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13. 12. 05

As time goes by

ついさっき、学部の時、1年下の人だった
女の子から10年ぶりくらいに
電話がありました。

彼女は大学の謡曲研究会に
入っていたので、やたら声がでかいのでした。
(相変わらず今日もでかかった。)


彼女は、何年か前にケンブリッジ大学の数学の先生
と熱烈な恋愛の末に結婚して、、

(その旦那さんの名前が、はて、リチャードだったか
ジェームスだったか、何度か名前を
聞いたのだけど、いつもすぐに忘れてしまって、、
いまだにリチャードさん、って言ったら、ジェームスです
って言われるような始末で。
だって謙介、西洋人の名前って覚えるの苦手なんだもん。
えーっと、旦那さんのお名前、なんでしたっけ
と聞くくりかえしで、結局覚えられていない。)


で、そのケンブリッジで暮らしているはずなのでした、、が。


「今、どこにいるの?」
「高槻。妹んち。」
「なーんだ。」

ケンブリッジは地理的に遠いせいか、あれまぁ、と
思ってしまうのですが、高槻と聞いて、なーんだ、と
思ってしまうのはやはりどんな場所か知っている
「親近感」というのか「なじみ」のせいでしょうか。

「今日ね、学生時代のいろいろなものの片付けをしてたの。
もう(あのころのものが)出てくる出てくる。」
(彼女は結婚する前、日本にいたときはずっとその高槻の家で
妹と一緒に住んでいたのでした。)

「で、さぁ、あ、そうだ、いろいろと電話しなきゃ、って思ったんだけど
あれからもうウン十年も経ってるし、みんな元のところには
いないよねぇ、と思って、○○さんのところに電話したの。
それで××さんや▽▽さんや謙介の電話番号聞いてさ、
で、今かけてるの。」
「元気そうやね。」
「いやあ、元気でもなかったんですよ。」

彼女の話によると、「一時期体重が20キロくらい増えて、
それをフィットネスに行くようになって
いろいろと体を動かして、23キロ痩せさせたの。
だからまぁぐるっとまわってもとのところだから、
会っても、どこも変わってないね。っていうことなんだけどさ。」
ということでした。

でもどうして20キロも増えたの?
「動かなくて、じーっとしてて食べるだけだったから。」
「動くの面倒になった理由って? 」

で、どうして動かなかったのか、と、聞いたら
なんと彼女の弟さんが心筋梗塞で急死してしまって
そのショックで落ち込んでしまい、動けなくなってしまった、
のだそう。


彼女はもともと高知の宿毛の人で
その子ども3人(彼女と、彼女の妹さんと、それから一番下が
弟さん。)は大阪・京都に出てきてそのままこちらにいたのでした。
歳はたしか彼女と妹さんは3歳違っていて、
弟さんは7歳違っていた、と思います。


その弟さんは、謙介も何度か会ったことがあったんですよ。
20年くらい前に、謙介の高校の時の友達と高知の宿毛の
沖の島にスキューバをしに行ったことがあって、その時に
たまたま宿毛に帰ってきていた弟さんも誘って一緒に潜りに
行ったこともあったくらいで、、。

あの3人の兄弟姉妹はみんな美女・美男でしたし
3人とても仲が良かったです。
姉さんもしょっちゅう「としくんは」と言って弟さんの話を
していました。おそらく彼女も弟さんを何かと頼りに
している部分があったと思います。

あの元気そうだった弟さんが、と、謙介だって
一瞬言葉に詰まったくらいでしたし、以前からのおねいさんの
あの弟に対する頼り方からいけば、そのショックの
大きさは大変なものだろうというのは十分理解できます。
その亡くなった状況も心筋梗塞で寝てる間に、
あっという間だった、とか。

あまりのことに
一時はものすごいショックで、、本当に大変だった
そうですが、(いろいろとその間の事情は伺いました。)
それでも何とかベッドから起き上がって
なんと日本に一時帰国できるまでになったのですから、
彼女も何とかまた立ち上がって歩き出すことができた、という
ことなのでしょう。


そういえば、大学の時に古文書解読のアルバイトを
一緒にやっていた大阪の友達の命日ももうすぐ
(12月8日)なのです。彼は18の時に血小板が少なくて
血液が固まらないという病気に罹ってしまったのです。


それでも最初のうちは、顔色が悪いなぁ、というくらいで
一緒にバイトをしていましたし、、
大阪から国鉄を乗り継いで園部まで通う、なんて
ことだってできていたのです。大学を卒業してからも
高校の講師として教壇にだって立っていました。

今の医学では根本的な治療ができなくて
対処療法を続けていくうちにあちらもこちらも
と次第にいろいろなところが悪くなっていきました。
とうとう最期のころには膝の関節が薬の副作用で
悪くなってしまい、歩けなくなって、車いすの移動
というようなことになってしまいました。

身体はそんなふうでしたが、頭はしっかりとしていて、
たまに電話をすると、最近読んだ本のこととか
自分が調べたいこととか、などなど
いろいろなことを話してくれたりしていました。

亡くなる年の夏には、もう感染を防ぐためにガラス窓越しに
会わなければならないような状態になっていましたが、
新刊の本の話をし、研究のことをたえず話題にして
いました。

早いものであれからもうたくさんの歳月が流れていって
しまいました。


謙介は先週、大阪の彼の妹さん宛にお供えを送りました。
そうしていつも電話がかかってきて「届きました、
ありがとうございました。」の後で彼の話を少しするのです。

「絶対まだうちの兄、私の横に居てますよ。
何か決めんならんことが
あったら、絶対やいのやいの言うて来る夢みますもん。」
と言っていました。

この間、謙介が両親を連れて旅行した時もひょっとしたら
横にいたかもしれないなぁ、と思ったりしていました。

彼と一緒に仕事をしたバイト先の建物に行ったからです。

昔のバイト先では、目に見えないことをいいことに
あの部屋この部屋と歩き回っていたに違いないのです。

きっとその後で言うのです。
ニコニコしながら、「勉強してるか? 」とか。
ああ、目に浮かぶようだ。


かと思ったら、、。

毎年、この時期になったら年賀状の欠礼はがきが
何通か届きます。 ここ最近は毎年10通くらい、
そういう欠礼のはがきが来るようになりました。
(今年は今のところ、9通届いています。)
その中に、、京都の峰山に住むこれまた学部の時の
先輩からの欠礼はがきがありました。

Img_6652

「祖父 木村次郎衛門が今年百十六歳にて永眠いたしました」と
ありました。

あらまあギネスブックのあの方でしたよ。

116年前というと、
正岡子規だって夏目漱石だって森鴎外だってみなさん
生きていたのです。徳川慶喜だって生きていました。
時代は明治でしたから当然明治天皇だってご存命中ですね。

明治・大正・昭和・平成、と4つの時代を
生きてこられて、、
まさに天寿を全うされた、ということですね。

うーん。本当に人生はその人によっていろいろ、です。

人の人生、時の流れ、というものをしみじみと感じてしまう
暮れの一日なのでした。

(今日聴いた音楽 As time goes by 映画カサブランカ
でございます。歌はもちろんDooley Wilson )

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Comments

私も欠礼状が何通か届いています。
以前でしたら、ほぼ面識のない人、というのがほとんどでしたが、最近は良く知る人が亡くなっている率が高くなりました。
今年はとても世話になった叔父が亡くなりましたし。
こうやって、少しずつ人生の整理が始まっていくのですね。
同級生についての噂話でも、体調を崩しているだの、入院しているだの、離職したなだのの話を聞くようになりました。
齢40を過ぎると、急激に衰えを感じます。

そうかと思えば、職場の従業員に“平成生まれ”が大幅に増えていまして、ゆとりだの何だの言えなくなってきています。
彼らからみた“昭和生まれ”ってどうなのでしょうね?(苦笑)

Posted by: タウリ | 13. 12. 08 at 오후 1:57

---タウリさん
このところ毎年、すこしずつ欠礼のはがきが増えてくるように思います。今日仕事場の街に戻ってみたらまた2通来ておりまして、結局今のところ13通になっています。 謙介は毎年160通ほど年賀状を出すのですが、この13通ということになると、さすがに結構多いな、という気がします。 タウリさんのおっしゃるように「少しずつ人生の整理」がそろそろ、ということなのでしょうね。毎週月曜に行っているがんセンター内科外来も、ずいぶんメンバーが変わりました。
無事に治癒した結果、通院の要なし、となればいいのですが、がんセンターって、やはり中核病院で、最終的な病院、として来る人が多いので、やはり残念なほうでみえなくなる、という人のほうがはるかに多いのです。
文学をやっていたせいか、自分の人生について考える、という機会は多かったように思うのですが、以前と比べると、やはり年とった分、考えが少し深くなってきたように思います。考えてもいい知恵は浮かびようがなくて、結局ため息とともに思考停止になることが多いのですが、それでも、思いは多少深いところまでめぐらすようになったかなぁ、と思います。これが多少の進歩だったらいいのですが。(笑)
うーん。謙介、平成生まれだとかゆとりちゃんだとか、ってあんまり考えないんですよ。昭和生まれでも使えないヤツもいますし、平成生まれでも、すごいねぇ、と驚くようなヤツもいますし、、。その人を見て、というふうにしています。平成生まれから見て、そりゃもう化石と思われているかもしれませんが、やっぱり何かしら伝えていくことはしないといけないので、彼らに分かる言葉で、確認しながら、毎日やっています。

Posted by: 謙介 | 13. 12. 08 at 오후 9:26

パソコンが壊れWindows8になったんですが、以前はXP・Vistaだったものでもっぱら最近はiPadでかなり戸惑っています+元々パソコンに詳しくないし…年賀状は父母の物が大変ですね。父にパソコンの練習も兼ね某フリーソフトをダウンロードしたんですが分からん‼
ってまだソフトすら起動してませんが⁈パソコンを設定する際も後ろで五月蝿い↓結局私がやったんですが凄い疲労が…まだ大掃除もあるし溜息
福助さんとても心配です。三津五郎さんも勿論。歌舞伎ファンの方は松竹は100万人達成⁇の大入袋なんてやってる場合じゃないだろ‼本当にどうなっちゃうんですかね…
京都○座は澤○屋じゃなくて梅玉さん奮闘って感じみたいですね。1月も売れていないようですし江戸4座に大阪じゃ当然でしょうね。松竹は歌舞伎の将来や役者、観客より目先の¥¥¥ですしね。

Posted by: ゆき | 13. 12. 13 at 오후 8:25

---ゆきさん
年配の方にパソコンをお教えするのは、もう忍耐につぐ忍耐ですね。何度教えても同じところで必ず躓きますし、ちょっとでも違った画面が出たら、「え? え? これはどうなっとるんや。変な画面が出たぞ。おいおい。」っていう反応で、。3日間お教えしたのですが、ものすごくストレスがたまってしまいました。本当にお察しいたします。
福助丈、どんな状況なのでしょう。 症状は出ていますが、深い部分での原因がわからないので、本当に心配です。外見ばっかり派手にワーワー言ってばかりで、根本的な部分の改革を何もしようとしていないわけですよね。いったいどうするつもりなんだか。今さえ良ければ、それでいいんでしょうかねぇ。

Posted by: 謙介 | 13. 12. 13 at 오후 11:16

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