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13. 10. 25

瀬戸内国際芸術祭・秋会期:粟島(その4・了)

Rui1


これは佐々木類さんの展示のところにあった
言葉です。

なぜ、謙介がわざわざこの言葉を写したのか、と、いえば

佐々木さんがお書きの

 粟島で過ごした日々は、一生の時間から考えると
  ”ひととき”でしかありません

という言葉に触発されたからです。
すらっと読むと、それだけのことかもしれません。
それがどうした? というようなものでしょう。


でも、謙介はそこにどうしても自分自身を重ねてしまうのでした。


自分が島で暮らしていたのは3年間でした。

今年の春、謙介のいた仕事場が瀬戸内国際芸術祭の会場に
なった、ということで、何十年ぶりかで仕事場だった建物の中に
入りました。 そうしたら、その構内にかつて自分が書いた掲示物が
まだ残っていたのです。

20代に書いた字はもうへたくそで、
「なんだこれは。さっさとひっぺがしたい。」 とも思いましたが、
現状を変えると器物損壊になってはいけませんから、
さすがにそれはしませんでしたが、、、。

その掲示物を見ていたら
いろいろなことを思い出していました。

本当にあの島での生活、特に職場の人間関係が嫌で嫌で
(上司との関係がもう最悪で) 仕方なくて、あの時の記憶を
抹殺したい、とさえ、ずーっと思い続けていたのでしたが、
それでも今の自分があるのは、あの時の自分がいたからだ
と最近になって思えるようになったのです。
その嫌で嫌で仕方がなかった上司も先年、亡くなりましたし。
自分の中で「心の整理」する時間が経過
した、ということなのだろう、と思います。

そうして抹殺して押し込んできたあの島での記憶を
もうちょっと解放してやってもいいかな、と思えるように
なりました。

だから瀬戸芸の会場になった、という機会もありましたが、
自分の気持ちの整理もなんとかついたので、ようやっと
あの島に行って仕事場に行くこともできるようになりました。

本当に島で過ごした日は、
3年間ですから、まぁ、一生の中で言えば
ひととき、ということになるのでしょう。

でも、やはりその3年間があって、今につながっている
ということは間違いのないことだろうと思います。

佐々木さんのメッセージに自分の感情を重ね合わせながら
その書かれた言葉を眺めていました。

佐々木さんの作品は古民家の建物の内部を真っ暗にして、
障子に飾ってありました。

島の人と集めた植物をガラス板にはさみ
それを窯で焼きあげたものだそうです。
とても幻想的な作品でした。

Rui2

粟島には以前小・中学校がありました。
今はその建物を「粟島芸術家村」として
全国から公募でアーティストの方を募集して
選考を行い、当選した人が一定期間ここに
住んで、作品を作る、ということをしています。

Geijyutumura

上の作品を作られた佐々木さんもそんな方の一人でした。

Shogakkou2_2

これは島の人全員に粟島の地図を書いてもらう、
という試み。丁寧に書いた人、アバウトな人、
一部だけ非常に詳細に書いた人、本当に
みんな全く違う地図になっていて、、面白かったです。
実際の粟島に一番近かった地図を書いたのは
郵便局員さんでした。さすがですねー。

Shogakkou3

これは「島の鬼を巡る」という作品。
音楽室のグランドピアノの上に置かれています。
ベートーヴェンやバッハ、ですね。

Shogakkou2_1

それからここは漂流郵便局。

Post1_1

過去・現在・未来・もの・こと・ひと。どこへあてた郵便でも
受けつけてくれる郵便局だそうです。

Hyoryu1

「いつか失くした人形」へ
「もうすぐ生まれてくる子供」へ
「亡くなったおかあちゃん」と、本当にいろいろな
はがきがありましたよ。

Post1_2

そんなはがきは小さな状差し入っていて、それらは来た人が読むことが
できるようになっています

Hyoryu2_2


。またこの郵便局で新たにポストカードを買って
書いていってもいいのです。会期中、そうした「参加作品」もどんどん
増えていくことでしょう。

懐かしく切なくなるような文面のはがきもあって
時間を忘れて読みふけってしまいました。
Post13

さて。

あれこれ見ているうちに日も次第に西に傾きはじめました。
船の乗り場に戻ることにしました。
Umi4
帰りも臨時便が大増発でした。それでも帰りのお客さんが多くて
船が人をさばききれず、やはり40分ほど待ちました。

帰りの船も定員いっぱいでデッキに立っていました。
船は速度を上げて島から離れていきました。
瀬戸芸が終わってのんびりしたころにもう一度来たいなぁ、と
思います。

Umi8

そうして15分。船は桟橋に到着しました。
車の置いてある駐車場まではシャトルバスで送っていただきました。

粟島、いいところでした。
あの辺には浦島太郎の伝説がありまして、、。
浦島太郎の末裔という人もいた(笑)と思います。

Mitoyo_2


え? ポスターの浦島太郎の顔が??
なんとなく↓ 誰かに。(笑)

Mitoyo2_2


三豊は要さんの出身地です。

「そこそこのお顔の有名人が出たらええわなぁ。広報かて簡単やし。」
とはうちの姉の言葉ですが。
「○○さんの出身地」と言えば、あらまぁ、と思ってくれる人も
いるでしょう。

そのあらまぁ、とアピールする度合いも
美男美女の人のほうがアピール度が大きくて
結果的にその街の知名度が上がる、
ということになるのでしょう。

お土産にしたあんバターサンドをいただきました。
Omiyage2

断面はこんな感じ。(笑) とても丁寧に作ってあっておいしかったです。
Omiyage3

ということで粟島の旅もこれでおしまいです。


今回の粟島編も最後まで
お読みいただきありがとうございました。

みなさんのところでは台風の影響はいかがですか?
こちらは、さっき仕事を終えて帰ってきたときには
もう雨はすっかり上がって夕焼けすら出かかっていました。
今、外は「台風? 何の話? 」というくらい静かです。
これから東のほうが次第に雨脚も強くなっていくことと思います。


すでに土砂崩れとか交通の影響があちこちで出ているようです。
これ以上大きな被害が出なければいいのですが。


(今日聴いた音楽 雨音はショパンの調べ 歌小林麻美
 1984年 音源は12インチシングルレコード 
 今日の雨はそんなショパンの調べ、なんていうような悠長な
 雨でないのですが。 )

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Comments

いつも、楽しい旅行記をありがとうございます。
今回も素敵な物語を読んでるような、そんな時間を過ごさせてもらいました。
粟島、素敵な島ですね。
懐の深いゆりかごのような、そんなイメージです。
いつか、行ってみたくなりました。
いろんなことを許してくれそうです。

でも、旅先でもイラチな人がいるもんなんですね…。
だったら、家の周りで休日を過ごせばいいのに。
勿体無いです。

あのひと時があったから、というのは、最近になってなんとなく分かってきたような気がします。
そんなひと時を、無かったことにすることも出来ないし、忘れることも出来ないし、もう今の結果に結びついてることを受け入れなくちゃいけないですもんね。
そんなことが、ボンヤリとですが分かってきました。
いつか、謙介さんのように整理がつけられると良いんですけど。

こちらも台風は過ぎたあとは何事も無かったかのような穏やかさです。
二週間前まで真夏日だったのに、いきなり秋の終わりのような感じで、それはちょっと寂しいなぁと思ってしまいますけどね…。

Posted by: まさぜっと | 13. 10. 27 at 오후 6:38

---まさぜっとさん
実はその最初の職場、本当に人間関係は最悪だったわ、仕事はきついわ、とろくな思い出がありませんでした。島から出た時に、島で撮った写真とか、全部密閉してどこかに処分してしまったくらいでしたから。そうしてあのころの人とはあの後も一切会っていませんでした。
 ところが数年前にあの時の嫌で嫌で仕方なかった上司が亡くなりました。そのことや、さすがにウン十年も経過したので、多少は嫌な思い出も美化される(笑)ようになってきたかして、振り返っても構わない心の余裕ができてきたのです。そういうことで、あの島に行くことができるようになった、ということです。でも、やはりそこに至るまでには、それ相当の時間がかかった、です。 
 確かにあの時のことは今はすっきりしたか、と言われたら、まだもやもやとした部分があったりします。 でも、あのころの自分がいて、今の自分もいるわけですから、一貫性だってあるし、時間をそこだけ断ち切るわけにもいきません。 なので、少しずつですが、まぁ、自分を解放していかなければ、と思っているところです。まさぜっとさんもいつかそんな日が来ると思います。自分の経験からもそのことは言えると思います。のんびり構えていきましょう。

Posted by: 謙介 | 13. 10. 27 at 오후 11:02

謙介さん

こんにちわ。
旅行記の最終話、まさに自分がずっと考えていたことだったので、驚きとともに、嬉しくもありました。

たとえ、ひととき、つかの間であろうと、ずっと自分の心にしっかり根をはって、大切に育てている想い。
そのひととはもう会うことは叶わないけれど、出会ったことを、言葉を交わせたことを大切にしている自分の気持ち。

もちろん、自分が味わった悔しさ、辛かった時の気持ちも、完全に忘れ去ったわけではないのですが。。。

時が解決してくれることもあれば、自分がどう消化していくかにもよるときもありますよね。

でも、この先、なるべく、この先の人生においては「執着しない、手放していこう」と思った朝でした。
そんなに、この先、持っていけないや、と。
もう少し、身軽に生きてみようかなと、今だから思えます。

まだ体調はいまいちなんですが、いつも楽しみに読んでおりますので、これからも、どうぞ、いろいろな発見をお知らせくださいね。
追伸:とても美味しそうなパンでしたね。。。一口食べたいです(笑)

Posted by: 都会のひまわり | 13. 10. 28 at 오후 2:38

---都会のひまわりさん
やはり人は生きています。
感情があって、どうしてもそれに左右されてしまうことがありますね。
実は土曜日に駅に行って、もうひとつの
瀬戸芸の作品を見てきたのですが、
JR四国の有人の駅の場合
列車の接近音として「瀬戸の花嫁」が
流れるのですが、実はあの曲、あまり好きではありません。 どうして好きではないか、
とつらつら考えてみたら、やはりあの曲が
島の生活を歌っていたから、で、やはり
あの歌に重ねて自分の記憶が思い出されて
しまうんですね。そう考えてみれば
まだ自分の中では「島の生活」について
すっきり片付いていない、ということなの
だろうと思うのです。

 都会のひまわりさんのお書きの
「もちろん、自分が味わった悔しさ、辛かっ た時の気持ちも、完全に忘れ去ったわけで はないのですが。。。」という部分
まさにそうですね。いろいろと心に影響を
与える実体が変化をしたり、その直接の
原因がなくなったから、と言って、人の
感情はテレビのチャンネルをかえるようには
いきません。やはりいろいろと尾をひくの
だと思います。 ただ時間や自分の中での
感情の変化や、記憶が次第に変化をして
いくのもまたあるかなぁ、と思います。
 執着してはいけませんぞ、と大学の時に
禅を習ったお師家さんはおっしゃったのですが、、、まだ修行が足らない(笑)です。
 あっちこっちまだいろいろなところに
ぶつかっては、考えて、のくり返しで、
行きそうです。そんな実態も書いて
いきたいと思います。
 いつもお読みくださってありがとうございます。

Posted by: 謙介 | 13. 10. 28 at 오후 8:15

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