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13. 07. 03

水無月京都行(3)

次の日の朝は6時に目がさめました。
シャワーを浴びて、カフェテリアで朝食をいただいて
荷物をまとめて出発です。

下の写真、謙介にとっては
あらためてしみじみと感じるところのある写真なんですよ。

今はこの建物、京都ミーナとかいう訳のわかんない建物に
なっているのですが

ここには以前京都宝塚劇場があって、その1階に
駸々堂京宝店という大きな本屋がありました。
この店、本当に使い勝手のいいしかも品ぞろえのいい
なかなかいい本屋さんだったんですけどね。

駸々堂は2000年に倒産してしまって、その後は
阪急系列のブックファーストが居ぬきで入って
しばらく経営をしていましたが、ビルが建て替えに
なったために、そのブックファーストも無くなって
(今は四条河原町の角でやっています。でも
規模がすっかり小さくなってしまいましたし、
置いてある本のジャンルが限られているし、
複数階にまたがっているので、すごく使いづらい
本屋です。)京都みーな、というようなビルに
なっています。

Shinshindo

その駸々堂京宝店の南側にあったうなぎの舞阪も去年の今頃
(2012年7月)閉店になってしまって、、 (本店のほうはやっているらしい)
あちこちのなじみの店が閉まってしまいました。(下の写真の左側の建物です。
閉店して1年になるのに、まだ、そのままです。)
Maisaka

いろんなお店の「遺跡」を見て、三条大橋を渡りました。


Sanjyo


ひとまず三条京阪に向かいます。
前は地上駅でしたが、今は電車はすべて地下化して
しまったので、地上には電車の影も形もありません。
地下に降りていって、コインロッカーを探します。

昨日の会議で着ていたジャケットの上着やら、
旅行用のカバンやらをコインロッカーに預けます。

でねぇ、ここからがちょっと思案だったのです。
(といっても大したことではないんですが。)

この日の午前中は醍醐寺に行くことにしていました。
ここも、駐車場から御朱印をいただける場所までが
距離が相当にあって、両親と行くのは断念したお寺だったのです。

三条京阪から
醍醐寺へ行く方法はふたつあります。

一つは京阪電車の浜大津行に乗って、山科で降りて
京阪バスに乗り換えて、醍醐三宝院まで行く方法。
これだと醍醐寺のすぐ門前までバスで行けます。

もう一つは京都市の地下鉄(六地蔵行)に乗って
醍醐まで行って、そこからえっちらおっちら歩く方法。
こちらは、醍醐寺の前まではいけませんが、乗り換えなしで
醍醐寺の近くまで行くことができます。

山科、と、言えば、アルバイトで教えに行っていた
予備校が山科の椥辻(なぎのつじ)にありましたよ。 

今は右京区から山科までは地下鉄1本ですが、
以前はJRの山陰線で一度京都に出て、そこから東海道線だったり
三条京阪までバスで、そこから京阪の京津線に乗り換えて山科まで
行って、さらにバス、ということでした。
本当にあのころの山科は遠かった。


うーん。あれこれ悩んだのですが、結局、京阪電車の浜大津行に乗って
山科で降りてバスに乗り換える方法にしました。
幸い、ホームに降りたら、浜大津行の電車が入ってきました。
以前は地上を走っていたので、蹴上から東山を越えるところ
電車が坂を上っていくのが見えて、実感できたのですが
今は、外は真っ暗なので、坂を上っているのやら、どこを走っているのやら、、
さっぱりわかりません。 
山科駅の近くになって、電車は地上へ出ました。
ここからは以前の通りの路線を走ります。
地上に上がって、ちょっとしたら、山科に着きました。
駅そのものは変わっていませんし、駅の広場の狭さも相変わらずだったのですが
駅前のビルは大きくしかも高層のビルが建っていて
これはすごく変わったなぁ、という印象でした。
ここから京阪バスに乗ります。

バスは南にむかって走ります。
でも、やはりびっくりしたのが、もう田畑がすっかりなくなってしまって
いたことですねぇ、、。
まだ謙介がバイトに行っていたころは、
かろうじて田畑が見えていたのですが、、
もうすっかり住宅やら店やらビルが建てこんでしまっていて、、。

とはいえ、醍醐寺の近くに来たら、まだこんなところは
あって、ちょっとホッとしたんですが。
Daigo


お寺の塀に沿って小さな用水路があって、そこに蓮が植えられていました。

Daigo2

といいつつ醍醐寺の前に着きました。
Daigo3

醍醐寺も大きなお寺なんです。一番西の端に三宝院というところが
あって、今はここが醍醐寺の本坊になっています。
その東に下醍醐と呼ばれる部分があって、ここに本堂とか
五重塔とか観音堂があります。
それからさらにその上の山に上醍醐と呼ばれる部分が
あって、そこにさらにいくつかのお堂があるのです。
その三つの部分がひとまとめになって「醍醐寺」という
ことになっています。
ここは、一番端の西の門です。
Nishimon


このお寺も世界遺産。
Sekaiisan

西門を入って、三宝院(後で行くので省略)の前を通って、下醍醐の
門のところに来ました。
Soumon2
清水寺は人がわんさかいて、歩くのに疲れましたが、
ここは誰もいませんし、静かで落ち着いています。
この緑のトンネル、本当に気持ちが落ち着きました。
(春の桜のシーズンはこうは行きません。なんたって醍醐の桜
ですからね。すごい人が来ます。)
Keidai1

境内のいたるところに記念植樹がありました。
ご夫婦の金婚式のお祝いとか
祈東北震災復興とか
初孫の誕生とか
結婚祝いとか、さまざまな人が植樹をしていました。
木を植えた人が亡くなっても、若木は次第に大きくなり
いつか森を作るまでになるでしょう。
この方も亡くなってしまいましたが、木はすくすくと育っていました。
Naritaya

さて、ようやっと醍醐寺の本堂のところまで来ました。
もちろん国宝です。
Kondo

こちらは五重塔。これも国宝。きっと創建当初は朱塗りで色鮮やか
だったことでしょう。
Gojyunoto

観音堂に着きました。このお堂自体は信者さんの寄贈によるもので
比較的新しい建物です。(昭和のはじめのもの。)でもまぁもう
建てられて80年くらいは経っていますが。以前はさらに上に行った
上醍醐のお堂に観音霊場の札所の建物があって、そこで御朱印を
してくださっていたのですが、つい何年か前に、そこに落雷があって
その建物が全焼してしまったのです。しばらく上醍醐の山のほうは
危険で入山禁止になっていました。その時から、上のお堂で行っていた
西国霊場の御朱印の受け付けも、この下醍醐の観音堂で
行うようになりました。 もちろん謙介もここで御朱印をいただきました。

Kannondo

下醍醐は普通のお寺なのですが、上醍醐の登り口には
鳥居があります。 このお寺は真言宗ですから、当然密教です。
醍醐寺の境内には神社もあって、このお寺が神仏混淆の山岳宗教の
寺院であったことも示しています。 

Nyonindo

ここは女人堂です。昔はここから上のほうには女性は入れなかったために
ここで女性が上の諸堂の礼拝をしていたのです。こういうお寺は
密教の山岳宗教の信仰を持っているお寺(高野山)には
ありますね。謙介の場合は、体力的に無理(笑)だったので
ここで上の諸堂に向かって礼拝しておしまいにしました。
Nyonindo2

さて、再び下醍醐の入り口のほうまで降りてきました。
Keidai2

さっき端折った三宝院に向かいます。この門は、(この門も、ですかね)
国宝の唐門です。ここで豊臣秀吉が醍醐の花見をしました。
もちろん醍醐寺に折に触れて秀吉は寄進を行ない、
経済的なスポンサーとして、この寺を支えました。
だから、豊臣家の家紋の五三の桐の紋が入って
いるわけです。この門は勅使(天皇のお使い)が
入る門です。
Sanpoin11


民間の普通の人の門はこっち。
Sanpoin

ここが三宝院の玄関です。
ここにも豊臣家の家紋の幕がかけられていました。
まぁ豊臣家は醍醐寺の大旦那ですから、
これくらいのことは普通でしょう。
Sanpoin2

この裏に醍醐寺の本坊があります。 三宝院の庭は
写真撮影禁止でしたので、写真がありません。
建物も平安時代の寝殿造りを下敷きにした建物で、、
襖絵も美しかったです。

と、いうことで醍醐寺の見学はおしまいです。
さて、と思って、バス停に行ったら、なんと便数の少ない
三条京阪行のバスがやってきました。
(ただ時間はかかります)
これなら、来た時のように乗り換えなしで、乗ったまま三条京阪まで
行けます。 やったー。

バスもそう混んでおらず、座ることができました。
山科から三条京阪までバスで行くことにしました。

今日はここまでにします。

(今日聴いた音楽  ガラスのpalm tree  歌 杉山清貴 
 若いころの、オメガトライブ時代の、ではなくて、最近の
 しっとりとした歌い方のほうです。)


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Comments

醍醐寺、今でこそ豊臣家の家紋を掲げていますが、江戸時代はどうしていたのでしょうね。
堂々と貼り付けるわけにはいかなかったでしょうに。
国宝や重文、世界遺産を日常にしていると、感覚が麻痺してしまいそうです。
守礼門の規模とは比較になりません(苦笑)。

木々の様子が、ほんとうに日本らしいですね。
こちらでは見ることができない風景です。
どちらかというとジャングル?という感じが多いですから。
そういえば、慶良間諸島を国定公園にしようという動きがあるようです。
ダイビングのメッカですが、どうなることやら(^_^;)。

Posted by: タウリ | 13. 07. 04 at 오후 5:07

---タウリさん
 醍醐寺、江戸時代は江戸時代で徳川家の信仰があつく、いろいろと援助をしてもらっていたようなので、たぶん三ツ葉葵の御紋をつけていたのではないかと想像します。
 そういう時の為政者の関連で紋を変える、って結構あるんですよ。代表的なので言えば、名古屋城です。ご存知のように江戸時代は尾張徳川家で御三家だったので当然三ツ葉葵の御紋だったのですが、明治に入って、あそこ、名古屋離宮になったんです。宮内省の管轄になりました。それで屋根瓦が葵から菊の御紋に変えた、ということがありました。 ですから醍醐寺も、江戸時代は徳川の紋をあちこちにつけていたかと想像します。
 醍醐寺、植わっている木を見たら、多くが楓と桜でした。 春と秋はものすごい人出になります。今の時期だって緑がきれいで、、いい時期です。前日の清水寺が人ばっかりだったのに対して、醍醐寺は静かで落ち着いた感じがしてとてもよかったです。見ていたら、もうほとんどが国宝ばっかりで、、。やはり一見の価値はあるなぁ、と思いました。
 慶良間列島を国定公園にしたら、フリーハンドで遊べるところが減ってしまいますね。でも国定公園にしたら、乱開発とか、自然破壊から守ることはできます。その兼ね合いが難しいですね。

Posted by: 謙介 | 13. 07. 04 at 오후 10:42

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