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14. 04. 06

無謀なる、しゅららぽんツアー(その2)

あの3月末の旅行ですが、
今となっては、やはり行っておいて良かった、と
思います。 

というのが、4月2日の水曜に
主治医の診察があって、採血の結果を教えて
いただいたのですが、前回よりもっと白血球も
ヘモグロビンの数値も下がっていて、とうとう
激しい運動は厳禁、と言われてしまいました。

旅行の疲れが出たのか、
薬の副作用がさらにきつくなって血液中の組織がどんどん
減ってしまったせいなのか
理由はわからないのですが、

ここ数日何をするにも億劫で、何かをするのに
よいしょ、が要るようになってしまいました。

それでも仕事場ではまだ気も張っていて、
それなりにしなくてはならない、と思ってやったりしているのですが
家に帰ったら、もうお湯を沸かすためにレンジのところに
いくのでさえ、面倒だなぁ、と思うくらいで、、。身体の
動きが急激に悪くなってしまいました。
こうして記録を打ちながら、
あの旅行、よく行っておけたなぁ、と思いましたし、
今はもう無理になってしまいました。


       ×       ×

竹生島から彦根港に戻ってきたのが、1時半でした。
そこからお城近くのキャッスルホテルに移動して
お昼ご飯をいただきました。
お昼は2時まで、と言われて
急いでいただいたので写真がありません。

最初の予定では、彦根に10時過ぎに着いて
お弁当を買って船に乗って、竹生島で、外のベンチに座って
お弁当を食べて、 それから彦根に戻って行きたかったお菓子屋さん
(三中井)へ行って、ケーキを買っていただく、という計画だったのですが
それはあえなく変更となりました。

彦根城は前に行きましたし、すでにもう2時を過ぎて
いたので、時間もありませんから次の札所、
五個荘の観音正寺に行くことにしました。

五個荘は大学の時の友達がいますし、
謙介が言語学を習った先生のお家もあるので
以前から何度か行ったことがあって、
滋賀の中でもなじんだ場所のひとつです。

実はその言語学の先生に謙介、ソシュールを
習ったんですよ。


ここ五個荘にはヤマトタケルを祀った建部神社というお社が
あります。ヤマトタケルの伝承が今に至るまで
残っているのは、おそらくは建部氏の
氏族伝承として建部氏が代々伝え
そうしてその伝承を広めたから、という部分が
あると思っています。
それに伊吹山だってすぐそこですし。
(まぁそれは専門のことなのでここでは
詳しくは触れません。)

道路の標識の地名を見ながら改めて思ったのですが
ちょっと前の広域市町村合併で、今までなじんできた
地名がどんどん変わってしまったことは、本当に残念で
なりません。

五個荘も、周辺の八日市市とか永源寺町、
愛東町、湖東町と合併して東近江市という市になってしまいました。

でも、五個荘のほうが歴史的な由来もありますし、
おそらく住民の方の地名を残してくれという
要求も強かったのでしょう、東近江市五個荘という
住所表記を見てそんな気がしました。

彦根から五個荘までは、国道8号線を走ったのですが、、
もう彦根市内の8号線は渋滞しまくりで、、結局
観音正寺に着いたのは、彦根から1時間ちょっと
かかって、3時20分くらいでした。


五個荘は近江商人で有名なところで
その資料館とか、旧家を開放した施設もあって
いろいろと見たかったのです。それから作家の
外村繁さんの記念館もあって、そこにも行きたかったのですが、
それはまたいつか謙介一人で来た時にすることにして
今回は西国観音霊場めぐりを優先です。

両親は高齢ですし、長距離を歩く、というのもこたえるので、
来たついでにほかのところをあちこち見て回る、ということも無理です。
なので、ピンポイントで札所だけ行って、お詣りをして御朱印をいただく、
ということを優先で行います。

ただまぁ、それだけではあまりに寂しいので
途中、琵琶湖が見えるところで車を停めてみたり、
なるべく食事は、いろいろなお店に行って、
ちょっと目先の変わったものを、ということは
考えます。
今回も広い琵琶湖を見せることができて
両親もその大きさに改めて驚いていました。

こうした「驚く」というようなことが生活の中での刺激になって
くれたら、と思っています。


五個荘の集落からちょっと北に行った
ところに観音正寺への登り口があります。
最近ではどの札所も足元のおぼつかない
お年寄りの参詣が多いので、すぐ近くまで
車で行けるようになっているのはありがたいです。

うねうねと細い山道を登って行って、
山頂の駐車場に着きました。
このお寺への参詣は、謙介の場合は自家用車だったので
問題はありませんでした。 

ただ団体客の場合、途中の道が細いことや、
山頂の駐車スペースが大型バスが駐車できて、
方向転換できるような余裕のスペースがありません。
おそらく小型のマイクロバスが団体客を運んで
登れる限度かなぁ、と思いました。

実際、謙介が到着した時も団体客の人たちが
お詣りを終えて駐車場に戻ってきたところでしたが
彼らは5台ほどのタクシーに分乗してここまで
来ていたようでした。


駐車場からさらに歩くこと15分ほどで観音正寺
に到着です。
琵琶湖の岸に立った山にあるので、
このお寺からの見晴はとても良かったです。

Kannon1


本堂からの眺めです。
Kannonn2

ただ、残念なことにこのお寺の本堂は平成5年に
焼失し、平成18年に再建された新しいものでした。
正面の額の字「繖山」は「きぬがさやま」と書いてあります。
観音正寺の山号でもあり、
この観音正寺の建っている山の名前でもあります。
Kannon3_1

駐車場まで戻ってくると、言語学の石馬先生のお寺の
宣伝看板がありました。 この看板から
ソシュールの言語学との結びつきはちょっと
考えられにくいですよねぇ。
その石馬先生も6年ほど前にお亡くなりに
なってしまいました。まだまだ長生きして
いただきたかったのですが。

Genngogaku

観音正寺を4時前に出発して、名神の八日市ICから高速道路に
乗りました。 相変わらず瀬田の辺で、渋滞していましたが
それでも5時過ぎに山科の京都東ICを下りることができました。
問題は山科から京都市内までなんですよ。

この山科の辺、もう慢性的にずーっと渋滞しまくりなのです。

山科へは予備校に教えに行くバイトで、しばらく通いました。
あのころは京都の西の端から東の端まで行く、
ということで、大旅行をした、という気分でした。 

国鉄の花園から山陰線に乗って京都駅まで行って、
ここから東海道線で山科まで。さらにそこからバスで、、
というコースでした。 
今は右京区からですと地下鉄東西線に乗ってしまったら
山科まで1本で行ってしまえます。

山科も謙介が通っていたころは、それでもまだ田畑がちらほらと
残ってはいたのですが、今ではもう、建物がびっしりと建っていて
のんびりとした郊外の山里のイメージはありません。

混雑する道路を通って
山科から蹴上の都ホテルあ、ちがったウエスティン都ホテルだった、
の前を通って、東大路三条に出ました。
ここで左折してちょっと南に下がると
もう自動的に知恩院の前に出ます。
知恩院の山門です。西陽があたってすばらしい眺めでした。
 
Chionin1


今回の宿泊は知恩院の「和順会館」です。
Wajyun1

と、書くと、もうこのブログをお読みの方は、なんとなく
おわかりいただいたのではないでしょうか。
前回の宿泊が西本願寺の聞法会館で
その前の前が妙心寺の花園会館で、、。

そうなんです。お寺の本山の宿泊所ばかりなんですよ。
どうして今回はここにしたのか、といえば
和順会館がリニューアルをしてきれいになった、ということ。
それから、本山のお寺は大抵広大な駐車場があって、
宿泊の駐車には困らない、ということ。

それからもちろん、本山の補助が出ますから
宿泊料金が比較的安い、ということ。

高齢の人が泊まる場合が多いですから、和室が多い、ということ。

それからもうひとつ。
この宿舎のとなりが円山公園!

京都で隠然たる力を持っているのは、
諸芸の家元とお寺とやくざです。
ですから、宿泊する場所を探す時には、
まぁやくざは置いておいて(笑)
こうした本山のお寺の力を借りると、
割といい宿泊所が
見つかる、ということがあります。

で、ウエブ予約だってできますが、
宿泊所には直接電話をして予約をしましょう。
ウエブからの予約のように
〇天とかじゃら●のポイントは付きませんが、
ウエブ上で満室、と表示が出ていても、実際に電話して
きいてみると実際は部屋があったりします。しかもウエブ上より
さらに安かったりします。

この日の夕食は、旅館で摂らなくて、
知恩院山門から北に200メートルほどいった
蓮月茶屋で「おかべ料理」のコースをいただきました。

まぁ200メートルくらいであれば、そうしんどくもなく
歩けるかなぁ、と思ったのと、京都らしいところ、
というので、ここにしました。
Rengetu2_1
しかし、知恩院のあたりは、円山公園にも近く、夜は交通量が減るので
観光バスの駐車場代わりに、この辺にバスが何台も
縦列駐車をしていたのですが、降りてくる人全員
中国人ばかりで、両親もさすがにびっくりしていました。
こんなに多いとは! と何度も言っていましたから、
よほど印象が深かったのでしょう。


「おかべ」というのは京都の宮中の女房言葉で「お豆腐」のことです。
幕末にいた蓮月尼さんが、知恩院の門前で好物の
お豆腐の料理と甘酒の茶屋を開いたのがその
はじまり、と言われているお店です。
昼も夜もお豆腐料理のコース1品だけ、です。

一部紹介しますと、
最初は、、真ん中の桜の生麩が乗っているのが滝川どうふ、
右のちょっと緑がかったのがかにみそどうふ、
真ん中下の黄色い中ちょくの中に入っているのが麩の時雨煮でした。
写真には出ていませんが左上には湯豆腐の土鍋がありました。

Rengetu3

これは生麩のお刺身。
Rengetu6

生麩の田楽
Regetu5

ごはんが出て
Rengetu4

最後にデザートで桜餅が出ました。
途中まだ何品かお料理が出たのです。 がんもどきの炊き合わせとか、、
ちょっと写真を撮っていなかったので省略しました。
Rengetu7_2
一品一品が美しくまた目先も変わった調理法で、
それぞれ目にも楽しくいただくことができました。
(でも、謙介、正直を言うと、薬の副作用で全然味がしなかったのです。
 でもまぁ両親は、おいしくいただいていたようだったので、良かった、と
思いました。)

ご飯をすっかりいただいて店を8時半に出ました。
帰る前に円山公園に寄って帰ることにしました。

名物の枝垂桜は、この時、まだ3分咲き、くらいでした。
Maruyama1

京都にも桜の名所は山ほどありますが
平野神社、鳴滝の嵐電の線路沿い、嵐山、平安神宮、、
嵯峨の大沢・広沢の池、、
まぁその中でもやはり知名度で言えば、円山公園のような
気がします。
どうせ花の時期に京都に行くのですから、
やはり一番豪華な桜を見せたい、と思って
円山公園の横の旅館にしたのでした。

両親も今回の旅で円山公園の桜を見ることができて
良かった、と言ってくれたので、わざわざここに宿泊して
良かった、と思いました。

そういうことで無事に1日目が終わったのでした。

(今日聴いた音楽 江州音頭 歌 木村新平
 滋賀県犬上郡甲良町尼子で収録 1993年
 復刻日本民謡大観所収 この辺は山をひとつ
 越えたら伊勢ですから、伊勢音頭の影響が
 非常に大きいのですが、これは、そうした
 影響のない、純粋の江州音頭なのだそうです。)


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Comments

謙介さんこんにちは。

桜の季節に良い親孝行をなさいましたね。

早く服薬が終わって美味しいものが美味しいと感じられるようになりますように。

先日昔の朝鮮にも「必殺仕置き人」のような役職があるとしりました。
水戸黄門みたいに旅をしていろんなところの不正を暴くのですが、イケメンさんが主人公でドラマにしたら、ものすごい視聴率でしょうね。

Posted by: ラジオガール | 14. 04. 07 at 오후 2:19

円山公園の桜、素敵な写真ですね!
去年、夜桜見物で私が行った時は、周囲の屋台から煙がモクモクでていて、酔客が大声で騒ぎ、情趣のかけらもなかったです。写真のほうが落ち着いて眺められそうです。
市町村合併で、安土町、虎姫町、余呉町、伊吹町などがなくなりました。特に安土は安土城があり、近江八幡市と合併した今でも合併の賛否が住民間で分かれているそうですよ。

Posted by: mishima | 14. 04. 07 at 오후 5:58

---ラジオガールさん
李氏朝鮮時代は、儒教の硬直化した時代
と思われているのですが、王様が
統治能力がない、と両班階層が
見切った場合は、その王様を
無理やり退位させて、別の系統の人を
据えたりしています。 結構そういう
意味では民主的な部分もあったのかなぁ
とも思います。
李氏朝鮮の場合、中国の
提刑按察使司按察使とか刺史といった
制度を参考に地方の監察官がおりましたので
そうした役職の人が、地方の不正を
監督していた、と思います。
ドラマなんかにしたらいいでしょうね。
不正を暴く隠密監察官、とか
かっこよさそうですね。
旅行、やはり若干の無理はありましたけれども、行っておいてよかった! と思いました。

Posted by: 謙介 | 14. 04. 07 at 오후 10:41

---mishimaさん
円山公園、行ったのが金曜だったのが
良かったのかもしれません。
土曜日だったら、本格的に鉄板を持ち込んで
焼肉の煙もうもう、ということに
なっていたかもしれません。
見ていましたら、公園内にお店があって
そういうところが焼肉とか売っているので
そういう煙が出てしまうんでしょうね。
せっかくかがり火とかあるし、
ブルーシート禁止にして情緒を
出そうとしているのに、そういうところ、
考えたほうがいいのかもしれません。
松山では道後公園内の焼肉、来年度から
禁止になるそうです。
市町村合併、なかなか難しいですね。
歴史的地名を選ぶか、
名を捨てて経済的安定を選ぶか、
本当に難しい。そういうことで
明日香村とか、香川の琴平町、
善通寺市は合併が不調に終わったことも
ありますし、、。これもまた難しいですね。

Posted by: 謙介 | 14. 04. 07 at 오후 10:47

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