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13. 08. 22

瀬戸芸・夏会期(2)

実は今回のこの伊吹島へ行くにあたって
伊吹島の展示施設についていくつかの質問を
観音寺市の観光協会にメールで送りました。

観光協会のメールフォームから送って
「正常に受理されました。後からご返事をおおくりします。」
のメッセージが自動返送されてきたのですが、
8月22日の今日に至るまで、いまだにお返事が
来ていません。

ああいうところは、
メールのチェックなんかしていないのでしょうか。
それとも、こんなカスみたいな質問には
答える必要もない、と思って黙殺して
しまったのでしょうか。

謙介って、そういうふうに問い合わせをすると
返事が来ない、っていうのか無視される、って
しょっちゅうあります。

前に銀行で新聞購読料の自動引き落とし
の手続きをお願いしたのに、3か月放置されていた
ことがありましたし。

やはり影の薄い存在なのでしょうかねぇ。

ただ、この件についてはまた稿を改めて書きたいと
思います。


さて。この日の午後は、
ちょっと気分の重い場所の見学になりました。


シャトルバスで駐車場に戻り
暑い車に乗って、
(このころ、車のクーラーが全然冷えなくて
悲惨な状態でした。)

今度はお昼です。

あつひ~
観音寺の街からちょっと南西に行ったところに
大喜多のうどん屋があります。
お昼はここ。

Okita


だいたい田舎のうどん屋ってこんなものです。これが普通。
お店の中は11時半のベストな時間だったので
もう結構混んでいました。

うどん屋に行くベストタイムは、午前11時から
午後1時までです。この時間だとうどんも
打ち立てゆでたてが食べられるからです。

食欲があまりなかったので
冷やしうどんにしました。
行ったら、ちょうどおっちゃんがうどんをゆで始めた、という
ナイスなタイミングでした。

10分ほど待って、うどんが来ました。
Okita3

おいしいうどんを堪能して
今度は善通寺に移動です。

善通寺の市役所に行きます。
市役所の建物の南側にこの建物があります。
旧日本陸軍の厚生施設の偕行社です。

Kaikosha1

この偕行社、という建物は、旧陸軍の厚生福利施設の
総称なのd、昔、陸軍の師団があったところには
必ずこの偕行社の建物があったそうですが
戦争の空襲や老朽化で他の師団のそれは
無くなってしまい、こうして今も残っているのは
わずかだそうです。


10年くらい前に保存のために解体調査をして
合わせて耐震化工事もした、
という話は聞いていたのですが、
なかなか行く機会に恵まれませんでした。
さっそく入ってみます。
これが北側をずっと横に貫いている廊下です。
Kaikosha2

この善通寺は弘法大師の生まれたところですが
近代に入るとここに陸軍の師団が置かれた関係で
一気に軍事都市になっていきます。
(高松市に軍の施設を置きたい、と陸軍省が
言ったのですが、高松市が嫌だ、と言ったそうです。
何せ、江戸時代は御三家の水戸家の親戚でしたから
明治新政府の陸軍、なんて、そんなもの嫌だ
と言下に断ったようです。)

そうして陸軍は丸亀と善通寺に置かれました。
丸亀のほうは戦後は跡形もなくなってしまいましたが
善通寺のほうはそのまま陸上自衛隊の駐屯地になり
今に至っています、前に何度かここの自衛隊の
一般公開日に行った時のことを書きましたよね。

今、この建物は市民のいろいろな
集まりや会合に使われています。
この建物の横に別棟として
「偕行社カフェ」というカフェまでできて
いました。この辺、おしゃれなランチをするところが
ないので(うどん屋なら山ほどあるけど)
結構賑わっていました。


偕行社の内部は三つの部屋に分かれていました。
東側の部屋は貴賓室で、
かつて陸軍の軍事演習の時に来られた
大正天皇・皇太子(のちの昭和天皇)がそれぞれ
御座所としてお使いになった部屋があります。

これは貴賓室の応接室。
Kaikosha3


こちらが天皇・皇太子の御座所。
Kaikosha4


真ん中が大広間。(ホール)

Kaikosha5


天井のシャンデリアもこんな感じです。
Kaikosha6


そうして西側が食堂、ということになっていました。

内部は本当に涼しくて、ずーっとここにいたい、と
思いました。
解体工事をしたときに、目立たないようにエアコンの
設置もし、床下から冷気がびゅーっと吹いてくるのです。

ここは今は国の資産を離れて、善通寺市の
市役所の土地ですから市が管理することになっています。


向かい側にはやばい善通寺市役所が。

Shiyakusho_1

ちょっと前に、耐震診断をしたところ、この建物、
震度6強で崩壊する危険があることがわかりました。

新しい建物を建てなければいけないのですが
何せ善通寺市はお金がありません。
で、今、うーん、うーん、と悩んでいるところ
なのだそうです。

と、いうのが、善通寺、市の名前が有名だったせいで
周辺の街と合併ができなかったのです。
ちなみに善通寺の南側が琴平町ですが、
ここもこんぴらさんで有名ですから、
町名が変更するのはできない、ということで
合併ができませんでした。


奈良の明日香村が結局合併しなかったのも
この理由、と聞いています。
有名な自治体って、合併して名前が変わって
しまうと、困りますもんね。


で、こんど行ったのは、陸上自衛隊です。
偕行社から車で5分ほど南に行ったところにあります。
行くと門のところに警備の自衛官の方が。
「すいません、見学に参りました。」と告げるとゲートを
あけてくれます。

駐車エリアに車をとめて、
門のところに必要事項を記入すると
どうぞ、と、見学の指示をしてくれました。

Nogikan10

ご存知のように四国はこのころものすごい暑さでした
連日37度とか38度。熱くて熱くて、 かいづかいぶきの
並木をへろへろと歩きました。

Nogikan1

いよいよ建物に近づきます。
この建物は「乃木館」と言います。
Nogikan2

たまたまこの日は、自衛隊の納涼祭の日、みたいで、
もうこの時間(午後1時過ぎ)に各地区からお客さんが
来ていたようでした。
Nogikan3


謙介は、この建物を見学に来たのでした。
というのが旧陸軍の第11師団がこの街にできたときの
初代の師団長が、乃木希典で、その乃木さんの
資料が置いてある建物なので、そう呼んでいます。

実はこの11師団ができるころ、乃木さんずーっと待機状態で
無任所だったのです。
(当時の人事で正直どこに乃木さんを持っていけば
いいのか、ちょっともっていくところがなかったのです)
で、そのころ、この11師団が新設されることに
なって、乃木さんをここに、と、思ったのですが
上層部の中には、「四国の田舎くんだりに
乃木さんを、というのはいけないだろう。」という
反対意見もあったのですが、
乃木さんに「四国の田舎でもよろしいか? 」
と尋ねたら、「天皇のご命令だったらどこへでも」
ということで、赴任が決まったのだとか。

この建物も明治に建てられたものがそのまま
残って今も現役の施設として使われています。
この建物の2階がここにあった旧師団の資料室となって
公開されている、ということなのです。

早速中に入ります。
2階への階段は欅の一木造りの階段です。
乃木さんもこの階段を上り下りした、のです。

しかし、乃木さん、どうしてこうも
いまだに人気があるのでしょう。
戦術にたけていたかといえば全然ダメで
陸軍でも使えないから無任所のままだった
時期すらあった、ということですね。
でも、そういう実務面は今一つでしたが
人気・有名度という点では有名なほうだと思います。

どうしてかくも乃木さんは有名なのか。
やはり明治天皇の後追いで殉死をしたから、でしょうか。

漱石がこころを書くきっかけになったのが
乃木さんの明治天皇に対する殉死、ですね。
大抵の高校生は国語でこころを習います。
その段階で、乃木さんについて直接、詳細には
習わないでしょうが、名前が出てきて認識する
くらいのことはあるかもしれません。

Nogikan4

最初の部屋はこの師団の歴代の師団長の写真が
飾ってある部屋です。

Nogikan5_2


沖縄戦を指揮して最後は自決した
牛島中将もかつてここで勤務していたようです。
そういえば今日は対馬丸が襲撃されて沈没した日でしたね。

Nogokan6


乃木さんが、11師団の指定旅館のご主人に書いて
与えた看板だそうです。 すばらしい字ですね。
ほれぼれします。 この人、軍人より書家だったら
良かったのに。

Nogikan6_2

右側の小さい角ばった椅子が、初代の師団長から5代目までの
師団長が使った椅子だそうです。ということは乃木さんが使った椅子
ということですね。
Nogikan7_2

戦争中の軍関係の資料がいくつかの部屋に分かれて
置いてありました。
Nogikan8_2

Nogikan9_2


自衛隊の広報係の人も、今では時代が変わって
こういう展示物を公開するのはいかがなものか、という
批判もあるのはわかっているが、事実は事実として
公開するのも役目だと思う、ということで
公開している、とおっしゃっていました。
太平洋戦争が終わって68年たちますが、

こうした戦争中の資料の実物を見て
あの時代を客観的に考えることも必要なことでは、
ないか、と思いました。

(今日聴いた音楽 サヨナラはカチガツのララバイ
 吉川晃司 1984  LPレコード 何度聴いても
 どう聴いてもハチガツ、なんて聞こえない。)

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いなかのせいかつ」カテゴリの記事

Comments

>「後からご返事をおおくりします。」
のメッセージが自動返送されてきた、8月22日の今日に至るまで…
問い合わせをすると返事が来ない
謙介さんが丁寧なんじゃないですか?
それとも自動返送が形だけで形骸化されているのか…
四国に行く際に某鉄道会社に問合せしましたが結構時間がかかりましたよ。
>前に銀行で自動引き落としの手続き3か月放置
そりゃ酷いでしょ。銀行のお客様相談室とかにきちんと対応してもらうとかしないと!!握り潰されるのかな?
暑い!暑過ぎる!!気象予報士が8月は平年より気温が低くなるとかいっていたような…
最高・最低気温はどうもあてにならないような…アスファルトの照り返しetc絶対もっと暑いだろとここ最近思うんですよね。

Posted by: ゆき | 13. 08. 25 at 오후 8:17

---ゆきさん
実は、明日の文章に書こうと思っていたの
ですが、結局督促の手紙を送って、
ようやっと23日にお返事が来ました。
係りが二人いるそうですが、お互いが
これは相手が送るだろう、と勝手な
解釈をして放置していた結果、
二人とも処理をしなかった、と。
それで結局、放置されたまま時は過ぎゆき、
で来なかった、ということだそうです。
事務の引継ぎとか、確認とか、
仕事の上では当たり前、と思うのですが
そんな基本中の基本すらできていない
なんて、、呆れます。
で、さっき観音寺市観光協会のご質問欄の
ところを見たら、瀬戸内国際芸術祭関連の
質問は、瀬戸内国際芸術祭事務局に
してくれ、と赤字で書いてありました。
だけど、そういうことじゃないだろう、
って思うんですよ。あんたたちの
事務の確認ができていなかったからでしょ?
変なところに責任転嫁するなよ、って
思いました。
新聞の講読手続き遅れていたのは
伊予銀行ですが、窓口係にねちねちと
文句を言って責任者を出せ、と言ったら
クレーマー担当みたいな男の人が出てきて
慇懃無礼を形にしたら、まったくそれ、
というような応対で、
「どうもすいまへんな。フン! 」
という対応でした。
窓口係りだって、「すみませんですぅ。」
とか一応言ったけど、こんな程度の
一般顧客が何を言ってるの?
と思って、どうせ心の中で
舌でも出していたことでしょう。

時々、都会とかで感情が爆発して
突発的に犯罪を犯してしまう、という人が
いますが、ひょっとしたら、そういう人は
まじめな人で、こういう仕打ちに多々遭って
感情が爆発して制御できなくて
犯罪を起こしてしまうのではないのか、
と思ったりもするのです。
(もとより犯罪を起こしてしまうのは
いけませんけれども。)

Posted by: 謙介 | 13. 08. 25 at 오후 11:44

謝罪に取り敢えず謝ればいいんでしょ的な誠意が感じられなかったですか。
琴平に行くのにブログにコメントしても音沙汰がなかったりすることも少なくなかったですよ。
謙介さんは誰に対してもきちんとされているので伝統芸能と和をこよなく愛する背の高いイケメン男性を勝手に想像しております。
私もありますよ、名○駅で…南紀乗車予定で3時間に1本しかない!!紀伊勝浦まで行くには。乗換が20分近くあったのに窓口が新人なのかいつまで経っても進まない、2人も指導者が居るのに観てるだけ…混雑してるんだから少し手伝うとか何故しないのか?乗り遅れて日程がグチャグチャに(涙)
「野田版研辰の討たれ」観てきましたが満員御礼!!勘三郎さんはやっぱり凄いです。三津五郎さんが心配です…吉右衛門さんも体調がよくないとか?歌舞伎ファンは松竹は何人役者を犠牲にしたら気がすむんだetc大相撲化しようが外資系に乗っ取られようが知ったこっちゃありませんが、本当にきちんとするべきでしょうに…9月花形も人気ですが新作にしても花形のお値段としてはちょっとお高い気がします。

Posted by: ゆき | 13. 08. 31 at 오후 7:12

---ゆきさん
 そうなんです。謝る、と言っても
なぜ遅れたのか、理由があって、
あとは「信頼を損ねてしまいました。
以後管理等に細心の注意をはらって
いきたいと思います」という
なんだか謝罪例文集から丸写しに
してきたの? というような文章
でしかありませんでした。
 そうなんです。ゆきさんと
三津五郎丈の話がしたかった。
 うちの叔母がすい臓がんで亡くなり
ましたし、謙介自身も、半年に1度
肝臓周辺の超音波診断をしてもらって
います。主治医に言わせると、
肝臓周辺は臓器が重なっていて、
そういう超音波診断でも異常が
発見しにくい、と言っていました。
それに万一発見されても、
すい臓は非常に治療が難しく
結局手遅れで亡くなってしまいました、、。
 いつも超音波診断をしたあとで主治医が
「診てわかる個所では、異常は確認
されませんでした」という言い方しか
しないほどです。今回三津五郎丈
見つかった、というのですが、
そもそも、すい臓の病気って、過労から
来ることが多いと聞いています。
やはり働かせすぎなんですよ。
本当に松竹は役者をこき使って
消耗品のように扱って、ポイ捨て、
という感じしかしません。 映画監督
だってそういう感じでしょう。
三津五郎丈の今後の治療が、とても
心配ですし、このままだと今の歌舞伎を
支えている、すばらしい名優さんたちが
どんどん消えていくような気さえ
しています。
  謙介がイケメン、って、もう、あははは、です。父方の親戚には俳優をやって
いる人間もいるぐらいで、(きっと
名前を言ったらゆきさんもおそらく
知っているとは思いますが。)その
影響は見たところ、(うちのオヤジの
若い時は、なかなか、でしたが)
さらにその子に行くと、そこで
どうもぐちゃぐちゃになって
しまったようで、、(笑)

Posted by: 謙介 | 13. 08. 31 at 오후 9:55

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