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14. 01. 14

いつか、だけど、いつか、、だから

がんセンターの内科外来待合室の
椅子に腰かけて、ポケベルのような
呼び出し器のバイブレーションを
待ちます。

呼び出し器がブルブルと震えると、
内待合に入ってください、の合図。

そうして内待合で今度は名前が呼ばれて
診察、ということになるのですが、、。

毎年、年が改まると、いつもこのタイミングで
なんだか過去を振り返るんですよね。

そうして、思い返してみると、、
もうずいぶんの期間、ここに通ってきたなぁ
としみじみと思います。

以前のお城の三の丸の中にあった病院の時から、
この郊外の新築病院に移転してきて、、

病院もスタッフもそうして自分自身の中にも、、。
その間、いろいろなことがありました。

ただひとつ変わらないのは、謙介自身が
宙ぶらりんな病状ではあるものの、
今まで何とか生きている、ということです。

前回の採血の結果に比べて特に数値が悪化していた時は
帰りの車の中で、やけを起こして、
どうせ人間生まれた瞬間に
最期に向かって走り出すわけだし、
治療してとりあえず治したところで
何の意味があるのか、と思ったこともありました。
どうせ人間いつかは亡くなりますもんね。

今、「とりあえず」治したところで、最終の結末なんて
決まっているじゃないか、とか。

謙介はどうして病気をとりあえず治したいのか、
と言えば、最期まで生きて、自分の人生は
どういうふうなものだったのか、ということを
確かめたいから、です。

後、したい、と思っていることが
いくつかあってそれをきちんとしたい、
ということがあります。

それからいろいろな人の人生の最期を見て
きました。

20代、30代で病気のためにすでにして
亡くなってしまった友達も6人ほどいます。
そのうちで、一番仲の良かった友達ですが、
ずいぶんと病状が重篤になってから、
病室にお見舞いに行った時に、
彼が「もう少し生きたい。」ということを口にしたことが
ありました。

今の医学でも、その病気の発症のメカニズムさえ
分からない病気で、対処療法で、起こった症状を
あっちこっち叩いているうちに、副作用が出て
別の臓器や部位が悪くなって、ということになって
しまいました。それから数か月して彼は亡くなったのですが、

そんな友達の生きたかった、という分まで生きて
今を見ておきたい、という気持ちもあります。

でもまぁそれもどこまで生きられるかは、
わからないのですけれども。

がんセンターに通院していると、
特にそういう人の生き死にには敏感に
なります。

入院していた時もこないだまで病室にいたはずの人の部屋の
プレートが、今日見たら外されていて、ベッドのマットが
立てかけられていたのを何度も見ましたし、、。

内科外来の待合室でも、知り合いの人の会話で、
「あの○○さん、やっぱり去年の末に、とうとう、、。」
というような会話をよく聞きました。
それから、
いつか会った時はとても元気だったのですが、、
それから程なくして、待合室でお話をしていると
その方が亡くなった、という話を聞きました。

その時になってはじめてその方は末期の状態、だった、
ことが分かったりしたこともありました。


あの時にお互いの話をしたのが、
文字通りあの方との最後、になったわけです。

今日、会って、お話をしておかなければ、
もうこの次はないかもしれない。
がんセンターに通院しているとそういうことが
何度かありました。


先のことはわからない。
でも、今はこうして在る、わけですから
今、すること、今、したいことは? 
と、考えながら生きようと思うのです。


         ×     ×     ×


あ、そうそう。意外な言葉同士、
元が同じだったりします。

医学用語で「ドナー」という言葉を聞いた
ことがおありだろうと思うのですが、
あの言葉のもとは
サンスクリット語の「ダナー」です。
サンスクリット語のダナーがヨーロッパに行って
ラテン語に入って、「ドナー」になりました。

他方、そのサンスクリット語が日本に来て「旦那」に
なりました。(途中の経緯は大幅に省略していますが。)

ですから結論だけ言えば、医学用語の「ドナー」と
日本語の「旦那」は実はもとが同じだったりします。

ドナーというと、なんだかとても厳粛な感じがするのですが

「ちょっとそこのだんな」になると、あはははは。


ドナーはそこに「生命」とか「生き死に」が直接影響するから
厳粛な気がするし、旦那のほうは、、のほほん、と
した感じがするから、ですかね。


一体この語感の差は何なのでしょう???

(今日聴いた音楽 悪女 中島みゆき
 音源はシングルレコード 1981年
 この歌が流行っていたころも、謙介は
 なんだか生きる、ということでしんどかった
 時期でした。でも、それは今にして思えば
 そんなことで? っていうような問題
 だったのですが、そのころは、それが
 本当に大きな問題だったのです。)

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Comments

謙介さん、こんにちは。
いろいろ考えさせられて、さっきから長文のコメントを書いては消し、の繰り返しです。

僕はもう夢とかしたいこととか、そういうのが、自分自身よくわからなくて、ただ思うことは、僕を大切に思ってくれている人と、できうる限りの時間を共にしたいな、と言うことかもしれません。
(もちろん爺さま猫や他の猫たちとの時間もです(^^ゞ)

時間を大切にする、という概念がこの年になってようやく少しずつわかってきたような(ものすごく傲慢かもしれませんが)、そんな気がする昨今です。

寒い日が続きますね。仕事も大切ですが、何よりお体、大切にしてくださいね。

Posted by: takenii | 14. 01. 15 at 오전 11:44

---takeniiさん
こんにちは
実は、takeniiさんのブログ、北野さんの記事、何度か書いて消して、また書いて、
結局考えがまとまらなくて消してしまいました。
毎年、今頃は過去のことを振り返って
あれやこれやと思う時期のようです。
たぶん年賀状が届いたり、成人式が
あったりするからかなぁ、と思っています。
takeniiさんがお話くださったように、
時間を大切にする、ということは
切実に考えるようになりました。
20代のころ、中世文学研究で
「無常」ということを習って、
分かったようなことを思っていましたが
あれは頭だけだったように思います。
本当にそういうことを分からせてくれたのは
もう今は記憶の中でしか会えなくなって
しまった友人たちでした。
とはいえ、ついつい現実のさまざまな
ことに流されていい加減になって
しまうのですが。 それでも「はっ!」
と気がついて軌道修正をしながら、
これから過ごしていこうと思います。
takeniiさんの文章、言葉にならない思い、
余白の中にある思い、それをいつも感じたり、自分はどうだろうか、と思ったり
しながら読ませていただいています。

Posted by: 謙介 | 14. 01. 15 at 오후 2:11

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