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13. 12. 19

祈りの絵

実家の街の一宮で、井上雄彦さんの絵の展示があるというので
行ってきました。

井上さんの作品と言えば、謙介、『スラムダンク』にはじまって
『バガボンド』、車いすバスケットの『リアル』を読んでいます。
Inoue8


バスケットがお好きなんだろうな、と思っていたら
最近、井上さん、なんだかちょっと方向が変わったみたいで
ちょっと前に東本願寺の依頼で親鸞聖人の屏風絵を描かれたのですが、
Inoueshinran

今回は伊勢の御遷宮記念で絵を描いたのだとか。


場所は讃岐の国の一の宮の田村神社です。

話がちょっと脱線するのですが、
この一の宮の田村神社からちょっと北に
ゆめタウ○という総面積5万5千㎡の
巨大なショッピングモールがあります。

ここは昔は東洋テック○という合板会社の工場がありました。
(高校生は東洋テック○と言わずに東洋セック○とか言っていたのは
お約束のようなものですが。)

その工場が移転をした跡を、
広島資本のスーパーが買って、巨大なショッピングモールを
作り上げたのです。 このショッピングモール、愛媛の東のほうとか
高知、徳島からのお客も多いようで、駐車場の車のナンバーを
見たら、3分の1くらいは県外のナンバーです。

で、何が言いたいのか、と言えば
このゆめタウ○、いつくつかの建物に分かれていてその南館↓
(右端の建物)の場所が「上天神町」という場所です。

Yumetown

この上天神(かみてんじん)という地名は、
菅原道真と関係しています。

というのが、菅原道真は讃岐の国の国司として、
着任してこの地に住んでいたわけですが、
その国司の官舎があったのが、
この上天神のあたりでした。

ですからここに一時期、まさに菅原道真さんがこの場所で
暮らしていた、ということです。

ところが今や日本各地に天神さんはあります。
その数1万2千だそうです。

たとえば東京にも湯島天神、があります。
ですが道真さんが東京の湯島に行ったことはありません。

道真さんは伝承が多く、生まれた場所すら
歴史学的に証明され得る史料は今のところありません。
とりあえず実際に住んでいた場所として
歴史的にきちんと証明できるのは、

邸宅のあった京都と
国司として赴任していた讃岐と、
流罪にあって最期の場所となった九州の大宰府の
3つの場所、これらについては諸史料で確かにそこにいた、
ということは間違いのないところです。

でもさっきも言ったように全国各地に天神さんがあります。

その理由はいくつか考えられます。

一つは、天神さまは、天の神さま、というくらいで
農業の神さまなので、農業が国の基礎であった昔は各地に
天神さまを勧請してお社を建てた。
(学問の神さま、というのは後から派生的に考えられたことです。)

もう一つは、全国各地に菅原氏の所領があって、
そういう所領だった場所に、道真を祀るお社を建てたのが
次第に大きくなって今に至った。

後は、合格祈願の神社を作りたい、というので
大宰府とか北野天満宮から分祀していただいて
天満宮を建てた。

まぁそういうような理由だろうと思います。

そういう点から言えば、
この場所に道真さんが住んでいた、というのは確かなことなので、
この辺を通るたびに、道真さんはあの山を見ていたのかなぁ、
と思ったりするのです。

で、その上天神からちょっと南に行くとこの一の宮のお社が
あります。(表記としては一宮町ですが。)


たまたまここは讃岐の国の一の宮ですが、

日本の旧国名(伊予とか筑紫とか信濃とか)のところには
各地に一つ、そういう一の宮があります。

たとえば出雲の一の宮は出雲大社ですし、
備中なら吉備津神社ですし
安芸であれば厳島神社、
筑前国は筥崎宮、
伊予は大山祇神社というふうに
各地に一の宮が必ずあります。 

今、挙げたように
出雲大社にしろ厳島神社にしろ筥崎宮にしろ、
やはり各地の一の宮というのは有名な神社ですよね。
上にあげた神社なんて、県外の人だって知っていますもん。

で、ここがその一の宮の田村神社です。

Tamura1


どうしてここに神社を作ったのか、と言えば
ここが大昔の川の分かれ目だったからだと思います。

今はその川は西の1本の流れにまとめられていますが、
江戸時代に川の付け替え工事を行う前は
このあたりで川が二股に分かれていました。


これは謙介が調べたことですが、
川の分岐点とか、いくつかの川が集まる地点には
大水の被害から土地を守るためにお社が建てられる、という
ことが多いのです。

下鴨神社だって、鴨川の合流点の近くですし、
石清水八幡だって、3つの川の合流点です。

そのほかには、峠の頂上、岬には
神さまがいらっしゃる、ということで
お社を作りました。 

島根には出雲市に日御碕神社があるではありませんか。
岬にお社を建てたのです。

大体が「みさき」という言葉なんて、
ただ単に「さき」でいいわけですよね。「先っぽ」なのですから。
そこにわざわざ「み」という美称・敬称を意味する接頭語を付けて
「御崎」としたのです。

わざわざ「御」を付けたのは、
そこに神さまがおいでになる神聖な場所だから、ですね。

おそらく田村神社の鎮座する場所に神を祀って社を建てたのは
そういう水害から土地を守っていただきたい、という願いがあったのだろうと
思います。 

ですからこのお社は治山治水・農業の神さま
としてまつられた、お宮さんだと思います。 
今もこのお社、日曜には付近の農家が
自宅で栽培した農作物を持ち寄って市を開いています。


この神社の会館に井上さんの絵が展示されていました。
Tamura2

画の題名が「承」ということでした。
この神宮の式年遷宮の20年おきの行事を
通して、文化やさまざまな技術が受け継がれ
次の世代へと伝えられていった、ということを
あらわしたいのでしょうか。画の画面には
たくさんの手が描かれて、それはいうまでもなく
こうした次世代への「伝承」ということを描かれたの
だろう、と思いました。 

その画のほかに、この「承」を描くにあたっての
さまざまなスケッチも併せて展示してあって、
描いた人の試行錯誤のさまもうかがえます。

井上さんは、最初にも書きましたが、「親鸞」の
屏風絵を描かれました。
親鸞の屏風を描き終わったのが2011年3月10日だった、そうです。

その屏風を見たときも思いましたけれども、

井上さんはここ最近「祈り」ということに
ついて考察を深めておいでなのかなぁ、
もしくは日本の文化とか、そうした記録に残っていない
日本の文化の基層のようなところに向かって
おいでなのだろうか、とも想像しました。

そうした方向への理解がまた、井上さんの作品にとって
画を描くときの内面から、さまざまな変化をもたらすことに
なるのかもしれないなぁ。

よいものをこの年末に拝見させていただいた、

と、そんなことを思いながら、会場を後にしたのでした。


(今日聴いた音楽 ↓ 超短縮バージョン(笑)
  これは夏ですが、この時期、第九を聴くと
 涙が出たりするのです。 それではどうして
 そういうふうになるのだろう、と考えたのですが、
 おそらく、今年1年、何とか生きてここまでこれた
 なぁ、と生きている自分について第九の
 曲に人生を重ねあわせているのかもしれない、
 と思いました。
  それからここで指揮をされているのが 柳澤さん
 です。今年の謙介たちの第九の演奏会の
 指揮をしていただいた方です。)

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