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14. 04. 21

一体これで何度目になるのか

この間、韓国で起きた「歳月」の沈没、
(セは歳、ウォルは月の意味です。だから歳月)
本当に心が痛みます。 事態が本当に遅遅として
すすまず、高校生のご家族の方の心痛、本当に
本当にお辛いことと思います。

どのような言葉をもってしても慰めにもならないかも
しれませんが、一刻も早く救助の手が差し伸べられたら
と、それをまずひたすらに願っています。

チョルラナムド チンド  サゴ(事故) というハングルの
報道がはじめて目に入ってきたとき、慌てて記事を確認して
地図を広げて場所を見てみたのです。


うちのブログをずーっとお読みいただいている方なら
もうお分かりと思いますが、

今回の事故が起こった場所から西に30キロ
行ったところが、前にお話した祖父の乗った
船がアメリカの潜水艦に攻撃されて沈没した場所でした。
うちの祖父の遺骸は船が沈んで以来70年になりますが
いまだ深い海の底に船と一緒に沈んだままです。

「歳月」が通常の航海ルートで走っていたなら
祖父の船が沈没した場所の辺を通過していたはずだったのですが、、。
ところがそうではなくて、30キロほどコースを逸脱した東の海を走っていました。


えらく正規の航路から外れてしまっていたようでしたが、
ちょうどその辺って「タトンヘクンリプコンウォン」になっているんですよ。
漢字で書けば「多島海国立公園」。
もうこれだけでお分かりいただけるでしょう。
文字通り島が多いところなのです。

30キロ東の通常とは異なるコースをとってしまったばかりに
島が多いややこしい海域を縫うように
走らないといけなくなってしまったのです。

そういう通常と違った航路の逸脱をはじめとして
今回の事故を見ていたら、
本当にひとつひとつの過程がケンチャナヨ(いい加減・適当)
であって、そうしたひとつひとつの要因が複合的にからまりあった結果
こういう大きな事故になった、という気がしてなりません。


謙介がソウルに住んでいた時にも
聖水大橋の落下、三豊百貨店の崩落
という事故がありました。

あの時にも謙介は「ケンチャナヨサゴ」
(いい加減適当事故)じゃないか、と言ったのですが、
今回も正直言ってこうした前例と原因の深層が全く同じな
 「ケンチャナヨ事故」としか思えませんでした。


ただでさえ経験の浅い航海士、
あの航路の航海すらはじめてだったといいます。

しかし、どういう理由で19ノットの高速で急激な方向転換
なんかしたんでしょうかねぇ、、。

いまだにこの辺が分かっていませんけれども、そんな高速で
方向転換を行ったら、船が、船体がどうなるのか、
謙介のような素人でさえ
そんなことはわかりますけどね。

瀬戸内海を走っていた国鉄の宇高連絡船の
航海速度は12ノット程度でした。
宇高連絡船の下り航路、
宇野港を出港した船は南東に向かって走ります。
そうして高松市の西の郊外、生島町の沖に来たところで
東に方向転換するのでした。

その方向転換するときでさえ、
連絡船は、相当の距離と時間を取って、慎重に曲がって
いました。 瀬戸内海を行き来する船の中には
フェリーボートや連絡船が多数いました。
こうした船は、下に貨車なり車を積んで、
上が乗客という重心のやや高い構造の
船が多かったのです。 だからこそ、の慎重な
操船をしていた、と謙介も経験から思います。

ところが今回の事故はどうでしょう。

操船もケンチャナヨなら、そんな未熟な人間に
全面的に操船を委任した船長もケンチャナヨ。
船内の荷物の固定にしてもケンチャナヨ。
船が傾いてからの船員の行動もケンチャナヨ。


謙介は2008年の12月にこのブログで
以下のようなことを書いています。
(一部再掲します)

プロ意識を持った人間のいない不幸
(ちょうどソウルの南大門が焼けしまった時の話です。)


韓国って、「プロ」っていう存在がいない国だと思う。
いや、こういう言い方をすると誤解する人がいるかも
しれないけどさ。職人気質というのか、ひとつの道で
がんばって何十年とやってきました、っていう存在が
ほとんどいないんじゃないか、って思う。

まぁその裏には韓国の社会構造っていうのが濃厚に
反映されているわけで。儒教国家だから、職人仕事
を卑しい存在、っていうふうに片付けてしまった。
「あんなことは、、」っていうような目で見てた。
だから職人になろうとする人間は嫌々だったし
いつかは職人から脱出してやろう、という意識しか
育ててこなかった。そんな社会で職人気質なんていう
意識が育つはずもない、って俺は思う。
確かに何年に一度、何十年かに一度、びっくりするような
逸材は出たかもしれない。でも、その逸材がやがて
亡くなってしまったら、それでおしまい。

後進を育てる、ということがなかなか出来ない。
加えてそんな後進を育てる、なんていうことは
何十年、場合によったら百年くらいかかって、、
なんてあるかもしれないけど、せっかちな国民性は
そんなものは許容しようとしない。だから
とりあえずそこいらにあるものを、ぱっととってきて
間に合わせで使う。 間に合わせ間に合わせで
ずっと来てるから、統一されたひとつのポリシーが
育たない。上が変わったら180度方針転換
(あ、これは日本もおんなじか。笑)するし。

今回の火事 (謙介註:南大門の焼失事件)
だって、火災に対するノウハウがもうちょっとあったなら、
って俺は思う。消防士が絶えず訓練をして、こういうときには
どういう消火をすればいいのか、身体に覚えさせる、ということを
してこなかった、ということだと思う。だから、あわわ、あわわっていう
ばっかりで消火活動がさっぱりだった、ということだろう。

例えば、日本の奈良の天理図書館では、火災が起こったら
水はかけない。天井から土が落ちてくるようになってる。
あそこは国宝とか重文の資料をたくさん持ってるから、
そんなもの、水がかかって資料がふやけてしまったら
もうダメ、っていうことで水ではなく、土で火を消す、という構造。

こんなふうな建物に応じた細かい防火計画とか
訓練を、ソウルの南大門の所轄の消防署がやっていたか?と問えば
多分俺はやってなかった、と思う。天理図書館あたりで持ってるような
国宝とか重文を消火するための、そうした
消火のノウハウだって知ってたか、と言えばかなり怪しい。
まぁ怪しいからあんなことになったのだと思うけど。

韓国の人の身体能力は確かにすごいと思う。
ひとりの人間がしゃかりきになって動いたときの動きは
すごい、と思う。だけど、自分の仕事にプライドを
持って、たとえその仕事が社会的にあまり報われないような
仕事でも黙々とベストを尽くそうとする職人気質の
気持ちっていうのはない、ように思う。
プロとしての誇りとか自覚といったもの、をちゃんと
持っているだろうか?

俺の住んでいる街でも、結構古くからの店が
ある。多分これを読んでくださっているみんなの
街が古い城下町だったりしたら、その街には創業何百年
っていうような老舗があると思うんだ。

だけど、韓国にはそれがない。
あるのは「セ」「セロウン」(新しい)ばっかり。

由緒のある名店とか名代のなんとか、、なんてない。
店はしょっちゅう変わる。変わるのが当たり前みたいになってる。
だから老舗なんてほとんどない。
ひとつの仕事を、ひとつの技術を、何年にもわたって
引き継いでいく、とか、いうようなことがない。
日本もかなり最近は怪しくなってきたけど、
韓国は最初からそういう意識もない。

確かにセも大切だけど、もうその一方で「成熟」というものを
そろそろ考えるべきときにきているんじゃないか、って思う。
そういう時に、絶対この「プロ」っていう集団が必要になると
思うんだけどねぇ、、。
今回の南大門の火事のニュースを見てて、謙介は
そんなことを思ってたんだ。

(再掲終了)


ということを書いたわけです。
そこにも書きましたが、
韓国って「結果」を重要視する国です。

そうして途中の過程を全然大事にしません。
どうしてこのようになったのか、
なぜこんなふうになったのか?
そんなものはどうだっていいのです。
とりあえず、目に見える「形」ができていたらオッケー。
結果オーライの国です。
とりあえず最終的にできたらいい。

「金メダルをとった」
「何階建てのビルを建てた」
「高速鉄道を走らせた」

すべて「~した」ということが大切なのです。


日本人もかつては失敗から学ばない、
と言われてきましたが、いろいろな対外的な
経験を積んできて、あの時、どうして失敗したのか
じゃあ、今度はどうしていけばいいのか、ということを
少しは学習するようになりました。

こういうふうにやったら、こうなったから、次は
こうしてみた。そういう試行錯誤を大切にするように
なってきました。
現場でいつも言われることは問題点の共有化という
ことですよね。どうして失敗したのか、
どこに問題があったのか、そういうことを
ひつこく検証する、ことをしてきました。

そういう成果を出すためには「こういう考え方、こういう技術が必要で、
そのためには~いう技術を開発していかなければ
ならない」というような過程をあの国は全然大切にしてこなかった
のです。 

いつも間に合わせで「できた」ということだけ大切にしてきた
ように思います。

だから「三星(サムスン)の携帯電話はできました、
でも主要な部品は日本製です」というようなことになっているのでしょうし、
先日のソチ冬季五輪の韓国の報道を見ても
「金メダル」をとることばかりがクローズアップされたみたいになっていた
気がしました。

韓国のマスコミだって例によっていつも同じ報道です。
こういう大事故が起きたらすぐに「国恥記念日」にしよう
と言っていますが、そんなもの、聖水大橋の崩落の時だって
三豊百貨店の崩落の時だっておんなじことを言っていました。
謙介は「ああまた言ってる」としか思えない。

そうではなくて、どうしてこうなったのか、
そこにはどういう人的な問題があったのか、
その課題を解決するための方策として
どういうことがあるのか、
そうしたことをひとつひとつ検証して
その課題をひとつひとつ考えて改善策を実行しないと
これからも何度もまたこんなふうな人災事故が起こると思います。

でもまぁこの辺は日本もあまり言えないのかもしれません。
不景気を盾に、リストラをして、できたかどうか、達成した
かどうか、成果ばかり即戦力の人材ばかりを言うようになって、
長期的視野で見た人材の育成とか、過去の経験に学ぶような
層の厚い研修を忘れかけていますもんね。


謙介、と、まぁこういうふうなことをもう20年くらいずーっと
韓国の友達に言い続けているのですが、、。

(うちのブログをお読みのみなさんだって
謙介のこんな話、あのおっさん、また言ってるわ、
っていうようなものでしょう。 )

でも、もう20年以上になりますが、そういうところ
全く改善がなくて、いつもお決まりの対応です。


事件が起こる⇒パニックになる⇒焦って思考停止
⇒責任追及の声が上がる⇒さらにパニックになる⇒
何とかかんとか事故の片づけはする
(そのころには国民はもう忘れている)
ですから、その後、改善策としてどうしたのか、
どのような実効的措置があったのか、と、言われたら
何もありません。

で、結局善後策のないまま、それこそ「セウォル」ばかりが経過して
また類似の事故が起こる、ということになるのでしょう。
この繰り返しです。

今度のこの文章、ちょっと怒り気味の書き方ですが
だって20年以上ずーっと言ってきて、またこれですからねぇ、、。

韓国語も「記憶」は「キオッ」です。
いい加減学習して、こうした過去の犠牲の記憶を
後世に活かして、事故を未然に防ぐことができるように、と
願うばかりです。

 

     ×      ×      ×

あの船ももともと日本の船だった、
ということですね。

以前にソウルに通っていたとき
どうしても飛行機の便が取れなくて、数回
フェリーとかJR九州の高速艇 ビーグルで
釜山港に行ったことがありました。

その時に、港を見て、「あれまぁ」と思ったことが
あったんです。
というのが、謙介が離島勤務をしていた時に、
目の前の海を走っていたフェリーボートが大挙して
釜山港に停泊していたのです。

こちらは毎日その船体を見ていましたからね、ハングルの書かれている
外装になっても、忘れるはずも
ありません。
「おまえたち、ここにいたのか? 」とびっくりするやら
懐かしかったやら。

ああ、ここで第二の人生を送っているんだな、と
思って、しばらく船のデッキから
見覚えのある船体を懐かしく眺めたことがありました。

あの歳月、もそんな船だったのですね。

へやんきょんちょる(海洋警察)も懸命なようですが、、なかなか、。
一刻も早く、救援活動が本格化すればいいのですが。


(今日聴いた音楽 珍島物語 歌天童よしみ
 前にも書きましたが、この歌は離れ離れになっている
 家族を思った歌です。 作った時は、おそらく北の
 離散家族、ということだったのでしょうが、、。)
 

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車が乗って直ぐ出航した→いいの?コスメも流行高級ブランドならいざ知らず数百円の外国製を使うなんてと某Dr.美容整形も儒教の国なのにいいの?形成外科でも以前の状態にというのは難しいようで、美しくなりたいという願望は否定しませんが。
4月歌舞伎座幸四郎さんセリフが聞き取れない大分お疲れでは?昼・夜舞台に立つ必要?松竹の意向?特定の人に過度に負担が掛かるのは・・・三津五郎さんも無理してないでしょうか?仁左衛門さんも復帰されるみたいですけど。猿三郎さん入院されたようです、公演回数増加→役者に負担→体調崩す→最悪亡くなる→他の役者に負担 ループですね。究極の節税システムが綻びはじめたコ○ドなんて本20年以上前に書店で見たのですが、某雑誌に映画・不動産の赤字を歌舞伎の黒字で穴埋めする松竹。
松竹ゴ○ブリ並みにシブトイので頑張るんでしょうよその必要ないのに。歌舞伎ファンの方が次は壱太郎さんが翫雀襲名ではと予想、やりかねないです求む良心的会社が松竹に変わり歌舞伎に携わる事を!もう100年関わっているようですが手を引く気はないのかしら

Posted by: ゆき | 14. 04. 24 at 오후 10:20

---ゆきさん
お返事がすっかり遅くなってしまって
申し訳ありません。 
そうなんですよ。このフェリー遅れて
インチョンを出港したわけです。
その間際までトラックを載せようと
していた、ということです。トラックの場合
は、通常であれば、何日の何便、というふうに予約をして載せますから、
遅れた出航間際までトラックを載せる、
なんていうことはありえない話です。
もうここからすでにしてケンチャナヨの
極みでは、と思います。
歌舞伎の大看板の方々の体調が
本当に心配です。特に三津五郎さんのことに
ついては、がんセンターの内科外来の
待合室でもよく話題にのぼります。
謙介の主治医が胆肝膵の先生なので
膵臓が悪くて、ここに通院してきて
いる、という方も結構おいでですから。
「大丈夫かねぇ、身体を酷使するのが
一番よくないんだけどねぇ。」という
声がやはり多いです。1年くらいお休み
して、体調をしっかり良くしてから
出てくるべきなのに、数か月休んだ
だけでまた出てくるのは、いくらなんでも
ひどすぎ、という話が出ています。
本当に役者をこき使って文字通り消耗品
としか思っていないような会社、
全く話になりません。役者さんあっての
公演だし、公演あっての興業でしょう。
役者の命を縮めるようなことばかりして
一時はそれでいいでしょうが、、
そのうち誰もいなくなった、という
ことになるのではないでしょうか。
本当にゆきさんの御心配の通りだと思います。

Posted by: 謙介 | 14. 04. 27 at 오후 10:10

---タウリさん
こんばんは タウリさんこそ、ブログを
拝見しましたら、公私ともに大変な状況
なのに、こんなふうにお見舞いの言葉を
くださって、なんと感謝していいか
わかりません。ありがとうございます。
毎週、定期診察・注射の時に、
副作用について、(何とか我慢できそう
なものは言いません。どうしようもない
ものだけお話するようにしています。)
ご存知のようにソブリアードは、まだ
認証されて日も浅く、副作用データの
蓄積もまだあまりなさそうで、、
こういう副作用が出ます、と
訴えても、なかなかそれを改善する
というまでにはいかない感じです。
それと副作用がいろいろとあって、
対処療法的に、薬を処方してくださるので
リバビリンとソブリアードは別として
副作用のための薬が10種類くらいあって
毎回、「お薬手帳」を見ては、
飲み方を確認しながら飲んでいる、
という感じです。 とはいえ、明後日で
ソブリアードを飲み始めて10週が
終わります。もうちょっとで折り返し
地点に来るなぁ、と思うと、ちょっと
ホッとしています。 いつも
本当にありがとうございます。

Posted by: 謙介 | 14. 04. 28 at 오후 10:50

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