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14. 03. 11

明日

ここ数年のこと、時間を見ながら、
父方の祖父の最後の状況を詳しく調べてみようと思って、
あちこちと資料を集めてまわっています。

オヤジも高齢となり、今、いろいろと聞いて残しておかなければ
永遠にそのことはわからなくなるような気持ちではじめたことです。

少し前に地方気象台に行って、祖父が亡くなった日の
天気図をもらってきた時のことを書きましたよね。
それから数年前と去年は神戸の戦争で亡くなった船員の
ための資料館で、資料を見せていただきに行ったりしました。

祖父の場合、たまたま乗船していた船を攻撃した
アメリカの潜水艦と、その艦長が有名な人だったので、
アメリカ版ウィキベディアにも、その潜水艦が攻撃した時の
詳細が書かれて残っていました。

記録では、わずかに数行、何時何分に魚雷を発射して
そのうちの1本が当たって、その船は沈没してしまった、と
書かれておりました。


記録ではそうありました。


しかし、そんな無味乾燥な戦時記録とは別に
人にはその人の人生があったはずです。
喜怒哀楽の感情だって、もちろんあったのです。

その魚雷が船に命中した時に、船底の機関室にいて
そのまま沈む船と運命を共にしなければならなかった
祖父の最後の気持ちはいかばかりであったか、ということを
ずーっと考えているのです。

そうした極限状況に置かれたとき、祖父は
どんなことを思って、何を考え、海中に没していったのか
それは想像するしかありません。


できる限り状況を
調べることで、少しでも想像を現実に近づけたものにしたい、
と願っています。

文学部出身の人間は、やはり「ひとのこころ」を
考えて想像しようとしてしまうのです。


どうしてそんなことをやっているか、と言えば、
その魚雷一発によって祖父は
それ以降の人生を突然に断ち切られてしまい、
終焉を迎えなければならなかったからです。

生きていたら、どんな人生を送ることができていたのか。
謙介にとってどんなじいちゃんになっていたのか
どんな話をしてくれたのか。

まだ「じいちゃん」というには若すぎる、
44歳で急に死んでいかざるを得なかった
祖父の人生について、後に残った孫として
その最期はどうであったのか、
そこが是非に知りたい、と思ってずーっと資料に
当たってきているのです。


そうして今日。

あの地震直後に襲った津波で助からなかった方々が
亡くなる間際に思った最後の気持ちはどうだったのか?


謙介の中では、

「そこで」不意に人生を終えなければならなかった
人の気持ちはどうだったのか、という一点で
祖父の人生の上に、被災して亡くなった方の人生を
つい、同じように重ねて見ているところがあります。


『花は咲く』の中にもこんな歌詞があります。

 傷ついて 傷つけて
 報われず 泣いたりして
 今はただ 愛おしい
 あの日々を 思い出す


確かに戦争と天災では違う部分もあります。


おそらく祖父は
「いつかはアメリカの艦船に襲撃されるだろう」という
予想もしていたでしょうし、
戦況不利な状況で日に日に
日本の艦船・商船が喪われていく中で
祖父もそういう覚悟は持っていたことは、
持たざるを得ない日々であった、ということは
想像に難くありません。

祖父の身に起こり得たことは
ある程度の予想はできたこと、なのかもしれません。

それに対して、あの大震災は何の前触れもなく
突発的にやってきました。

そういう違いはあるかもしれませんが、


でも、

不意に、突然に、そこで、人生の終幕を迎えざるを得なかった、
人生を終わりにしないといけない時がきてしまった、というときの
人の気持ちはどうだったのか、と想像するとき
謙介の中で、その二つの人生は
やはりひとつに重ねられて考えてしまうのです。


今回祖父の船をいろいろと調べて行く中で
意外な資料に祖父の船名が出てきて
ちょっと驚いたことがありました。

『横浜市史』です。

関東大震災の時に、東京と横浜の間の
さまざまな物資の輸送にあたったのと、
祖父の船が指揮官の乗船した船として
輸送計画を指揮し、他船の指導を行ったのだそうです。

そういうことで、横浜市史の中に
祖父の船が「特に」と記述され、その活躍は
素晴らしかった、とわざわざ記述をされておりました。

明治40年代の船でしたから大正12年は
まだ建造後、十数年しか経っておらず、当時の
新鋭船として活躍したのでしょう。

そうした新造船がそれから二十年後、
魚雷に当たって、爆破沈没するような
最後を迎えることになってしまったのです。

祖父にとっての7月2日、
あの地震で亡くなった方の3月12日は、
普通であれば、当たり前のように来たはずの日でした。

しかし、----。


来るはずであった「明日」は、3月11日で
すべて断ち切られることになってしまいました。

謙介の親しい友人、仲の良かった同僚で、治療法のない
病によって、すでに20代30代で亡くなってしまった人が、
7人ほどいます。

その人たちのために自分が長生きしたい、
というのは傲慢な言い方のようにも思っています。

でも、それでも、人生を大切にして、
生きられるだけ最後まで頑張って生きる、
ということが、残った者の責任かもしれない、
とは少なからず思っているのです。

若いときなら、明日の来るのは
全然不思議でもなんでもなくて当たり前のことでしたし、 
明日が来るのを疑うなんて
全然想像もつかなかったことでした。


それが年を経るに従って、自分のできる限界、
ということも分かってきますし、
目下治療中の病気と言うものや
そうして今までに亡くなった人たちが謙介に黙って
教えていってくれたことがありました。。

今日の次の明日が来る、ということは
決して当たり前のことではないのだよ、と。

あの日から3年、
まだ3年、もう3年、
あれから時間が停まったままの空白の日々。

機械的にカウントされていく暦の推移とは別に
個人的な時間の流れは、本当にその人その人で
全く違っているのではないか、と思います。

震災対策とて、故郷を遠く離れ
この四国にさえも移ってきた方が
600名も今なおいるという事実。
そうして帰る目途もいまだに立っていない。

がんばろう、とスローガンでは言っても
歳のことも身体のことも経済的な状況のこともあって
がんばれない人だって大勢おいでです。
本当に先のことが読めない今。

そんな今を生きている自分に
何ができるのか
何をしたいのか。
まだまだ試行錯誤は
続きます。

それでもせめて
生きて、ひとつでも。
自分はああ生きたなぁ、と思えるものを
残しておけたらいいなぁ、と願い、
切に思います。


そんなふうなことを思いながら、
今日1日を過ごしていたのでした。

(今日聴いた音楽 『愛子』 歌 五輪真弓
 1973年 この愛子さんは作家の佐藤愛子さんの
 ことです。


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Comments

今頃になって、この記事へのコメントを、まずはお許しください。

お体の具合、治療の方はいかがでしょうか。
いろいろ心配ですが、まずはご自分の体調を優先してくださいね。

> 今日の次の明日が来る、ということは
> 決して当たり前のことではないのだよ、と。

僕は謙介さんのこの言葉をここ数年、絶えず感じるようになったのですが、最初のうちこそ、そんなことを考える自分がうっとうしかったりもしました。でも、今ではそのことを頭で、心で、そして全身で感じ取れることがいいことなのではないかと思ったりもしています。
そうすることで、僕は『ありがとう』とか『ごめん』とか、自分に素直になることが増えたし、いろいろなことを後回しにすることが少なくなりました。会えるのなら会おう、という機会も増えました。

そして今、そんな時間がとても楽しくて愛しくてたまらなく感じています。
謙介さんにも、そして僕にも、そんな時間が長く長く続くといいな、と、この記事を読んでそんなことを考えました。

拙い文章で言いたいことの半分も伝えられていないような気もしますが……

新薬での副作用のつらさが少しでも軽減されることを祈っています。

Posted by: takenii | 14. 03. 28 at 오후 2:51

---takeniiさん
 takeniiさんのブログの更新は、毎回楽しみに拝見させていただいているのです。猫ちゃんたちとの暮らし、本当にうちだってそうなのです。(うちは両親なのですが。)もう高齢なのであちこち体の不調が二人ともあります。もう無理はしなくていいので、穏やかに毎日過ごしてもらったら、と思っていますが、それでもやはり、「病院なんか行かない。」とかオフクロが言ったら、「ちゃんと行ってみてもらって、悪いところがない。というふうにお医者さんに言ってもらったら安心するでしょ。」と大声で怒鳴るように言わないといけないこともあって、怒鳴ってしまってから、その都度自己嫌悪になったりします。

でもやはり子としては、穏やかに過ごしてもらうには、やはり細かい体のメンテナンスは欠かせない、と思うので、通院はしてほしいのです。takeniiさんの文章を拝見していたら、本当にそうなんですよね、と思うところが多々あります。これは、やはり「そういう時期にある」ということなんでしょうか。

金・土・日、と両親を連れて近江に行ってきました。無謀な企て、という気がしていたのですが、インターフェロンの減量がありまして、やや体調が回復してくれたので、何とか行くことができました。自分の先だって、両親の先だって分かりません。 ですが、とりあえず今は何とか大丈夫そうだったので、思い切って行きました。無事に帰ってこれて本当にうれしかったですし、安心しました。この珍道中のゆくたてはまたご報告したいと思います。
いつもあたたかいはげまし、本当に感謝です。

Posted by: 謙介 | 14. 03. 31 at 오전 8:50

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