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13. 10. 18

瀬戸内国際芸術祭・秋会期:高見島(その4・了)

今日、ノンノを見ていましたら、
(どうして、おっさんがそんなものを、、。)

こともあろうに、謙介が最初に
勤務していた仕事場が
ノンノの中に出てきまして、、。

美しいモデルさんが、
その部屋に入ってる写真でさー
添えられてある文章が「楽しすぎるー」だって。

はあ、、さいですか。

ふん、こちとら全然楽しくなんてなかったよ、
って、思いましたが、、。

いやぁ、でもねぇ、、あそこがノンノに出ましたか。
と、しみじみ。

あ、失礼失礼。
つい個人的な感慨にふけってしまいました。
話を元に戻します。


高見島編、きょうで最後です。

さて、展示公開作品の集まっている
浦集落に向かいます。
しかし、ここに行くのは、本当に大変で、、
というのが、浦集落までは、
浜から300メートルほど急坂を上がって
いかなければなりません。
この坂がきついのなんのって、、。

その坂の入り口には、
今回のこの芸術祭にあわせて
地元の方が、どうぞ、と
竹製の杖を作って用意してくれて
いるほどでしたから。

でも、上がってから見た海は
本当にきれいでした。
えっちらおっちらあがってきた
甲斐があったというものです。

Umi


夏に行った伊吹島の心臓破りの坂といい勝負でした。
途中に廃校になった、多度津町立高見小中学校が
あります。学校自体は廃校になったのですが
建物は、自然災害などがあったときの
島民の避難施設になりますから
ずっとそのままに維持されています。
日頃は町主催のキャンプとか
宿泊学習の会場としても使っているようです。


何せ平地が少なくて、山をだんだんに整地して
家を建てましたから、
どの家もお城のような石垣があります。
この家もすごいです。
(この家は人が住んでいるそうです。)
Ishigaki_1

お年寄りが坂を上り下りするのも大変ではないか、
と思うのですが、、。

こちらの家は無人の家のようでした。
(入り口に大きなさびた南京錠がかかっていましたから。)
Minka

こうした家はおそらくは江戸時代末期から
明治の初めに建てられた家でしょうが、、
住む人がいないとやはり家は
れ果てていってしまいますね。
やはり家は人が住んでこそ、なのだと思います。

中には廃墟になってしまった場所もありました。
Haikyo

以前は小・中学校があって、
子どもの姿もあったようですが、、
今では、ほとんどがお年寄りです。
この島の平均年齢は80歳。

この浦集落まで息を切らしながら
登ってきたわけですが、、。


どうして、こんな場所に集落を作ったのか、
ということを考えました。
この集落は決して浜辺ではなくて、浜辺から30メートル
くらい上の地点です。

やはりひとつ大きなことは、海辺ですと、台風の大波とか
地震の津波とか、自然災害に遭いやすいから、ということが
あったかもしれません。

それからもうひとつは
海を行きかう船を日常的に見ていた、
ということがあるかもしれません。
監視をしてどういう船が通ったのか、
をチェックしていた、
ということもあると思います。

さて。作品公開の時間になりました。
これは「刻」という作品。

Shimanokioku

廃屋になった家々の捨てられていた品物を
大きく船に見立てて、その土の船のあちこちに
そうした記憶の品物を埋めて
モニュメントに仕立てた作品でした。


これはタコの家。
前回、たこつぼの話をしましたが
この辺ではタコが獲れます。で、
暮らしの基盤であった
漁業に対する敬意をこめて、
作品を制作したということらしいです。
蚊帳の中にタコが鎮座しています。
Takonoie

2階にも「タコ」。
Takonoie2


また次の展示場所まで少し歩きます。
次のところまでは
また急坂を上らなければならず、
息がはぁはぁ、、でした。


そうやって見に行ったのが除虫菊の家。
Jyochugikunoie1

前にお話したように、かつてのこの島の名産だった除虫菊で
巨大蚊取り線香を作っています。

謙介は、それを絶やさず燃やしていくことで
この島の、この家の、「時間」というものを
表現したのかな、と思いました。

これも蚊取り線香の造形。蚊取り線香で
オブジェができるんですね。
Jyochugikunoie2_2

それからやはり驚いたのがこの家の2階でした。
かつてこの家の主が使っていた洋書の農業の本や、
イギリスの百科事典、戦前の経済学の専門書
漢籍・康煕字典。などがそのままの形で残っています。

前にもお話したように、この家の主も戦前、
まだ昭和がはじまってすぐのころ
アメリカに行っていて、向こうで一財産作って、
こちらに帰ってきた、そうで、、。
この島には、こういう経歴の人が結構います。


Jyochugikunoie2

除虫菊の家から今度はまた山をおります。
それからこれは「高見島へのオマージュ」と
題された作品。

この家の方も戦前アメリカに行って、
事業で成功して、
日本に戻ってきてそのお金で
この家を建てた、という話でした。
この床柱、おそらくは
京都の北山杉の床柱と思いますが、
この杉の太さだけを見ても、
この家を建てるのにものすごくお金を
かけた建物だと分かります。
 
離島だから貧しくて、魚を獲るくらいしかない、とか
思っていたら、ちょっと違います。
東京へ出て、事業を起こす、ではなくて
外国で一儲けして帰ってきて、なのです。
それも大正時代とか昭和のはじめに。

前にも言いましたように、この辺の水夫さんは
咸臨丸でアメリカに行った人が
40人近くもいたわけです。
親たちからアメリカの状況とか聞いていたでしょうし、
海はつながっている、ということで
外国に行く、ということもあまり心理的な抵抗が
なかった、のかもしれません。

 


118_konishi_6773_w865


それからこれは「サブミッションハウス」という作品。
毎日版画を刷ってこの空家の空間を満たしていく、
というもの。

毎日展示物が変わるって、、大変です。
120_sako_6853_w865
上の写真の突き当りを左に曲がるとこんなふうでした。

台所を見て気が付いたのが、、 
そうですね。いろいろな品物から見て
やはり昭和50年代で時間が止まった、
という感じがしました。

正面奥の流しなんて、友達の下宿にあったものと同じで
懐かしかったです。(笑)

Shashinkan1

これは誰が作ったのか。(笑)
Shashinkan2_1


作品とは関係ないのですが
この電子レンジも見覚えがありました。
この機種がここにあるということは
この家の人たちは相当に早い時期から
電子レンジを使っていたということです。

(調べてみましたら、1975年売り出しの機種で
定価が10万9800円だそうです。1975年の
11万円なんて、とんでもなく高いものだと思います。
今みたいに電化製品なんて大幅な安売りなんて
なかった時代ですから、せいぜいまけてもらったって
端数を取るくらいのことでしょう。)
今なら電子レンジの安いタイプなんて1万円以下でありますし
オーブンレンジタイプのものだって10万円もはしない、と思うんです。
今は電子レンジも普及しましたが、1975年ごろは
どこの家にも電子レンジ、ということではなかったと
思います。 そういう意味で、進取の意識が高かった
ということが言えると思います。 すごい。

Shashinkan3

この辺の旗は多度津高○の高校生の作品でした。
さすが高校生の作品なので、デザイン的にも
旗に穴をあけてみたり、そこに書かれた字も
書道の授業をとっていて、おそらく習った生徒が書いた字だなぁ、
と思うものもありましたし、やはりいろいろと凝ったものがありました。


Koukousei

それから、これは「うつりかわりの家」
という作品です。

外からは気がつかないのですが、、。
Ananoie1

入ってみるとこんなふうに等間隔に家に穴が開いていて
あ、もちろんこの穴はあけた後に、透明の円筒形の樹脂を
差し込んで、その周囲を止めて、水が入らないようには
しているそうです。
Ananoie2

さて。そろそろ帰る時間になりました。
切符は朝、来るときに往復を買ってありましたので、
切符を出します。
Kippu

桟橋にも旗。
Sannbashi_2

船は10時25分の定刻にやってきて、
数人の客を乗せるとすぐに出航しました。
船はどんどん島から遠ざかっていきます。
Shima1

この日は波が結構ありましたが、
大きく左右に揺れつつ、
それでも船は進んでいきました。
Nami

また、今度、と思いながら、、
もう一度振り返ってみました。
船の航跡を見ていたら、
就職したての時のことを思い出していました。

あの時も島通いの船に乗って、
こうして航跡を見ていたものでした。

あれから歳月は確実に過ぎ去ったはずなのです。
でも、こうして航跡を見ていると、あのころから
そんなに時間が経っていないような錯覚にさえ
陥りそうになる自分がいました。


今日の最初に書いた
ノンノのおねいさんが「たのしすぎるー」と
書いてあった建物で、
謙介がはじめて仕事についてからのことを、
ひとつひとつ思い返していくと
やはり歳月は確実に自分の上を
経過していっていることがわかります。

Shima2

でも、そんな歳月があって、そうして今に至っています。
その間、本当にあっという間だった、
という月並みな言葉でしか
その間のことを表現できない自分がいました。

過ぎ去った歳月。 自分がしてきたこと。 これからのこと。


次第に遠ざかって行く島、
航跡の長さを思いながら、そんなことをぼんやりと
思い返しておりました。


船は10時50分に多度津に着きました。

この船は折り返し11時発の船になるのですが、
桟橋ではすでに200人くらいの人が
この船の到着を待っていました。
船の定員からいったら、ぎりぎりかもしれません。

さて次の場所に移動したのですが、その話はまた稿を改めて。


(今日聴いた音楽 映画 ひまわり から
 テーマ音楽 ヘンリー・マンシーニ作曲
 映画のサントラ盤です。 過ぎ去った人生、
 そこで暮らした歳月、明るい廃墟 そんなことを
 考えていたらこの曲が静かに聞こえてきたのでした。)

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Comments

除虫菊といえば蚊取り線香いいですよね、風が吹くと消えるのが難点⁈最近リキッドばかりですがなんだか人間にも効果があるような…イオ○某週刊誌を撤去したみたいですが、後ろ暗い所がないなら他に方法があるのでは?山奥在住ですが某市はジャス○を念頭に再開発をしていたのですが撤退してしまって…マックスも何時迄もいるかしら⁇最近本当に高くなりました、もう行くの辞めようかな。山奥も病院は大問題です、病院がないのでもれなく救急車ですがご年配が多いので需要が多く出払っていたりすると…交通機関もよくないですし、陸の孤島ですから。
永○会長が一連の襲名ラッシュを計画したようですが…松竹にとっては襲名=金儲けなんでしょう。歌○衛門も芝○さんの遺言だとか?本当⁇金儲けしたいだけじゃない⁉
>坂田藤○郎の襲名のこと。中村鴈治郎ではいけなかったのか。 ファンの方に藤○郎なんて襲名して‼という意見は確かにあるようですね。
>襲名、がどのような意味を持つのか 松竹にとっては金儲け出来ればOKってことじゃないでしょうか。意味なんて関係ないんじゃないですか。1月も多くの人に歌舞伎を楽しんでもらうという意図であれば東京・大阪・京都で1日1回公演にしたらいいんじゃないかと思います。母は仁左衛門さん終始右手は懐でちょっと痛々しく感じられた。本当にファンの方は三津五郎さんは大丈夫なのかと、團十郎・勘三郎さんの事もありましたし、いつになったら松竹は抜本的対策をするんですかね。もう後がないと思うんですが…

Posted by: ゆき | 13. 10. 18 at 오후 7:50

---ゆきさん
 イオ○、本当にそうですよね。後ろ暗いところがないのであれば、放っておいたらいいではありませんか。謙介もそう思います。
 山奥の非常時の問題、それもよくわかります。というのが、10年ほど前に四国の山奥の町でほたる祭りがあったので、行ったのですが、その時たまたまけが人が出たのです。川で転んで転び方が悪くて石で大けがになった、とか。その時、救急車を要請したら、なんと来るまでに1時間かかったそうです。その町が広域合併になって、町単独の救急車を持たなくなって、遠くの消防署から来ないといけなかった上に、その日、たまたま別の事故でその救急車が出ていて、さらに別のところから、となって、来るのがむちゃくちゃ遅れに遅れたそうです。結果的に「たまたま」が運悪く重なったのですが、事実としてそういう運悪い状況が起こってしまったわけですからね。 ですからゆきさんのおっしゃる救急車のこと、すごくよくわかるのです。
 ゆきさんだって今回のこの歌舞伎の状況、非常に遅いけれども、改革の機会だ、それも最後の改革の機会だ、と思っていらっしゃると思うんです。俺もそうなんですが、でも、おそらく、というのか、きっと、というのか
松竹は何もしないと思います。あわわ、あわわ、ってそのまんま傍観しているだけでしょう。そうして、主だった歌舞伎役者がいなくなってから、ようやっと事の重大さに気づいて、、という例によっての繰り返しをまたするのではないか、と思います。学習能力のないことにかけては、、もうねぇ、、。
そんな気がしているのですが。

Posted by: 謙介 | 13. 10. 18 at 오후 10:29

イオ○は某雑誌の指摘が正しいから撤去したと私はみてます。病院がない、救急車が病院ですから…病院がないってのは本当に困ります。歌舞伎座のチケット連休で結構確保が大変でしたが、母は背が低いので1階だと前に背が高い人が座ると+3階はまた観えない+観客のマナーが…お年寄りだから要望が多くて、それでも必死にチケット確保したんですが。ということで歌舞伎ファンはいるのに松竹は…福助さんも松竹にいいように利用される気がしてお気の毒です、福助さんの事は好きなんですけど…1月は東京3箇所+大阪かな?多過ぎる‼また犠牲がありそうで嫌です。寒いのでしまむ○でファイバーヒート 裏起毛を購入冷えは万病の元ですから。お洒落からは遠ざかっていくようで悲しいですが、寒さには勝てません。昨年はインフルエンザになったし、謙介さんもお身体大事に無理しないで下さいね。

Posted by: ゆき | 13. 10. 19 at 오후 9:05

---ゆきさん
 お言葉ありがとうございます。
 おっしゃる通りで、もうちょっと身体をいたわらないといけないんですが、、つい、今しかない、という気持ちがあって、、。いけませんね。気をつけます。
 某雑誌の指摘、謙介もゆきさんと同じだと思っています。
 人間って、本当のことを指摘されると、必要以上に動揺して過剰反応をしてしまうんですよね。勉強しないでいつまでもぐずぐずしている中学生に、親が「勉強したら? 」って言ったら過剰に怒って暴言を吐く、ってまぁそれと似たり寄ったり、というところでしょうか。(笑)
 おかあさまの席、大変でしたね。ゆきさんのお優しい気持ち、よくわかります。やはりせっかくですもん、見やすいところで、楽に、と子どもの立場だったらあれやこれやと考えて席を選ぼうとしますよね。大変な上に、さらにいろいろと条件が加わって、お察しいたします。
 福助さんも、今年53歳ですね。これから、というところで、松竹にこき使われて、がたがたとつぶれてしまわないように、、と祈っているのですが、、。なんだか、こういう嫌な想像って当たってしまうから、、いけません。(やれやれ)

Posted by: 謙介 | 13. 10. 19 at 오후 10:03

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