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14. 01. 04

新しい、ということ

昨年は伊勢神宮の式年遷宮が行われました。
え? 謙介さん、
あなた経験するの、何度目の式年遷宮ですか、って?

そりゃあもちろんはじめてのご遷宮ですよ。
うそつけこら(笑)


まぁそれはそれとして。
去年は結局式年遷宮のお話をしていなかったので
年の初めですから、そのまとめをしておいたら、と
思います。

で、話のとっかかりは、11月の23日なのでございます。

この日はカレンダーで言えば「勤労感謝の日」ですが、
もともとは「新嘗祭(にいなめさい)」の日でした。

新嘗祭というのは、天皇がその年に収穫された作物を
いただく、という儀式です。

日本の国土で生まれた新しい作物(主に米)をいただくことで
穀霊(こくれい)を天皇の体に入れて、日本を統治する力を
更新し、さらに強める、という意味がありました。

実はこの「毎年更新する」ということが
重要だったわけです。

1年経って弱くなりつつあった統治する力が
更新され(復活し)新しい力がみなぎる、
というところに意味があったわけです。

今、その力を「更新」と言いましたが、
じゃあ、最初にその力を身につける儀式は?
と言えば、それは天皇が即位して最初に行う
大嘗祭だったわけです。

大嘗祭は、この日本の国土でとれたくさぐさのものを
いただくことで、この国を統治するための力を身につける
という儀式としての意味がありました。

しかし、それは太陽が次第に冬になって昼間の時間が
短くなるように、1年経つと、統治する力は弱まる、と、
考えられていました。

そうしてその弱まった力を毎年の新嘗祭で
この国でとれたくさぐさのものを
新たにいただくことで、この国を統治する力を復活させ
さらには強める、という意味があったわけです。

そうして考えてみると、アマテラスが天岩戸に入って
「世は暗黒になって、タジカラオノミコトが岩戸を開けて
再び光満ち溢れる世界に戻った」という部分と重なっているかと
思います。世が暗黒になったのが、その力の限界まで弱まった、
ということですね。そうして再びアマテラスがあらわれての、
復活です。

しかし、それとは別にもともと日本の土着の信仰というのは、
自然界の種々のものが信仰の対象だったわけです。

だから峠の頂上とか、川の合流点とかに神様は
いらっしゃる、と考えたことですし、巨大な木、その地方を代表するような
高い秀麗な山も信仰の対象になっていました。 
そういうふうなものが
人々の信仰の対象だったわけです。

ところが大王家の信仰の対象は「太陽」でした。
でも、そのころの大王家というのは、そう抜きんでて
力のあった豪族ではありませんでした。

どこか、この太陽信仰を祭祀として執り行ってくれるところは
ないか、と探し回ったわけですが、それは結局大和の国には
引き受け手がなくて、はるばる東へ行った伊勢まで行かざるを
得ませんでした。

伊勢の渡会(わたらい)氏が、
その太陽信仰を受け入れてくれたわけです。
そこで、大王家と伊勢が結びつくことになりました。

前にも言いましたように、うちの表札は
前回の伊勢神宮ご遷宮の時の用材の
残りをいただいたものです。

あれから20年が経過して、すっかり木も黒ずんで
今や表札の文字も読み取るのが難しく
なってしまいました。

20年経過すると、最初は清く新しかった木材も
黒ずんできてしまいます。 神宮の建物もそうでしょう。
しかも神宮の建て方は、礎石を置かずに
地面に直接木材を立てていますから
雨に降られて、木だって腐食してくることでしょう。

ましてや、伊勢は雨が多いところです。
伊勢からもうちょっと南に行った尾鷲が
日本で一番降水量の多い街ですから、
伊勢だって似たようなものです。

同じ三重県でも津や四日市が晴れていても
伊勢は雨が降っている、ということだって
よくあります。

しかもその降り方は、普通に降る雨でも
四国の瀬戸内側でいうような土砂降りです。

そういう多雨多湿な場所に建てられた
建物は、実質的におそらく20年が耐用の限度だった
と思います。

そういうことで、式年遷宮とは
「新しいものを尊ぶ」という神道としての儀式的な意味のほかに
朽ちたり、古びてしまい、使用に耐えられなくなった建物の
更新作業という実際的な意味もあったと思います。

式年遷宮の意味については、このようなことでしょう。

お宮が新しく建て替わった今は、
その御稜威(みいつ)がみちみちている
時期です。


お参りにふさわしい時期としては、新しい年になった今とか、
いろいろな樹木の萌え出る
新緑の季節も好ましい時期だと
思います。もしくは、今年の秋の
11月23日以降ですね。

松阪の友達に聞いたら、やはり依然として伊勢方面、
人と車がすごいそうです。

せっかくお参りに行くのですから、
やはりゆっくりと念を入れてお参りしたいですよね。
もうちょっと落ち着いてから
のほうがいいでしょうかねぇ。(笑)

でも、謙介さんが伊勢に行ったら、
餅ばっかり食べそうで、、。
ながもちでしょ、へんばもちでしょ、二軒茶屋もちでしょ
赤福でしょ、 おきん茶屋にも行きたいし、もちでは
ないけど、津の蜂蜜まんも食べたいぞ。

ということで、ご参詣は打っちゃって、
もち関係ばかりの食い気旅になりそうで怖いです。
ちゃんちゃん。


(今日聴いた音楽 さらばシベリア鉄道 
 去年の最終の出勤日、12月27日の朝の
 NHKのラジオでこの曲がかかっていたのです。その時は
 ああ、この曲の季節になったなぁ、と思っていたの
 ですが、、、。 この曲がリアルで流行っていたころ
 ものすごく落ち込むことがあって、で、ちょうど流行っていた
 この曲を聴いて、 さらにとめどもなく暗くなってしまったことが
 あります。自分の中では救いのない歌なのです。
 しかし、それにしても。 ああいう最期が来るなんて、
 本当に人生は分かりません。しかも大瀧さん、運動も
 しておいでだったし、節制もされていた、というのに。
 そうしたことも含めていろいろと考えさせられたことでした。)


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Comments

昨年は土砂降りの熊野へ名古屋駅の研修で南紀に乗遅れ、雨の伊勢へ。新宮会館が良かったです、又行きたいけれど今年は混むのでパス。
藤十郎さんお顔の艶も良いし安心ですね。猿之助さん一門は音○・播○屋程役者さんの層が厚くないから負担が掛かっているようで気の毒です。チケットだけらなら戻りとかあるしファンクラブはいいかなとか。歌舞伎会は年会費+口座引落なら考えるんですが、カード不要です。
Eテレも海老蔵さんも観ました。役者個人の努力では限界があるでしょうが、肝心の松竹がね。

Posted by: ゆき | 14. 01. 05 at 오후 1:44

---ゆきさん
今年の伊勢方面は、ちょっと避けたほうがいいと思います。もうちょっと落ち着いてからゆったりとした気持ちでお参りするほうが
自分の気持ちも落ち着くでしょうし、人が少ないほうがお社だって荘厳な感じがします。
人が多くておまいりに行ったのやら人を見に行ったのやらでは、、ちょっと、ですよね。
前に成田屋のパリ公演のご案内が来ていたのですが、(團十郎丈がご存命だった時の)一番安いコースで30万とかで、お高いコースになると90万とかだったと思います。いまどきシャルルドゴール⇔成田だって、数万円でしょ。うちの家では、どうせこんなお高いコースだって、ご贔屓の人は行くんだろうねぇ、という話(話だけですよ。まったく)をしていました。確かにしつらえとかだってお金が結構要るでしょうし、諸式すべからく高くなるのは少々であれば理解できますが、ゆきさんの話を伺っていても、「いくらなんでも」と思うところ大です。 子ども相手に歌舞伎スクールをするようですが、ほかにもっと直近のこととしてすることはあるだろうに、と言いたいですよね。だから現状認識ができてないんだってば、と思うのです。

Posted by: 謙介 | 14. 01. 05 at 오후 7:00

ご贔屓は年100位ポンと払う方でしょう。超ド田舎+交通機関至極不便+庶民ですから
一門の為にとは思えない・・・サービスetc込で宿泊最低10万で30・100万となると↓
新作+一門の費用が多額に必要なのは理解はしていても。
浅草も一般発売日は3等売切れでしたが戻りをget。陰陽師もどうにか確保→ファンクラブとは?
指導する役者さんが減ってますしね。歌舞伎座は上+端に行くほど残響が酷い様で。こけら落とし効果もマスコミが書く程無い様ですし、今は勘三郎さんの事で稼いでいても何時までも続かないでしょうし。梅玉さん凄いです、「将軍江戸を去る」團十郎さんいくら襲名でも親子でなんて有り得ない!本当に優しいですよね。居て欲しい人程何故いないんでしょうね。松竹が原因ですが自覚はない。

Posted by: ゆき | 14. 01. 05 at 오후 10:53

---ゆきさん
以前であれば、興行主の松竹に対しても
大幹部の役者は口も手も出す、というところでした。それでちゃんと大幹部の言った
ことを聞く耳を持っていた松竹の上層部だっていました。今は、前のように松竹に
啖呵を切って、もの言える幹部がいなくなったように思います。みんなこじんまりとして
小さなお山の大将でおさまっている。
(というのか、そういうふうに仕向けたのが
あの松竹なんでしょうけれども。)
新劇場、おっしゃったように行った人に伺うと、端っこの安物席では、台詞がなんだか
わかんない、ということもあるそうですね。
貧乏人はそれで満足せえよ、金持ちの方は
どうぞいいお席でゆったりとご覧ください、ということなんでしょうね。前にも言いましたが、歌舞伎役者の方々のがんばりだけで
今は何とか回っています。 先日のNHKの
中継でも、高麗屋の若ぼんのスケジュールの
話が出ていましたよね。 もう本当に毎月毎月の公演です。いくら若い、たって、あれでは、、またばったり倒れる、ということだってあります。 
海老蔵の番組で、彼が体幹トレーニングしているシーンが映りましたが、身体が一見頑丈そうに見えて、なんだかそれがとてもひ弱な印象を持ってしまったのは、父親と祖父との関連で固定観念をこちらが持っているからでしょうか。

Posted by: 謙介 | 14. 01. 06 at 오후 3:26

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