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14. 05. 07

一体これで何度目になるのか(2)

ソウル地下鉄、上往十里駅で事故がありました。


上往十里はもちろんその手前に
往十里という駅があります。
往十里の駅はとても古くて
謙介が持っている日本の植民地時代の
昭和9年に出版された
朝鮮鉄道案内の本にすでに出てきています。

当時の読みは「おうじゅうり」でした。
この往十里の次が清涼里(チョンニャンリ)。

名前は清涼な里、なんてなんだかすがすがしい駅名ですが、
実際はここに売春窟がありましてですね。
とーっても治安の良くない場所で、、、。
謙介は「にゃんにー」と呼んでいました。

ついでに言うとソウルにはもうひとつ売春窟が
ありまして、、それがミアリでした。
こっちは「メアリー」と呼んでいて
「メアリーとにゃんにーは行ったらダメ」というのが
謙介の周囲で言われていたことでした。

上往十里駅。
あの駅は謙介が住んでいた回基洞から
南西に4キロほどの場所でしたから、
なんたってあの辺は生活圏でした。


なので事故の起こった駅名を聞いた時には
え? あそこで? と、思いました。

あの駅の二つ手前、今は東大門歴史文化公園駅
(トンデムン ヨクサ ムナ コンオン ヨク)と
なっていますが、謙介のいたころはあそこに
東大門運動場(トンデムン ウンドンジャン)
がありまして、駅の名前も東大門運動場駅
(トンデムンウンドンジャンヨク)
という名前でした。
 
ここは植民地時代に
京城グラウンドができたことに始まっていたのですが、
謙介がいたころは、野球場とサッカー場がありまして、
その関係でこの辺りには運動用品の店とか
スニーカーショップが軒を連ねていました。

しかも市内の繁華街の明洞で買うよりも、
アジョシ(おっちゃん)に負けてよ、って
言ったら少し価格も安くなっていたので、
ここで、よくスニーカーを買っていました。

ただ、ここは競技場近くの店のせいでしょうか。
完璧に専門店化していました。
ナイ○はナイ○、アディダ○はアディダ○、リーボッ○は
リーボッ○とブランドごとにそれぞれ別の
店に行かねばならず、それがちょっと面倒ではありました。

ソウルの地下鉄、2号線の電車の行先表示に駅名はなくて、
(市庁前行きとか蚕室行きとかいうような)
あのころはただ「スンハン(循環)」とだけ書かれていました。
今では「ネソンスンハン(内線循環)」と若干変わったようですが。

2号線は東京の山手線、大阪の環状線と同じように「循環」路線です。
あの路線は、ソウルオリンピックのメイン会場になった
蚕室とソウル市内を結ぶ、という路線でもありました。

最近では韓国の地下鉄の駅とか、橋梁を撮った写真なんて
いくらでもネット上にアップされていますが、
謙介が住んでいたころは、
地下鉄の駅も橋梁も一切撮影禁止だったのです。
なぜかといえば、この写真が北朝鮮とか中国に流れては
大問題になるから、ということでした。
つまりそういう敵国のスパイが
橋梁とか地下鉄の駅のどこに爆薬を仕掛けたら
爆発して、、、大問題になるのを防止するために
撮影は禁止、と言われていたのです。

ですから、謙介、ソウルに住んでいた時に
鉄道の写真を撮ったのは、ソウル郊外に行った時に
こっそり、撮る、ということしかできませんでした。

地下鉄の事故は衝突後、乗客がドアをあけて避難した、とありましたが
東京の銀座線とか大阪の大半の地下鉄のように
線路際にある第三軌条からの電気取入れでなくて
屋根上のパンダグラフからの電気取入れで
ホントに幸いだったと思います。

線路際に高圧電流の流れる軌条があったら、
余計に危険だったでしょうし、駅員なり乗務員の
避難誘導もなくて、乗客が独自の判断で逃げた、
とありましたから、素人だけでも
線路の上を歩くだけで避難できることになりましたから。

それでも日本では乗務員の引率があるとか
係員の誘導のもとに、ということになっていますよね。

今回はたまたま乗務員とか係員の誘導がないまま
みんな各自に逃げて無事でしたが、
それは偶然、うまくいって、無事だったから、という
だけのように思います。

係員とか乗務員の誘導が適切に行われないと
乗務員に対する信用がさらにさらにどんどん
なくなっていって、みんな好き勝手に逃げるのがいい、
というふうになっていって、
そういうことがまた起こった場合、
パニックを引き起こしたり、将棋倒し
になったりするようなことになると思います。

この間のセォウルの放送がめちゃくちゃで、
船内放送を守って逃げなかった高校生が
たくさん亡くなってしまっていて、
その直後、ということがあったのでしょうね。

でも今回のことが、またそういう係りの誘導を聞かずに
自分の判断で逃げたら助かった、という
方向に意識を強化するすることになってしまって、
こういう事件が将来また起こったら、みんなわれ先に
逃げるようになって、被害をより大きくしないのか、
ケンチャナヨ(いい加減・適当)方向に
さらに意識が強化されたのでは、
という課題が残ったように思います。

韓国で横断歩道を渡ったことのある人は
みんな知っていると思いますが、
韓国の横断歩道は交通弱者が絶対に
渡れないような仕組みになっています。

元気な10代20代の人でさえ、道路の半分まで
歩いていってないほんの短時間のうちに、横断用の信号が
点滅開始になるのです。
歩行者用の信号の青の時間なんて
10秒あるかないか、です。

6車線もあるような道路で、歩き始めて
3分の1くらいきたら、もう点滅です。
若い人でさえ、最後は駆け込んで
渡り終えられるような時間しかなくて、
お年寄りや体に障害のある人が
無事に渡り終えられるか、と言ったら
そんなもの絶対に無理です。

そんな信号で良いものなのでしょうか。


それからソウルのバスは絶対に止まって
くれませんでした。
停留所に来てもバスはドアを開けて
微速ながら動いているのです。
その動いているバスから、飛び降りて、
飛び乗らないといけないのです。
飛び乗らなければ、運転手様に
「はよ乗らんか、こののろまが!」と
罵声を浴びせかけられるのでした。

ですから、こういうすべての安全に対する
意識を改善しない限り、乗れたらいい
渡れたらいい、ということでは、韓国の安全意識の改善とか
今回起こったような事故の教訓がほかの事故に生かされる、
というような根本的な解決にはつながらないような気がします。

それでもまぁ今回のこうした事故でも少し救いはあって、
今まで謙介が20年くらい
ぶつぶつ言ってきた「プロのいないこの国の不幸」ということに
類似した内容の文章が
今回、「危機のたびに「エセ専門家」が横行する国」という
内容でようやっと朝鮮日報の社説になったりしました。
謙介なんかもうそんなこと、
もう20年前もから指摘して言ってきているんですけどねぇ、、。
ようやっと気がついたというのか、、。

今回のこうしたたくさんの命が
失われた尊い犠牲がこれからの
安全対策、この国の考え方の
習熟に少しでも役立ってほしい、と
願っています、が。
(果たしてどうなりますかねぇ、、。)

(今日聴いた音楽 出町柳から 京阪電車の歌
 楠トシエさんの淀屋橋から三条へ、という歌が
 その後の路線延長やら駅名変更でいろいろと
 変わったし、時代もずいぶん経過した、というので
 ちょっと前にできた歌です。 でも、それでも
 もうこの歌のできた時と今では若干の変更が
 あって、時代の速さを感じてしまいます。)

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