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13. 08. 06

自分の体を使うこと

今日はふたつひどい目に遭いました。

昼から出張で市内某所に行ったのですが、
そこの人が、昆虫の標本を見せてあげる、というのです。

標本たって、大きな建物の一室が全部標本の保存庫
なのです。そこは通常外部の人は入れないのですが
特別に、ということで見学させてあげる、ということに
なったのですが、、。

その標本室に一歩入ると、もう息ができないような臭いです。
ここの標本室は、全国で3番目に大きな規模の標本室なんです、
という触れ込みでしたが、、。

防腐剤のナフタリンというのかパラジクロールペンゼン
ってあるじゃないですか。それがもう入ったら
入った人間すべてが防腐加工されてしまうほどの
濃いその臭いです。 

あまりの臭いのきつさに窒息しそうに
なって、、。 ここの人でも10分間が限度、というのですが
謙介なんて、標本もろくすっぽ見ずに1分で出てきました。

死にそうであった。

で、そこから今度は市内のほうに行ったら
打ち水をしましょう、って、なんだかイベントをやってました。

あのねぇ、打ち水したら確かに気温が下がります。

でもね、打ち水をする時期が問題で。
昼間なんかにしたら、そんなもの即座に水が蒸発して

却って蒸し暑くなってしまい、
不快指数が余計に高くなるだけ、なんですよね。

だから打ち水のイベントするんだったら、夕方にしてよ、
って思います。

もうちょっと時期を考えてしたらいいのに、
って思ったりしたんですけど、、。

でもああいうイベントっていうのはやはり、勤務時間内に
しなくちゃいけないから、ってお昼間にするんでしょうか。


本当に打ち水をしたその辺一帯が、
余計にムッとした空気で、ただでさえうっとうしいのに
なおさら不快な感じがしました。
まるっきり逆効果です。


やれやれ。
と言いながら、街中から戻ってきました。
今日、先日の岡山の会でお世話になった方々に
暑中お見舞い兼お礼のはがきを書いていました。

で、その時つらつらと思ったのですが、

どうして最近って自分の体を使って何かをする、
ということがおざなりになってしまっているのでしょう。
手で字を書く、手で何かを作る。
ネットでなくて、本にあたって調べる。

パソコンのキーボードを打ったら
たちどころに何でもできる、って思ってません?

車の運転でも、ほとんど
オートマチック車です。
おまけに日本の車って性能がいいから
運転する人間の反応にすぐにこたえてくれます。

でも、その高性能が曲者で、いつか、万能感を
運転する側に与えてしまうんですよね。
それで、ドライバーは自分は何でもできる、と
変に錯覚してしまったりします。
「オレさま」運転とかね。


だから逆に事が自分の思った通りとか、
うまく運ばないとすぐにイライラしたり、
周囲に当たったり、っていうことに
なるんじゃないのかなぁ、って想像したりします。

高速道路でもふつうの道でもよく見かけます。
無意味に追い越し車線をものすごいスピードで走って
たまたま前の車を抜こうとして、ちょっと追い越し車線に
出てきた車を後ろから「おらおらおら、どかんかい、われ。
なんさらっしょんじゃ。くそとろげに走るなボケ! 」というような
運転をする人、結構います。


自分の体を使って何かを作り出す、
仕事をする、いろいろなものを調べる、
そうやってみると、決してうまくいきません。

自分の思った通りには、まずならない、と思ってもいいと思う。

それこそうまく行ったとしても、10のうち1あるかないかです。

たとえば字を書くのもそうです。
まっすぐに字を書くにはどうするのか?
同じ字が近くにいくつも出てきたら、どう変化をつけるのか。
墨つぎをどこでするのか。

ちょっとお手本を見ただけで、ああこうなっているな、と分析して
理解できる、っていうのは、よほどの
上級者です、って。

え? 謙介だってそんなもんできゃしません。

最初は古典の作品を見て、それから自分でやってみて、
それでもできないから何度も人に聞いて、それでまたやって。
もう全然うまくいかないかもしれないですが
その繰り返しです。

何百回、何千回やって、その字を書くときの動きを
身体におぼえこませるのです。

そういうことをひとつひとつ身体で覚えながら、
ステップアップしていくことって
本当にしんどくて時間がかかります。
忍耐強さが必要と思います。
だから「石の上にも3年」なんていうことわざだって
できたのでしょう。


謙介の書の練習で言うと
そういう地道な基礎を学んだうえでないと書の字は
書けません。

大工さんの仕事だってそうでしょうし、、。
いろいろなものを身体を動かして実際に作る仕事っていうのは
すべてちゃんと一人前の技術が習得できて
はじめてそこから何かができる、ということに
なるのだと思います。 

昨日の晩にNHKの「きょうの料理」を見ました。
番組の幕間にイタリアンのシェフのお店で
そこの若い人たちが工夫をしながら「まかない飯」の
メニューを考えて作って、オーナーシェフがそれを
食べる、というシーンが映っていましたが、
食べてから、プチトマトの皮は剥いたの?
皮が口の中に残ると後味が悪いよ、と
感想というのか批評のコメントを言われていました。

そうやって仕事っていうのものはひとつひとつ経験をして
身体で覚えていくものだよね
って改めて思いました。

どうも身体を動かす、というと、
スポーツ方面に行くことが多いのですが、
そういう方向でなくて、仕事をするときに体を動かす。
面倒がらずに自分の体の一部を使って、何かをする、
ということが、とても大切なのではないか、と思います。
自分の場合でも論文を書くときには
たとえば万葉集の歌で、歌われた場所がはっきりとして
いるものであれば、その場所に出かけてみます。
そりゃ、あの歌の歌われた時代からは全然違うにしろ、
距離感とか、景色の見え方、とかを実際に見てみないと、、。

先人の書いた論文の記述だけ鵜呑みにしていたのでは
間違った解釈になるかもしれません。
必ず現場に行くこと。そうしたフィールドワークは
絶対に必要です。

謙介、運動、っていうのはさっぱりダメですが、
書を習ったおかげで、身体を使うこと、
仕事をする時に身体を使ってやり方とかノウハウとか
技術を覚えていく、ということの大切さは
よくわかります。

今の世の中、携帯でメールを打つにはじまって、、
雑誌なんかを見ても、情報処理というのか
情報と情報を組み合わせただけのことが
世の中の先端みたいにもてはやされていますが、
でもあれって単なる技術(スキル)でしかないじゃないか
って思います。

本当の仕事、っていうのはそういうスキルも知ったうえで、
そこからスタートするものじゃないか、って思います。

自分の体を使って新しいものを生み出していく。

ただまぁそれが究極の理想ではありますが
たいていの仕事ってルーティンなものでもあります。
仕事の大半が、あーあ、またこれか、って
いうようなことはあると思う。
でも、そこに、じゃあ、自分は今までとは違う何かを
入れてみる、とか、違う方法でやってみるとか
そういう何かを加えることができたら、
いつかそれが自分の仕事になっていくんじゃないかなぁ、って
思うんですよ。

そんなことを今日は字を書きながら思ったりしました。


(今日聴いた音楽 松任谷由実 リフレインが叫んでいる
 この曲って、謙介の中ではイメージがはっきりと浮かぶの
 です。 曇った空。荒涼とした丘。その丘を風がものすごい
 勢いで吹き抜けていきます。その風にあおられるように雲も
 早いスピードでどんどん動いていくのです。 雲の間から
 少し日が射しかかったと思うと、また別の雲が重なって
 結局日は射さないまま。荒れ果てた草原の彼方には
 白波が立つ海が鈍い色をたたえて、そこにあります。
 この曲からは、そんな風景が浮かんでくるのです。)

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Comments

無謀な運転される方多いですよ…田舎だから?追越し禁止で追越し、トンネル内で追越し、交差点曲って直後に停車、道路が車庫の代わり、衛生車が民家に突っ込んで…何の為に教習所があるのか?
三津五郎さんが徹子の部屋で、歌舞伎はお稽古4日程度1週間は稽古したい、映画なんかだと1月お稽古する事もあるからいいなと。ヤマトタケルがシネマ歌舞伎に、来年あたり追悼「市川團十郎特集」とかありそうです。以前に比べてシネマ歌舞伎も舞台は良くても映像が?みたいです。
松竹価格設定据置でいくようですが、60ー70代も永久に1等に座れるわけじゃないでしょうに。こんぴら値上で琴平町が潤う、舞台に手を掛けるならいいんですがそれはない。松竹がどうなろうが知りませんが付き合う役者、スタッフetcがお気の毒です。もう松竹とはそういう会社だと割切るのがベストですな。

Posted by: ゆき | 13. 08. 09 at 오후 5:22

---ゆきさん
こんぴら歌舞伎もそうです。
練習は3日も取れたら、いいみたいですよ。ローカル紙がこんぴら歌舞伎の
練習が始まった、という報道があって
もう2、3日して公演がはじまった、と
いう記事が出て、あまりの短さに
唖然としたことがありました。
ただ、かつてオーケストラでチェロを
弾いていたうちの姉に聞きますと、
公演の時なんて、指揮者とオケの
合同練習なんて、2回合わせたら
おしまい! って言っていました。
どうしてそれだけしかしないの?
って聞いたら、プロだから、だそうです。

歌舞伎は形の決まっている部分も
ありはしますが、それと同時に
近代劇の要素のような心情を吐露する
部分の描写だってありますよね。
役者さんだって、そういうことを
思っているのに、スケジュールのせいで
時間をとってない、というのは
明らかに松竹のタイムスケジュールの
問題ですよね。
おっしゃるように、もう松竹は
そういう会社で、未来永劫直りはしない
というふうに見切りをつけなければ
ならないのでは、と真剣に思います。

Posted by: 謙介 | 13. 08. 09 at 오후 10:29

お稽古ごとって、いくらやってもちっともうまくならない、それでもやっていて一年くらいたってから、あら一年前よりちょっと上達したって気がつくようなものが多いですよね。今はちょっとやってすぐ目に見える結果が出ない物を我慢できない人が増えているのでしょう。子供のお稽古でも、家で一週間練習してくる物より、とりあえず行けばいいお稽古の方が人気ですもん(水泳とかバレエとか)子供はもちろん昔から練習なんて嫌いですけど、親も練習させるのがめんどうなんだと思います。でも、延々と練習する経験て大切ですよね。

Posted by: アリクイ | 13. 08. 16 at 오전 7:38

---アリクイさん
日本の芸事、って、何はともあれ、体に覚えこませる、ということがあるように思います。そうしておいて、どんな時にも、無意識にその形が出るようになれば、いいというのが始めです。(ところが本当はそこから応用編が始まるのですが、たいていはそこで終わってしまうんですが。)ですからやはり一つのことを「たたきこむ」ということにどしてもなってしまって、その部分だけ見た人が、形にはめ込んでいる、けしからん、ということになるのでしょう。でも、そこをおざなりにしたら、どうしようもないんですが、、。
そうなんです。延々と練習させて無意識に形ができる、というところまでもっていかないといけないんですけどね。謙介はそれが大切と思います。

Posted by: 謙介 | 13. 08. 16 at 오전 9:20

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