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13. 09. 18

惜しいんだか惜しくないんだか方面への旅(その8・了)

海上自衛隊の呉教育隊の建物に沿って、海沿いを歩きます。
どんどん歩くと、川に出て、橋を渡ってしばらく行くと、
突然、潜水艦が見えてきました。
ショッピングセンターの建物の横に、潜水艦がどーんと
そびえています。 
え、潜水艦は海だろ、って、まぁ謙介だってそう思いたいですが、
でも、ゆめタウ○呉の横に潜水艦がそびえているのです。


ほらね。


Ossansensuikan

日常の中に潜水艦。(笑)
おじさんのむこうに潜水艦が普通にあるのです。
上の写真だとちょっと全景がわかりにくいのですが、
このアングルだったらわかりますかね。

Sensuikan


ただ、謙介にとっては潜水艦なんて
全然珍しくもなんともないものです。

というのが、潜水艦は島に住んでいた時に結構よく見ていましたから。
瀬戸内海では潜水艦は浮上して航行しないといけないので、水面に
浮上した状態で、神戸の造船所に修理・点検に行く潜水艦が島の北側を
しょっちゅう航行していたのです。

さすがに最初見たときは、おおっ!潜水艦だぁぁ、と興奮しましたが
そのうちあまりにしょっちゅう見るので、ああ、くらいになって、
最後になったら、は? だから?
と何の刺激もなくなってしまいました。(笑)

実はこの潜水艦のあるのは、
海上自衛隊の呉史料館なのです。
Shiryokan2_2

表示板が金ぴかでよくわかりにくいので、
こっちのほうがわかりやすいですかね。

Shiryokan2_1

さすがに「呉史料館」ではいかにもお役所的で
お堅いので「てつのくじら館」という
愛称がついています。
この資料館は「海上自衛隊の広報施設」なので、入館料は
無料とのこと。
館の展示は、海上自衛隊が発足以来行ってきた
任務を年代別に図表や実物の展示で理解してもらうことと、
潜水艦についての展示、という二本立てのようでした。
戦後発足した海上自衛隊の任務は、なんといっても
掃海任務だったのです。

この前行った、神戸の「戦没した商船と船員の記念館」でも
学芸員の方とお話しましたが、戦後、相当な年月が経っても
戦時中の機雷が原因で船が爆発して沈む、という事故が
ありました。 戦後、どころか、つい先月も関門海峡で
機雷の除去、というのがニュースになりましたが
戦後、70年近くなるのに、いまだに機雷が海底に
何千個も残っているとのこと。 

Shiryokan3

それからこれが潜水服です。
あ、そうそう、この呉は海猿の撮影地でも有名ですね。
海猿のモデルになった学校は、この呉のすぐ向かいに
ありますから。
それから潜水艦についての展示もいろいろと
ありました。

Shiryokan5

1週間の食事のメニューが出ていました。
Menu

身体を使うのでカロリーが高そうですが、、
自衛隊のみなさん、こんなご飯、もりもり食べていたのですか?
と聞いたら、みんなそうたくさんは食べていなかった、
とのことでした。
Menu2

そんな食べないですよ、とのことだそうです。

ちょっと意外。

建物の中は、そうした潜水艦の資料がありましたが、、

さて、実物の潜水艦に乗ってみませう。

この潜水艦は、あきしお、で、基準排水量2250総トン、
総乗組員、75名だったそうです。
1985年に就役して、2004年に除籍されて陸揚げされて
ここに展示されているとのこと。

一度潜水したら、200日くらいは海の中だそうで、、。
本当に狭い船内で、限られた空間で、生活も大変だろう
と思いました。 

これが艦長室。

Kancho

船内唯一の個室だそうです。
これがトイレ。
Wc

シャワールーム。
Bath

もうトイレなんて、飛行機のトイレといい勝負なくらい
狭い空間です。

これがベッド。 

Bed


そうしてここが操舵室。
Souda

当たり前ですが、飛行機とかバスとか
汽車のように、窓というものがありません。
あるのは計器だけです。
この計器類、レーダー類で、この潜水艦を航行させて
いたのです。

この潜水艦は古いタイプなので、操舵担当も2名制ですが
今の潜水艦は、1人で動かしている艦もあるとか。

各所各所に、案内係の方がいますが、
元自衛官の方々なので、質問すると、
短く、的確な答えがバシッと返ってきます。

さて、てつのくじら館を見学し終えたので、道を隔てた
大和ミュージアムに行きます。
Yamato1


入り口にあるのは、1943年の6月に広島で爆発沈没した
戦艦陸奥の舵 
Mutsu_1


いうまでもなくでかいです。

Yamato5

ここも本来の名前は「呉市海事歴史科学館」という名称だそうで。
ですからこちらの建物は呉市立の施設なのです。

ですが、まぁ愛称が「大和ミュージアム」
呉は大和が作られた場所ですからね。
大和に対する愛着は今もあって
(というのか、戦艦大和で町おこし、という気もしましたが、、)
あちこちで「大和のふるさと」という看板を見ました。


ここの名誉館長は、4人おいでですが、
そのうちの一人が、やっぱりこの方で。(笑)

Yamato12
ということで、微妙に、というのか、先日のイスカンダル編と
今回のこの記録がつながっている、というわけです。
あっちは空想上でしたが、こちらは実際の大和です。


写真の左側は作家の阿川弘之さんですね。
広島のご出身の作家で旧海軍を題材にした作品も
結構多いです。
今だと阿川佐和子さんのお父上、と言ったほうが
わかりやすいですかね。

阿川佐和子さんのエッセイの中で「非常に口やかましいうちの父」
で登場するのが、この方ですね。
ご出身が広島ですし、海軍でいらっしゃった方ですから
まぁある意味当然の人選、という気がします。

で、このミュージアムの中央に、どん、と置かれているのが
戦艦大和の10分の1の模型。

Yamato7_2

大和の中央部です。非常に計算された
無駄のない設計だと思います。70年以上前の
設計なんですが、本当に洗練された感じがします。

Yamato22


大和の船尾です。あんまりこのアングルで撮影された
ものがないので、はぁ、大和の船尾って、こうなって
いたのか、とはじめて分かって、、よかったです。

Yamato8


この博物館は、いくつかの展示の柱がありました。
さっきも言ったように、ここは市営の博物館なので、
海軍都市だった呉市の成り立ち、ということと。
なぜ、大和は作られるに至ったか、ということ。
そうして大和はどう運用されて、最期はどうなったのか、ということ。
あと、太平洋戦争中のいくつかの兵器が展示されています。

ここは戦艦大和の展示です。
この大和の写真、って有名な写真ですが
高知の宿毛沖での写真です。
今年、日本で一番暑かったあの辺ですね。
Yamato9


かつて大和の乗組員だった人の手紙やはがき、
戦艦大和に積んでいて、のちに下ろされて残った品々、
沈んだ海底から引き揚げられた遺品なども一緒に展示されています。


はがきは検閲があるために
果たして書いた人の本心がどこまで反映されているか、
それぞれの個人の感情の襞の奥まではわからないのですが
それでも「実物」を読むと、字からその人の息遣いがわかります。


こういう歴史、というのは、あとから見るのは非常に難しいです。
というのが、どうしても今の見方で、その時代を見てしまいがちに
なりますから。
NHKの大河ドラマみたいに、現在の解釈でしか
作られていない歴史ドラマさえあります。

ですからNHKの大河ドラマで、時代考証が、とか
人物の描き方がって言ったって、そんなもの、
最初からナンセンスじゃないか、って思います。


あれは毎度言っていますが、
ちょんまげをつけた現代ドラマ
でしかありません。

実はこの呉の海軍工廠でも明治の末にあまりに海軍の
勤務待遇がひどくて、とうとう1912年にはストライキが起こっていました。

すごいでしょ。海軍でストなんて。普通だったら考えられない。
でも、さすがに記念館にその海軍のストの記述はありませんでした。


100パーセント、その時代を再現することは難しいですね。

まあ、デパートの全国うまいもの大会で買ってきた
よその地方の名物を家に買って帰って食べているような
ものじゃないか、と思います。
確かにそれは、ますの寿しだったり赤福ではあるのですが
富山や伊勢といった地元の空気の中で食べるものとは
別のものだ、と思うのです。

そういうことはわかってはいますが
それでもなお、真実が分かりたい。
本当はどうだったのか、それを知りたい。
そうしてその真実を明らかにして、後世に伝える義務がある。
俺が専門でやっている古代歌謡の実態推定、というのは
その一点のためなのです。
正しい読みのために必要な背景を明らかにする。

10年前のことだって正式な記録かどうかは怪しいのに、
そんな1200年も前のこと、、確かにそうです。
でも、だからと言って放っておいたら、それっきりです。
非力はわかっていますが、それでもどうしても真実が、、、
その一点でやっているだけなのですが。


これが大和の沈没状況の模型です。
このようになって海底で沈んでいるとのことです。
Yamato10

で、これが今の特別展で、大和の艦橋を再現している
コーナーです。こういうふうになっていたのですね。
Yamato11


それからこれが当時の兵器が展示してあるコーナーです。
これが人間魚雷回天。
Yamato14
この潜水艇の脇についているのが魚雷です。
で、潜水艇ごと、アメリカの艦艇にぶつかっていった、という
ことなのですが、、、。もちろん、人間魚雷の話も知っていますし、
史料も見たことがありましたし、海老蔵の「出口のない海」も
見ましたし。 ですが、やはり実物を見ると、この辺に乗組員が二人
乗って、、と実測して考えると、、現実感というのか
全く別の感慨がありました。

これが零式艦上戦闘機62型。

Yamato12_2

このエンジンはもちろん中島飛行機製です。
この中島飛行機が今のスバルと日産の一部の「プリンス」だった
わけですね。


前日の原爆ドーム・平和公園もそうでしたが、やはり今回の
出張は、戦争・平和であることについて
考えるよい機会になった、と思います。

気がついたら、5時を過ぎていました。
あ、まだお土産を買っていない! と思い出して、
お向かいのショッピングセンターに駆け込みました。

仕事場には藤○屋のもみじまんじゅうを、
それから呉の名物だというメロンパンを買って帰りました。

最後に呉の東方面の写真を。
Kure9_2

買い物を済ませて呉の桟橋に着いたのが5時40分。
この方向が大和の建造されたドックのある方向です。
Kure11


予約していた高速艇の切符を買って、桟橋に出ました。
しばらくすると高速艇の船影が見えて、船がどんどん近づいて
来るのが見えました。
Kure13

船は予定通りに到着しました。
こうして無事に帰ってくることができたのでした。


(今日聴いた音楽 行進曲 宇宙戦艦ヤマト 
 歌 ささきいさお まぁ自然な流れというのか。笑)

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Comments

高校時代に、「歴史とはそのときの権力者(為政者)の自分史」という話を日本史の先生から聞きました。
ウソを書かいていなければ、真実なのかもしれませんが、常に“全て”である可能性は低いですね。
都合の良いところは詳細であったり誇張されたり、都合の悪いところは削除されたり。
最近流行り?文句の「正しい歴史認識」ですが、ある意味でお互いに正しいのかもしれません。
着眼点がどこにあるか、どこに重きが置かれているのか、という基礎部分(土俵というのか?)が違っているので、ずれまくって交差しないのではないかと推測します。
これについては双方の意見の詳細を理解してないので、あくまで推測です。

戦艦大和の模型、見てみたいです。
ドイツのでDB博物館でもそうでしたが、このような模型展示は少年心を呼び起こしますね。
宇宙戦艦ヤマトではなく、実際に存在した船のことですから、尚更興味深いです。

沖縄県今帰仁村には古宇利島という離れ島があります。
細い海峡を挟んで、本島とすぐ目と鼻の先。
最近、橋が架かって車で行けるようになりました。
その古宇利島の近海で、2001年にアメリカの高速掃海艇「エモンズ」が沈んでいるのが発見されました。
地元の漁師さん達の間では、ときどき油が浮いていることが知られていたようですが、地元のダイバーが潜って、船が沈んでいるのを見つけたようです。
全長106mといいますから大きな船です。
近年になってもそうのような船が見つかるのですから、陸から少し離れた場所にはもっと多くの船が、人知れず沈んでいるのかもしれません。
戦争というのは何を考慮しても良いことではありませんね。

Posted by: タウリ | 13. 09. 19 at 오전 11:02

---タウリさん
まったくタウリさんの高校の時の先生のおしゃった言葉はその通りと思います。天武天皇は日本書紀の原版を作りかけて、もうちょっと、というところで、亡くなってしまいました。それを奥さんの持統天皇が引き継いだのでしたが、持統さんが編集総括になって、日本書紀は大幅に改訂されています。天武版がどんなだったかは文字通り闇に葬られてしまったので、確認しようがありませんが、おそらくは大幅な改訂があったはずです。
まぁ、そういうものだと思います。
謙介の仕事場の街は、変な習慣がありまして、大きな箱ものの施設を作ると、必ず
県知事とか市長がその横に「わしが作ったんだぞ」という見せびらかしの石碑を建てる
ことになっています。石碑は歴史書では
ないですが、石に刻んで末代までその
名を残す、という点では同じようなものか
とも思います。
歴史認識、も口でいうのは簡単ですが、
実際となると、、(笑) 学会に行くと
同じ専門の研究者でさえも、解釈の
違いで、もうぼろくそな言い合いをして
いますからね。(笑) 謙介、それを
見るのが余りに嫌で、学会からちょっと
距離を置かせていただいていますが、、。
大和ミュージアムも、呉市は平和教育の
施設、と位置付けていますが、片方で
戦争賛美の施設じゃないか、という声も
ありますし、、。でも両方の声があって
いいと思います。タウリさんも機会があり
ましたら、一度、呉をおたずねになって
見学してみてください。
太平洋戦争では連合国側が勝ちましたが、
それでも連合国側だって、やはり戦死した
人も大勢います。大切なご家族が亡くなる
というのは、本当にあってはならないこと
ですね。そういう意味で今回の広島出張は
平和ということについても考えるよい
機会になりました。

Posted by: 謙介 | 13. 09. 19 at 오후 2:58

宇宙戦艦ヤマト、私はあのテーマソングの一部だけが何故か耳に残ってます。コメント重複してしまってすみません。あれ?消えたのかしらと再度…花形夜→ヴェニスの商人→花形昼と観劇弾丸ツアー⁈ちょっと疲れました。宿が大通りから近くて結構うるさく夜良く寝られなくて。潜水艦や船の方々はどうしてるんでしょうか。枕が変わるとよく寝られない私です。9月戻りは瞬殺です。花形は前日に翌日のチケットを昼、夜譲ってもらいました。転売屋が凄いです。3Bが¥7000とか…新歌舞伎座三等席は花道、スッポンが3B一番後ろからも観えるようになって良くなったとお隣の席の方etcから聞きました。譲っていただいたのは3A1列2列センター席でした。母は3等だと難しいかなetcお聞きしたら問題ない。(母世代の方)1等も座ったけど近過ぎて全体が観ずらい。問題はチケットより連休かなと。染○郎さん謙介さんが声が通らないとか?ちょっと分かった気がします。ご本人も気にしておられるようですが…松○さんのセリフが所々聴き取りずらかったんですが…本当は昼は観る予定ではなかったのですが、歌舞伎ファンの今度いつこのメンバーが揃うか分からないという意見を参考に帰りの切符をキャンセルして予定変更で観劇しました。
さて10月の戻りを頑張ってとらないと。それにつけてもちょっとチケット価格が高いですね。10月は連休土日以外は簡単にチケット取れそうです。

Posted by: ゆき | 13. 09. 20 at 오후 8:09

---ゆきさん
 いえいえ。コメント、重複とはおっしゃりながら、表現がやはり違う個所もありましたし、せっかくお書きいただいたのを管理人の一存で消してしまうのも、あまりに傲慢なような気がしたので、あえて残させていただいた、ということなのです。
 潜水艦の乗組員の方、本当に仕事はいえ、あの狭さは、ストレスがたまるような気がしました。ベッドなんて、そりゃまぁ目をつむったら上の視界なんて関係ないようなものかもしれませんが、あまりに上の人のベッドが迫ってきていて、圧迫感があるような気がしました。
 ゆきさん、本当に東奔西走、という感じで大変ですね。加えて、おっしゃるようにスケジュール調整が、、、でも、ファンの方々もおっしゃるように、公演って、その時、その時のものですから、やはり、この時を逃してしまうと、、と思って無理してしまうんですよね。お気持ちすごくよくわかります。
 染○郎、声がねぇ、、ずいぶん前に南座で
観たとき、あの比較的小さい南座で、しかも宙乗りで客席のすぐ上まで来ていて、それでさえ声が聞こえてこないことがありました。
これではあかんやろ、と、思ったのですが、、。たぶんあのころはまだ今より若かったですから、もっと声も出ていたでしょうが、それでああでしたから、うーん、改善されていないと、ちょっとしんどいですね。
 夏のお疲れが出やすい時期です。どうぞご自愛ください。いつもレポート、ありがとうございます。すごくうれしいです。それに真摯なゆきさんのお話、自分もとても参考になっています。

Posted by: 謙介 | 13. 09. 20 at 오후 9:08

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