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14. 03. 09

梅ちゃんせんせい

えー、謙介が大学の時に宗教学を習った
梅ちゃんせんせいが「おげいじゅつしんちょう」で
特集です。


Umechan


せんせい、今年で90歳におなりです。

ご本人もこの雑誌の中で
ここまで生きられるとは思わなかった、と
お書きですが、、、。
謙介も正直なところ、そう思います。

というのが、授業の時なんですが、、
いつもふらふらーっと教室に入ってきて、教卓に両手を
ついて体を支えながら、(これだけでも相当に疲れた感じ)

そのうえ本当に疲れ果てたように
もう言葉をひとつひとつ体内から振り絞る、
という感じでお話されていて、
思わずいつ倒れるだろうか、とか
ドキドキしながら授業を受けていたのです。
結局お元気で
最後までご担当していただきましたけれども。

でも、せんせいが担当になると決まった時は
びっくりしました。 友達がシラバス見てみ、って
いうから、家に帰ってシラバスを見たら、
宗教学担当梅原たけちゃんとなっていて、、、。
高校の時に『隠された十字架』を読んでいた
謙介は、大学にきて、「うわ、あの本を書いた
せんせいやんか。」ということでちょっとびっくりしたのでした。

しかし、それにしても、あれからもう、うん十年経つんですねぇ、、。

冷静になって振り返ってみれば、
せんせいも90歳になったし、
大学生だった謙介だって、
あなた、いい年をしたおっさんになってしまった
わけですから、年月は確実に流れた、
というわけでしょう。

実はひそかに思っているのですが、
うめちゃんせんせいが長生きできたのは、
せんせいがあくまで哲学界・思想界の傍流にいて、
中心には決してならなかった、なれなかった、
からじゃないかなぁ、と
謙介は想像しています。 

謙介が習った時の先生の身分だって
京都芸大の先生で、謙介のいた大学には
非常勤講師として来ていた、ということでした。

芸大の先生が悪いとかいうのではありません。
でも、先生が、哲学であればやはり中心となるような
文学部在籍の先生ではなかった、というところに
先生の置かれた立場、というのを謙介は「見た」ような
気がしたのです。

せんせいは、たまたま外野に居た、
それが、文学部の先生に対する対抗意識になって
くそ! っていうメラメラと燃えるものが生まれて
先生を長生きさせたのではないのかなぁ、と
想像したりするわけです。

ここ何十年かせんせいは親鸞のことに
ついてお考えで、その一つのまとめる方向として、
今回の特集も組まれているようです。

今回の特集だってですよ、
岩○の思想とかいような思想・哲学史、
または大法○といった仏教雑誌ではなくて
げいじゅつしんちょう、という雑誌というところがねぇ、、

思想史・宗教史から離れたところにいるせんせいの
立ち位置がなんとなく分かったり、、、します。

上の写真の見出しをよく見てください。
「大胆宗教ロマン」と書いてあります。

もし、せんせいの親鸞論が
正統の哲学史・宗教史の位置づけであれば
「大胆宗教ロマン」なんて銘打たれるはずはないのです。

もし、仮に大谷大○なり龍谷大○の先生が親鸞について
書いたとして、「ロマン」なんていう表現はたぶん
出版社も付けない、と思います。

つまりは「梅ちゃんせんせいの想像の産物ですよ」と
いうことを暗に表示しているわけですよね。

謙介はそれはそれでおもしろい、と
思うのです。

前々から言っているように、日本の仏教は二重構造に
なっています。つまり、ゴーダマさんの提唱した仏教とか
仏教系の大学で研究されている仏教学と
民間信仰としての仏教の間には大きな溝があります。
溝なんていうようなものではなくて
はっきり言って別物と言っていいでしょう。

もうすぐ春のお彼岸ですが、本来の仏教にはお彼岸なんて
存在しません。お盆だって存在しない。
あれは日本の民間仏教の想像の産物です。


でも、そんな中で鎌倉の新仏教は、そうした伝統的な
仏教から、民衆の中の仏教へ、と足元のスタンスを変えて
出てきた仏教です。ですから、民衆の信仰ということに
軸足を重く置いています。

そうした仏教指導者のひとり、親鸞さんについて
宗教史・宗門史の中の親鸞さんではなくて、
僧でありながら妻帯をし、他方で宗門の教化につとめた
ひとりの人間の営みとしての親鸞像、
とでも言えばいいのでしょうか。

今までの親鸞像とは全く違った
うめちゃん流の親鸞像が生まれるであろうことは
想像に難くありません。


まぁそれをして専門の学者は
「色物」と言って批判するわけですが。(笑)

でももう、うめちゃんせんせいはそんなこと、関係ない、
と思っているはずです。それより自分の書きたいものを
書きたいように書く、もうそれだけ、しか眼中にないのでしょう。

話は変わります。

小林秀雄は最晩年に「本居宣長」を書いたわけですが
それを読むと、そこに書かれた彼の文章からは、

「もうこれでおしまいだかんね。 
書くこと、書きたいことぜーんぶ
これに放り込んでしまうからね。
これでもうおしまい。後はもう知らんぞ。」
という一種、おしまい、最後最後、という意識が
濃厚に文章から香っていたような気がしました。

おげいじゅつしんちょうの中で
梅ちゃんせんせいはもう少し長生きをして
親鸞をまとめたい、とお書きでした。
きっとせんせいの頭の中にも
「全部書きたいことを全部この中で書くよ。」
という意識で書かれることでしょう。

どうぞ健康に留意されて、
何とか最後までまとめていただきたい、
と切に願わざるを得ません。


(今日聴いた音楽 サヨナラはカチガツのララバイ
 歌 吉川晃司 1984年 音源はLPレコード
 だってさぁ、どう聞いたって、カチガツとしか
 聞こえないんだもの。 でももう30年前の
 歌になっちゃいましたか。彼は本当にうまいこと
 歳とりましたねぇ、いろーんな経験が全部
 生きて彼を形作っているなぁ、と思います。
 たまにはこんな曲だって聴くんだい。)

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Comments

先生、すごい歴史ですね。そんなにも長く、自分のやろうとしている道から大きく逸れることもなく、本当にすばらしい、そしてすてきな時間を過ごしていらっしゃるなぁ、と思います(ご本人はいろいろ葛藤もあるのでしょうが)。

知識の浅さを知られてしまうようで恥ずかしいのですが、お彼岸の話もお盆のことも知りませんでした。
毎朝、毎晩、父の遺影には話しかけているのですが、もう何年もお墓参りにも行っておりませんでした。今年は彼岸の中日に行ってこようかと思っています。

小林秀雄や先生の、最後にすべて書いて、それでおしまい!って、そんな精神の高いところにたどり着けるにはどうしたらいいのかな、なんて考えてしまいました。一つのことをやり続ければなれるのかな、そんな簡単じゃないんだろうな、なんて。

謙介さん、その後、治療はどうでしょうか。
だいぶしんどそうな感じだったので、コメントやメールを書いていいものかどうかずっと悩んでおりました。
なので、お返事は少し調子のいい、気の向いたときにぜひください。しんどい日は謙介さん自身の体と向き合ってあげてくださいね。それだけは絶対にお願いしますね。

Posted by: takenii | 14. 03. 10 at 오전 7:50

>哲学界・思想界の傍流にいて、中心には決してならなかった、なれなかった
そうかもしれません、歌舞伎も澤○屋は舞台には?でもお元気?ですから 新橋新作は意見が別れますねそこ×2の席にして正解だったかも。
オイルがお役に立てたようで良かったです体が濡れている状態なら伸びもよく極少量で済みますしサラッとしてますので。向井万起男さんは石鹸を使用しないそうですよ、毎日お風呂に入るなら不要だと洗うべき所だけで十分とタモリさんも。犬がいるので手洗い過剰で手荒れするのですが、ねば塾の「元ちゃん」を使用しています、グリセリンが多いのでシットリしますが溶け易い、しかし封を開けて乾燥させると固くなりそれをレンジで10-20秒程チンして半分に切って使用してます、私は5個入りを購入後使用前までズッと乾燥させて置くので最後までドロ×2せず使えます。

Posted by: ゆき | 14. 03. 10 at 오전 11:14

takeniiさん
お返事遅くなってすみません。
このところ、副作用で睡眠がめちゃくちゃ
になっているのです。 布団を敷いて、寝る体制にして、となったら、全然寝られない。
夜なんて1時間おきに目がさめてしまいます。後、味覚異常がとうとうはじまって
しまいました。加えて口の中が腫れていて
大して食べられない上に食欲もない、
という状態です。 寝るのと食べるのは
やっぱり人間の生活の中で大きな割合
をしめているので、こうしたQOLを
何とかしたいなぁ、と今度主治医に
話してみようと思っています。
 そもそもがお釈迦様の唱えた仏教の
教えでは、人は亡くなったら、極楽に
行っておしまいです。 というのか、実際に
印度に行って、あの場所の気候とか風土を
経験してみると、日本の仏教みたいに
あの世とこの世で行ったりきたり、
なんていうようなまだるっこしいことは
やってらんない、って思ったのだなぁ
と自然に納得させられてしまいます。
 こういう言い方はあからさますぎて
あまり好きではないのですが、誤解を
恐れずに言ってしまうと、宗教は亡くなった人を残った人がどう悼み、自分の気持ちを
安定させるか、という部分も大きな役割
だと思うのです。そうした時に、
たとえ、それが当初のインド仏教にない
ような日本の仏教だけの「慰霊と鎮魂の
儀式」であっても、この国の人々が
それを欲しているからには、大切な
考えだと思うし、そういう面を宗教は
担っていくべきものと考えます。
 今日は3月11日です。
先日書いた父方の祖父の最期のことと
この大震災で犠牲になられた方の最期
が重なって、やはりいろいろなことを
考えます。 そういう人たちのために
生きる、というのは、謙介はなんだか
傲慢な気持ちがするのですが、 与えられた
命を大切に思って、生きられるところまでは
生きる、ことは、後に残った人間の
課題ではないか、とも思います。
 明日がまた診察日なので、主治医と
いろいろと話をしてきたいと思っています。
いつも心遣い本当にありがとうございます。

Posted by: 謙介 | 14. 03. 11 at 오전 11:46

---ゆきさん
 日本人は石鹸で洗い過ぎ、ということを
前に新聞の家庭欄で読んだようなことが
あります。 謙介も20代のころのように
毎日毎日皮脂が盛んに分泌されていて、、
という時期ならいざ知らず、最近は
石鹸で洗いすぎると、しばらくして乾燥して
きたら、あちこちがかゆくなったり、突っ張ったりします。冬場は首まわりとか、そのほか清潔に保たないといけない部分は別として
それ以外の場所は、あまり洗いすぎない
ように、と心がけています。
 それから、体が自然に刺激のきつい
ボディソープ等の洗浄剤を嫌がるように
なりました。なので、自然にあるもので
刺激の少ない石鹸等を生協で買ってきて
使う、というふうにしています。
 皮膚の荒れは、毎日オイルをすりこむ
ようにしたので、荒れが少なくなりました。ありがとうございます。

Posted by: 謙介 | 14. 03. 11 at 오전 11:53

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