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13. 08. 23

古墳ガール、だってさ

と、この記事を書こうとしたら、

同志社の考古学の先生だった森先生が
亡くなった、というニュースが入ってきました。
85歳。 あれまぁもうそういうお歳だったんだ、
ということを思いました。

それで、雑誌を見ていたら、対談というのがありまして。

これくらいかけ離れた専門の人の対談、って
ちょっとすご過ぎて、、見たとき頭がぐらぐらしましたわ。

どんなジャンルの対談か、って言ったら、
砲丸投げと万葉集。

Img_5049


室伏選手と、中西進センセイですよ。
一体この人選、って誰がどうして企画したんでしょうね。

ということも謎ですが、
謙介がどうしてこんなコーチングクリニックなんていう
スポーツ専門誌を読んでいるのか
というのも謎と言えば謎か。(笑)


ここずっと四国は最高気温が35度から37,8度です。

韓国で電力危機とかでお役所の冷房を切って
しまった、って、あって。で、暑い、っていうから
ソウルとか仁川の気温見たらたったの30.2度よ。
何が暑いだ? パーボ。 こっちなんか40度だよ。
それは涼しいというんだよ。


今回の熱気って、南西から張り出していたんですけど、
四国の南西からストレートに入ってきたときの
最前線の場所だったので、その熱気を
一番ストレートに受けた場所だったから、
っていう気がします。
フェーン現象ですよね。で、西土佐は盆地ですし。
だから吹き下りてきた熱気がそのままこもって
ああいうことになってしまったのでしょう。

でもね、高知の西南部でも結構差があって
その手前の土佐清水なんて、
33度くらいだったりするんですよね。

高知で40度、って言われると、謙介ものすごく
違和感があるんですよね。
高知、って言われると、高知市を思う訳です。
でも最高気温が41度になったのは
四万十市西土佐です。
高知県のある場所じゃないか、って
言われたらそうなんだけど、ならば高知県の
四万十市では、と言ってもらわないと、高知市と
四万十市では、文化もことばも全然違いますから。

で、実は、今日も仕事で高知市朝倉の方とお話していたのですが
その方も、高知で40度と言われると高知市を思って違和感が
ありますねぇ、とおっしゃっていました。
思わず「違和感あるろ? 」(違和感あるでしょう)
と言ってしまった謙介ですが。

高知県は東西に長いので、真ん中の高知市と
西南端の四万十市では全然気候も風俗習慣も
違います。高知と言いながら全然別もの、です。

その西南部の幡多地方ですら、土佐清水とか
中村と西土佐では全然違う市、、。
ちょっとした空気の流れの関係でそんなふうに
変わるのでしょうが、あれがとっても不思議な気がします。

あのね。人体でも37度っていうと発熱している、
という温度ですよね。 外気温で40度だって。

エジプトのカイロの気温が35度だからさー。
しかもカイロは湿気がなくてドライだから
陰は涼しいと思います。

たぶん謙介的にはお彼岸ぐらいまで
ぎらぎら暑い日が続くんじゃないか
と想像します。あとまだ一か月もあるよ。


その気温が高かかった夏っていうので思い出したことなんですが。

このあいだ最近は古墳ガールというのがいる、というニュースを
見ました。


そんな人、いるってほんとうなんでしょうか?

それと、どの程度の古墳好きなんでしょうか?

堺とか羽曳野とか奈良に行って古墳を見る程度、なんでしょうか?

それとも、炎天下とか、極寒の時期に
古墳の発掘作業をする、っていうところまで行くんでしょうか?

謙介、文学部でしたから、当然その中に史学科というのもありまして
その史学科は、日本史と西洋史がありました。

日本史は考古学・古代史・中世史・近世史・近代史と民俗学の
各研究室がありました。 史学科の友達も結構いましたから
史学科にもよく遊びに行ったのですが、、、。

そのころなんて
考古学研究室はほかの文学部の研究室とは
ずいぶん違う印象でした。

というのか、文学部の中でも、国文科なんかは男子4:女子6で
女性が多かったのですが、史学科は
男子8:女子2くらいでしたし、
さらに考古学研になると全員男でした。


みなさんは遺跡の発掘、ってしたことあります?

もうね、本当に大変なの。
どこが、って、どれもこれも全部。


ちょうど大学の構内の遺跡の発掘のバイトをしたんです。
夏休みのことだったわけです。
京都なんて掘ったら遺跡ですからね。(笑)

京都は条例がありまして、謙介のころは5階以上の
建物を作るときは、埋蔵文化研究所に連絡をして
まず調査をしてもらわないといけないんです。
(それ以前は3階以上だったのが、緩和されて
5階になったんです。)
ということで発掘バイトは結構ありました。

謙介の担当は発掘の現場に行くのはなくて、
プレハブの小屋の中で、
発掘された土器の泥とか土を、歯ブラシのちびたやつで
こすって落とすという作業だったわけです。

プレハブの小屋にはクーラーなどというハイカラなものなんて
ありません。
その年の京都も暑かったです。

しかもプレハブの小屋です。
屋根はトタンの屋根。
太陽光はどんどん熱となって、小屋の屋根を
突き抜ける。室内はそりゃあ、窓を全開にして
出入り口だって全開にして、
扇風機は入れてくれてたんだけど、
そんなもの、ただ単に熱風をかき回すだけでしかありません。


そんな中で、日がな一日、歯ブラシで土器の泥を
こする、という作業をするのです。


で、だいたいがそんな発掘なんて大学の講義のお休みの
時期に、っていうことが多かったから、真夏とか真冬とか
もうねぇ、気候条件の劣悪な時期に限って
そういうことをしてた、って記憶があります。

40度近い気温の中で、ずーっと歯ブラシで
土器をこすっていたら、
そんなもの頭がぼーっとしてくるんだから。
今はエアコン入れてくれているかといえば
おととし、奈良の箸墓近くの古墳発掘現場に
行って見学しましたけど、やはりクーラーなんて
ありませんでした。
だってそんな野原の真ん中、どこから
電気を引いてくるんだよ、っていうことですね。
だからやはり炎天下、テントの布の下で
扇風機もなくて、土器の整理をしていました。

そんなところで、発掘の手伝いをするような
古墳好きの女の子っているのかなぁ
というのが謙介の実体験から出てくる疑問でありまして。

それとも単に古墳を見て、
ついでに美化のし過ぎで、謙介的には
ひっくりかえりそうなヤマトタケルのイメージ画像
なんか思い浮かべてうっとりするっていう程度
なんでしょうかね。

あのころの考古学研なんて、男しかいませんですから、
研究室に入ったら、ぷーんと汗臭い。
片方に測量の道具とかおいてあったり、
出てきた土器が大きなトレーみたいなものに
どさっと載せてあったり、、。
発掘された木製の資料が乾燥しないように
水を張ったトレーの中にそうした木製資料が
つけられていたり、、。

たまには人骨もありましたけど♪

で、窓際には酒瓶が林立している。
(剣菱が多かったなぁ。)
もうね、研究室というより飯場です。

考古学研っていうとそういうところですし、、
にわかに女の子が、古墳に興味があるのよ、たって、
たぶん発掘方面はしなくて、出た遺物とか
古墳の埋葬者を想像してうっとりしてる
っていう程度なんじゃないかな、って想像します。

か、もしくは歴女から想像を伸ばして
あれはマスコミが言ってるだけ
というような気がするんですが、、。
果たしてどんなものなのでしょう??


(今日聴いた音楽 渡辺真知子 ブルー
 1978年8月21日発売 あの年の夏も暑かった。 
 10月の頭まで、汗ダラダラでしたもんね。
 その年の9月の末に京都の市電が廃止に
 なりました。 )


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