお互い相手のことを理解して、全面的に打ち解ける
っていうのでは決してないからね。


人間同士簡単に理解し合えるんだったら、
大半の人間関係にまつわる葛藤なんてなくなるよ。
戦争だって起こり得ない。

ストレスフリーの人間関係の中だったら
第一、文学なんて存在し得しません、って。

文学部でやってることなんて、もう延々と
人間は理解しあえない、やれやれ、どうしたもんかねぇ、って
延々と研究しているようなものなんだから。


え? そうなんですか?


だって、夏目漱石なんてさ、自分と他者との問題を考えすぎて
とうとう胃潰瘍になって亡くなってしまったんだから。

って説明したんですけどねー(笑)


    ×      ×      ×


一緒に住んでいるから、といっても
お互い人の性格っていろいろだと思います。

一線を引いて、家族でさえも入ってくるのを嫌がる、
とか、みんな一緒に、っていうのは嫌だ、っていう
人だっているでしょうし、、。
だから100の家があったら100通りの
家族関係がある、ということなのでしょう。


そういうふうだから
いくら家族とか親友のように身近な存在であっても
きちんと理解しあって、、ということは
謙介は無理でしょう、って思っています。

ただ、謙介が考えるのは、そこからなんですよね。

相手のことなんて分からない、ってあきらめてしまったら
人間関係なんてそれでおしまいなんですよね。

ましてその相手が身近な人であればあるほど
そうやってあきらめて放置してしまうのではなくて
少しでも分かろうとする努力が必要なように思います。
分からない、って思考停止してしまったら
人間関係もそこで停止してしまうように思うのです。

相手のことをぜーんぶ理解する、っていうのは
できないし、そういう以上、自分と相手とは絶対に
意見がかみ合わない部分ができてきますから
どうしたって相手との付き合いの中でフラストレーションは
溜まると思うし、溜まるものだと思っています。


そういうフラストレーションを一人の相手に
ぶつけて解消してしまうことはできません。
相手だってそんな一方的に寄りかかれたら、
しんどいでしょうし。


だから自分はいろいろな友達を持つわけです。
そうしてその友達との話の中で
少しずつ、共感できる部分を話していって
フラストレーションを小出しにして、何とか解消する。

食べ物の話なら栄養士の友達と、
歴史の話なら、〇〇くんと
音楽の話なら △△くんと
という方法で、少しずつ解消させる、
そういう方法で何とかしのいできたような気がします。


子どもの時代って、自分のことだけを考えていたら
いいわけです。 
だから子どもの話の主語はいつも「自分」しかありません。
「ともちゃんはね、眠いの」とかいうふうに。
話すことも自分のことしか話さない。


そこまでしか見えていなかった子ども時代から、
やがてそれが思春期になって、自分と周囲、
っていうことに目が向くようになって、反抗期で親と
何度も衝突する中で、
それまでの親との関係を全部ぶっ壊して、清算をして、再構成を行う、と。

そうしてそこで学んだ自分と周囲との距離の取り方とか
関係の作り方を応用しながら生きていくことになる、
ということなのだろうと思います。

謙介の場合、そういうことを考える機会が来たのは
25の時だったのです。どうして自分はこういうふうな
感情にとらわれるのだろう、と考え始めて、気が付いたら
自分と親との関係について考え始めていました。

さて、それからが大変だったわけです。
(その大変だった過程についてはもう何度も説明しましたので
何度も繰り返しはしませんが。)
3、4年かかって、ようやっと親との関係に気が付いた
結果、自分は家を出ることになった、ということです。

まぁそういう「嵐」というのか「すったもんだ」がいろいろありまして、、
何とか親との関係を清算して、再構築して、
今は何とかまぁやっています。

この間、結局10年くらいかかってしまいましたが
その10年は自分の内面の成長にとって
必要不可欠の10年間だったなぁ、と思います。

バイトの大学生くんとの会話の中で、
そんなことを久しぶりに思い出したのでした。

(今日聴いた音楽 目覚めた時には晴れていた  伝書鳩
 日テレのドラマの音楽でしたね。 脚本は若かりし頃の
 倉本さんじゃなかったかな。浅丘さんとか石坂さんとか
 出てて、まだガキだった謙介さえ、あ、いいドラマだった
 って思いました。あのシリーズのドラマの音楽、ときたら
 坂田さんですねー、って言ったって、どれくらいの人が
 分かってもらえるのか、、。)

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Comments

同性愛を否定する方もいるのは分かるんですけど…私的には別にいいんじゃないかなとN○Kで爆笑問題さんが「RBGT」の方々についてなんてのを以前観ましたが、某街の方が「RGBT」の方は皆さん素直ですよね優しいしね。番組とは無関係ですがある美容師さんが某男性について「どっちですかね?僕は両方大丈夫です‼︎」それを聞いた女性は「そんなのズルイ普通何方かでしょ!選択肢が倍じゃないですか‼︎」そう考えるのかと思いましたね。
玉三郎さん謙介さんの思うとおりじゃないですか?勘弥さんが亡い後なまじっか人気があってかなり酷使され辛い思いをされたようですし、だから原則2月連続講演はしないのでは…猿之助・中車さんの巡業観て猿◯も罪な事しますなと改めて思いました。猿之助さん好みが違うとか噂もありますが?御本人が幸せならいいのですよ‼︎ただ母曰く「嫌よあんな複雑な家」猿○は弟・パープルさんいましたけど猿之助さんお一人なので背負う物が大き過ぎてお一人なのかしらとか…中○・元奥様は本当にお気の毒ですが

Posted by: ゆき | 14. 06. 05 at 오후 8:31

---ゆきさん
玉三郎丈、役者を酷使する興業ばかりで、
今までいろいろと歌舞伎界の
ことに尽力してきたはずなのに、ああいう
仕打ちなのか、と、思って嫌になったのだ、
と去年の秋に琴平の金丸座で鼓童との
ジョイント公演を見てきた感想を
聞いたときに思いました。 ずいぶん
しんどい目をしてきて、その努力を
ちゃんと会社が見守ってくれていて
後から、「あなたのお力添えがあってこそ
ここまでできた」というような何かしら
のフォローでもあれば別ですが、
適当に人をこき使うばかりではねぇ、、。
「私は愛想もこそも尽きたから、」
というようなことではないか、と想像
します。(謙介だけでなくてみなさん
そういう類推をしているのでは、、。)
 ジェンダーについては、日本は
江戸時代以前の「なんでもあり」の
文化の時代が長かったことも
あって、アメリカほど目くじらを
立てる人が少ないのかもしれません。
でも、カトリックの信徒さんが7割を
占めるスペインなんかでも、嫌悪感を
持つ人が少ない、っていうのは
国民性だからなんでしょうか?
いろいろなことをあの数字を見ていて
思いました。

Posted by: 謙介 | 14. 06. 05 at 오후 11:26

キリスト教は、世界教ですが、ヨーロッパやアメリカは、聖書で苦しんでる同姓愛者の方、多いと思うな…。
キリスト圏の人は、辛い思いされてる方多いと思います。アメリカの数値もこうなんですね…。
まぁ、映画「パッション」の監督業をした、ハリウッドスターのメルギブソンまで残念ながら、同性愛を忌み嫌って差別発言メディアでしてますからねぇ…。う~ん。
その国の物質的な繁栄ではなくて、精神的な学びのレベルにもよるのかもですね。
日本も江戸時代のように、男性同士の恋愛が、あるあるの事で、すこやかとされる、時代にもどるといいですね…これは、僕の夢ですが…笑。

聖書の中の同性愛をこれ憎むことなり…な~んてフレーズは、人間があとで聖書を教会が都合のいいように、作り変えたものですよ。
宗教は、所詮、人間が作った企業かもしれません優秀な企業もあれば残念な企業もありますのね…。

汝の敵に右だったか左だったか度忘れすましたが、右のほほをぶたれた、左のほほをだしないさいと、人間愛にあふれたイエスが、憎むべきことなりなんて、同性愛を憎み差別することを言うわけありません。
人間が人間を愛することに、差別はおかしなはなしです。

宗教と信仰は、別のもので、スポイルして考え感じたほうがいいかもですね…信仰は、神とその人の間で成立するもので、誰も、まして企業である宗教すら入ってくることはむずかしいかもです。
信仰は、つねに神と自分自身との間の事で、今までも今も、これからも、そうなのかもですね。

Posted by: 448 | 14. 06. 07 at 오후 8:39

---448さん
日本がアメリカよりも同性愛者に関して
寛容なのは、明治以降の西洋化とその
背景としてのキリスト教の再伝来
以前の文化が今もなお根底にあるからだ、
と、言われていますね。
伊達政宗にもそうした念者へ出した
書状が残っていますし、江戸時代の
浮世絵にだってあります。
謙介の母方の亡くなった祖母のそのまた
母親が小さかった頃
(江戸時代になるんですけどね。)
打ち首獄門の処刑があった時は、
みんなでお弁当を持参して物見遊山で
見に行った、っていうんです。
今の常識からいけば、
そんなことありえない、っていう話で
しょうが、実際はそうだったようです。
448さんがおっしゃるように
確かにキリスト教の教義はそういう
部分があるようですが、宗教の
規範というのも、どこまで信じるか、
と言うことになったら別物だと
思います。 宗教ですからあくまで
個人の心の問題でいいと思うんです。
確かにそういうところがあるように
思います。

Posted by: 謙介 | 14. 06. 07 at 오후 11:05

オランダは人種差別も少ないそうですよ、バレエやオペラも東洋人が差別されにくいお国柄。アメリカにしても、ロスアンゼルスやニューヨークといった都会と田舎は別の国だっていいますよね。田舎のアメリカ人は真に保守的、天地創造説を学校で教えるように主張する人たちがいる国です。アメリカのティーンエイジャーの自殺理由のかなり上位に同性愛で悩んでっていうのがあったと思います、多様な生き方を否定するのはいけないと思うのですが。宗教がダメって言ってるのは、宗教で禁止しなきゃだめなくらいよくある話だったんじゃないかと思います。そんな個人的なこと、本人の思うようにしたらいいんです!
親に反抗する時期は親もつらいですよ、親も人間ですから傷つくっていうのを、自分のエゴをかわいがるんで精一杯のムスメは忘れてるんですもん。そのうち落ち着いてそれなりにいい距離が出来上がるのを期待しています。

Posted by: アリクイ | 14. 06. 11 at 오후 6:58

---アリクイさん
反抗期、って子どものほうも存立をかけて
いますが、親のほうも本当におっしゃる
ようにつらいことと思います。
この間も書きましたように、今、両親の
人生の聞き書きをしているのですが
その聞いていく中で、どうしてあの時
親はこういう言い方をしたのか、
改めてわかったことがありました。
それから小さいときの育てられ方を聞いて
それから今を考えたときに、自分の親は
子どもを愛していてくれたのだなぁ、と
改めてわかったこともたくさんありました。
それが分かるころは、本当にずいぶん
経ってからのことなのが情けないですが。
自分も荒れてめちゃくちゃだった時期が
ありまして、しばらく実家に寄りつかな
かったのですが、祖母が亡くなって、
そのお葬式のことで実家に戻るように
なりました。祖母が亡くなったのは
悲しいことでしたが、そのおかげで
元に戻った、ということがありました。
本当に子どもの一人立ちの時期は
今にして思えば、親にずいぶんと迷惑を
かけたなぁ、と思いますし、そう思える
今になりました。疾風怒濤の日々は
やがてその嵐がきつかった分、また
おさまった時もきちんと修復できるような
気がします。(自分の場合ですが)
親御さんにとってみれば、子どものことだけ
でなくて、ほかにいろいろな問題が生じる時期に限って、子どもも荒れるし、、という
ようなことに時期的になるんですよね。
 この問題は永遠に難しくて悩ましい
問題だと思います。

Posted by: 謙介 | 14. 06. 12 at 오후 4:53

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