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13. 10. 15

瀬戸内国際芸術祭・秋会期:高見島(1)

10月から瀬戸内国際芸術祭の秋会期がはじまりました。
春・夏にはなかった別の島が新たにいくつか加わりました。

今度の会期は11月の4日までなので、週末しか行けない俺は
週替わりで行くしか日程的に無理なので、急いで
出かけることにしました。

それが、離島に行くとき困るのは、
やはり交通機関なんですよね。

離島航路は便数も少ないですし、
加えて普段の利用者も少ないですし
離島の港も小さいですから、船も小さいのです。

前回の3年前には積み残しさえ出た、と
海運会社の人に聞きましたし、、。

事実今回も夏に行った伊吹島航路では
積み残しが出た、という話でした。

今回は多度津町の沖の高見島、
という島に行きました。
高見島行きの船は、ほかの島に行く途中に
高見島も寄る、という形です。

それぞれのアートの公開開始は朝の9時半から、
です。 ですから朝の9時5分に出る船に乗れば
いいわけですが、それだと島のあちこちを見る時間に
余裕がありません。

というのが、
お昼にはもう一度多度津に戻ってきたかったのです。

パンフレットを見ると、今回の島の作品で一か所とても
離れたところにあるものがあって、それは
公開時間に限定がないようでした。
思い切って始発の船に乗ることにしました。
始発は朝の6時50分の出航です。
ということは、逆算すると、朝の5時半には
家を出ないといけません。(ひえええ)

ということで、朝の6時半の多度津港です。(笑)

Tadotsuport


以前は多度津港は内海航路の要衝で、
江戸時代から、港町として発展してきた町でした。

金毘羅さんの参詣には、この多度津か隣の丸亀に
上陸して琴平に向かう、というのが定番の行程でした。

それは明治になってもそうで、志賀直哉の暗夜行路に
多度津に上陸して、汽車で琴平に向かう描写が出てきます。

昭和の30年代までは、ここから阪神地区への
関西汽船の直行便もありましたし、国鉄の多度津駅から
浜多度津駅までの貨物専用の線路もあって人も荷物も
利用が多かったのですが、いろいろな流通の変化で
今ではこの離島航路のみ、という寂しさになってしまいました。

高見島は周囲6キロほどの島で、中央に高さ300メートル近い
山があります。 人口は30人少々。
昔は300人を越える人がいたようですが、、。

この島は位置的に瀬戸内海の要衝にありました。
昔からこの島の漁師は船の操船に長けていた、ということで
船乗りになる人も多かったようです。

というのが、幕末の咸臨丸の水夫さんは
この辺の島の人たちだったのです。

咸臨丸の水夫に選ばれた、という段階で
すでにこのあたりの水夫の技量の高さが
世間に知れ渡っていた、ということでしょう。

そういうことで、この辺の人たちは
実はほかの同時代の日本人よりもさっさとアメリカとか
外国に出ていた人が多かったりします。

漁師さんたちに話を聞くと、
やはり発想がダイナミックです。

漁師さんたちは「どうせ海でつながっているのだから。」で
終わりです。

内海でちまちまと漁業なんてしていなかったのです。


夏会期の時に伊吹島に行きましたが、
戦前にはあんなところからも、清津(チョンジン)ですから
朝鮮半島沿岸まで普通に漁に出かけていたという
(まぁあの時代は「国内」ということではありましたが。)
記録を見ました。

船乗り・漁業以外に島の産物としては
除虫菊の栽培がありました。

Jyochugiku


1970年ごろまでは、除虫菊の栽培が
ものすごく盛んで、島の段々畑のほとんどが
除虫菊だったのですが、1970年を境に
一気にこの産業はすたれていきます。
たぶんそのころから科学的にそうした
薬剤ができて除虫菊の需要が急落したのでしょう。

それと同時にこの島の人口もどんどん
減っていって、とうとう今では島の人口は
30人、というところまで減ってしまいました。


多度津港からは高見島、その向こうの佐柳島へ
行くフェリーに乗ります。高見島までは海上6キロ
時間は25分です。

フェリーボートは、これです。

Sanyo1


お花模様のフェリーです。


実はこのフェリーも「瀬戸内国際芸術祭」の作品なのだそうで。
Sanyo2


フェリーボートキュートアッププロジェクト、だそうです。

船は定刻の6時50分に多度津港を出港しました。
この日は風が結構吹いていて、瀬戸内海にしては
波が立っていました。船員さんの話では、
外にいたら、うーん、潮をかぶるかもしれないなぁ、と
いう話です。 
何せこのフェリーボート、100トンもありませんから
結構揺れました。
Sanyo3_1

でも、この程度の揺れなんて3年間の離島生活で慣れています。

20分ほどすると眼前に島が見えてきました。

Takami0


いよいよ島に到着です。
Takami1

上陸します。まだ7時15分。早朝ですが、、。

Takami2_1

桟橋の乗船待合所が
インフォメーションセンターになっていました。


Anneso

ハングルで「アンネソ(案内所)」とあるんだけど、
韓国人が来ても大丈夫なんですかね? 

ここで案内地図をもらって見学開始です。


さっきから島の写真のあちこちに黄色い旗が
見えていたかと思うのですが、、、。

Seika2


実はこれも「作品」なのです。
Seika1


多度津町の小・中・高校すべての生徒が一人ずつ
デザインした「旗」なのです。

前に言ったように一つだけ遠い場所の展示会場に
行きます。
その途中にもやはりその旗がありました。

Seika3


海の色はさすがにもう秋の色になっていました。


     ×      ×      ×

やなせたかしさん、お亡くなりになったのですね。
こないだ、丹下健三の展覧会の話で
取り上げたばかりでしたが。
謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。


長くなりました。今日はここまでにします。

(今日聴いた音楽 リフレインが叫んでる 
  歌 松任谷由実
 この島に来たとき、まだ夜が明けてすぐで
 空も曇っていて、そこを雲がものすごい速度で
 流れていっていました。 そういう光景には
 この曲がとても合うように思いました。 曲は
 アルバム Delight Slight Light KISS 所収 
 1988年11月。ちょうど昭和の最終局面だった
 時期に出たアルバムです。
 ソウルオリンピックのあと、毎日昭和天皇の
 ご体調の報道があったころでした。)


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Comments

謙介さん

こんにちわ。
島民30人の島
青い空に、風にはためく黄色の旗。。。

潮の香りがするような風景写真ですね。
それにユーミンの歌「リフレインが叫んでる」ですか。。。

昨夜から台風でものすごい大雨と暴風に襲われた東京から、この風景とエッセイを読むと別次元の世界のように感じられ、日本は広いなあとあらためて思います。
どんな発見があったのでしょう、次のエッセイを楽しみにお待ちいたします。

帰宅したら、ユーミンの同曲を久々に聞いてみようと思います。秋の冷気の風を感じながら。

Posted by: 都会のひまわり | 13. 10. 16 at 오전 11:27

---都会のひまわりさん
この日の早朝、フェリーに乗って島に着いたときはまだ曇り空でした。 高い層の刷毛で掃いたような雲の下を、ちょっと灰色がかったやや低い層の雲がすごい勢いで動いていたのです。その光景を見ていましたら、「リフレインが叫んでる」の最初のところのピアノのダダダダダダダ、という音が重なってきまして、、。あの光景を動画に撮っておいて、それを高速で再生して、それに「リフレインが叫んでる」を音楽につけたら、合うなぁ、と思ったのです。
雲の動きがはやかったので、お天気がどんどん変わっていきました。 写真にも晴れた空のものがあったり、なんだか曇っているような空のものがあったり、ですが、本当に瞬間瞬間で空の模様が変わっていって、、そんな風景を眺められたことも良かったなぁ、と思いました。

Posted by: 謙介 | 13. 10. 16 at 오후 2:51

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