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13. 07. 08

水無月京都行(6)

このところびっくりしたニュースが二つありました。
一つは知り合いのN井さんのやってるうどん屋に
あべしんぞーさんが食べに来たんだそうな。
次の日に新聞の首相動静っていうところを見たら
しっかりN井さんのうどん屋の名前が書かれていました。
これがびっくりしたひとつめ。

もうひとつは、タウリさんもお書きでしたが、
OZ(あしあなはんごん)機、桑港空港で着陸に失敗してしまったとか。


謙介がソウル通勤(笑)していたときに使っていた航空会社は、
「うりえなるげ=我々のつばさ」がキャッチコピーの
「水色の航空会社」より
あしあなはんごんのほうが格段に搭乗回数が多かったです。

いちばんよく乗った年は1年間で
20回乗った、という年もありました。


何せ飛行機の離発着時に機内に流れていた
「♪ちゃーらさらへっとーん」っていう
あしあなのテーマソングまで
覚えてしまったくらいでしたもん。


最初にあしあなはんごんの機体見たとき、
なんだか色がちょっとねぇ、、
軍用機かしらん、と思った印象があります。

結構デンジャラスな状況でも強行着陸してた、ようです。


ソウル(あのころは仁川でなくて金浦空港)から
四国の空港に到着して、空港から
タクシーに乗ったりしますと、「JALとかANAは着陸
できなくて引き返したけれど、あしあなは、着陸した。」
という話をよく聞くことがありました。

でも、今回は天候とか飛行機の状況も悪くはなかったようですね。


そのころはもちろん、あしあな、旧塗装のころで、
会社のマークから「お手上げあしあな」って
言っていました。 
だって↓こんなの。

Oz


左端があしあなの昔のマークです。
今はなんだか赤い矢印というのか、
かぎかっこのできそこない(笑)みたいな
マークになりましたけど。

親会社がタイヤ屋さん(錦湖タイヤ)のせいですかね。
この機体のタイヤ、なんだかきれいに見えません? 

今回の事故でも犠牲になられた方が出ました。
本当にこういう犠牲で亡くなる方の出るのは
痛ましく悲しいことです。ましてや前途のある若い人と聞きました。


どうしてこういう事故が起こったのか、
再発を防ぐにはどうすればいいのか
徹底的に調べていただきたいと切に願います。

今朝出勤しようと思っていつもの道を通ろうと思ったら
通れないの。警察がやたら警戒してて、、
こーんな田舎でいったいなんだと思ったら
これだって。
明日もおそらく今日と同じだろうから、出勤の道を変えないと、、。

さて。

話を桑港から京都に戻しましょう。


次の日は朝、トーストとバナナと牛乳で簡単に朝食を摂って
先生の調べ物の手伝いを1時間ほどしました。
その後、じゃあ、ということで西本願寺に出かけます。

京都駅前に西本願寺と東本願寺があります。
本願寺といえば
やはり京都駅に一番近い、しかも大きなお寺
なので、京都を旅行した方の中でも行ったことがある、
という人が結構多いほうのお寺ではないか、と思います。

どちらが先にできたのか、と、言われたら、
西本願寺が先です。
なのですが、実は西本願寺と東本願寺、お堂の配置が
180度ひっくり返って違っているのです。(これって
多分よほどの専門の人でないと気付かないような
話ですが。)

その話をしようとしたら、豊臣秀吉にまでさかのぼることに
なってしまいます。


本願寺ですが、元は大坂(おおざか)にありました。
そこが石山本願寺だったわけです。
ところがそこを秀吉が大坂城にするからどけ、と
いうことになりました。


それでその代わりに、土地をやるから、と言って渡したのが
梅田の南の久宝寺町の土地でした。 しかし、
ここで何度もお話したように、うちのオヤジに聞きますと
「梅田の辺なんて蓮池で、何せどうにもならん土地やってん。
それを土を入れて埋めて、何とかしたから埋め田で
ようやっとのことで梅田になってんから。」ということです。
大体鉄道の駅なんかのできた場所、というのは
その街の中心から離れた、土地の値段の安いところで、
淋しい場所だったのです。梅田だってそんなものでした。


そこを本願寺の門徒衆がお金をかけて排水し、
地上げをして何とか建物が建てられる、という状態に
したところで、秀吉が、京都堀川に10万坪の土地をやるから
そっちに移って本願寺を建てろ、と言いました。それで
やむなくまた大坂から京都に移ったのです。
それが1591年の話です。

それで秀吉からもらったのが、この西本願寺の土地だった、
ということです。

で、今は西本願寺は堀川通りに面しています。
そちらのほうに正門があります。(下の写真もそうです。)

今の人はそっちが正面だとお思いでしょうが、
最初はそうではありませんでした。

本願寺が作られた当初は、
今では裏になっていて延々と塀の続いている
大宮通側のほうが正面でした。

なぜなら、大宮通は昔の平安京の朱雀大路
だったわけで、都のメインストリートだったからですし、
今の堀川通りは、文字通りの堀川で平安京を南北に
流れる川でした。

だから大宮通から見て、 南側に御影堂、北側に阿弥陀堂
を建てました。それが長い年月の間に次第に堀川が道路に変化をし、
人の行き来も多くなって、お寺の正面も堀川通りのほうが正面
というふうになりました。


 
1619年には西本願寺のお裏方
だった教如上人が家康から土地をいただいて
東側にもうひとつ本願寺を建てました。これが東本願寺です。

東本願寺は、今と同じく東側の烏丸通沿いに建てられました。
東から見て、 北側に御影堂、南側に阿弥陀堂という配置で
建設されています。
ということで、東本願寺と西本願寺では、お堂の配置が
180度違っているのです。


本願寺は浄土真宗ですが、開祖は親鸞上人です。
親鸞上人のなくなったのは京都の洛中三条富小路の辺なのですが、

最終的に埋葬されたのはこの話の最初のほうに
出てきた、清水寺のすぐ南側、のところ、つまり
五条通をずーっと東に行った端っこのところに
今はあります。そこの墓所のことを


西本願寺では「龍谷」と書いておおたに、と読ませました。
東本願寺では「大谷」と書いておおたに、と読ませました。
まぁ一緒の場所のことなんですけどね。
ということから

今では東本願寺の大学が大谷大○で
西本願寺の大学が龍谷大○となっていますね。
さすがに今では、「龍谷」は「りゅうこく」と音読みさせていますけれども。

この二つの大学、何度か合併しよう、という話も
あったのですが、結局合併せずに別々にやっています。


ということで、西本願寺におまいりしました。
Nishihonngannji


ちょうどおまいりをした前日の6月28日は本願寺に
とっては一大イベントの日だったのです。

だって開祖の親鸞上人さんのお命日でしたから。
29日はもう落ち着いていましたけど。

西本願寺におまいりして
堀川通りを隔ててお向かいの龍谷大学の
博物館に行きました。

Ryudai


最近は博物館課程の講座を持っている大学で
付設の博物館を作るところが結構ありますね。

京都の大学の中でも大谷大○とか、龍谷大○のように
歴史がある大学は、大学で国宝とか重要文化財の資料を
自前で結構持っています。

博物館学芸員課程の実習をする場所として
それから学校にある文化財を
展示して人に見せるということで
大学に博物館を設置しています。
まぁ下世話に言えば、大学の宣伝にもなりますし。


謙介も別の資格を取ろうとして大学のときに
博物館学の授業を取りました。


友達に博物館学取った、って言ったら、
「お前なんか博物館学勉強するより、
博物館のガラスケースの中に入ってたらええねん。」
とか言われてしまいました。
ふん。

この日は、平山郁夫さんのシルクロードの絵の展覧会を
していました。

謙介は平山さんの故郷の広島の平山郁夫美術館へ
行って、絵を見たことがありました。
今回はシルクロードの絵に限って、ということで
中国の西域の絵とか、インドの絵が中心でした。
破壊されてしまったアフガニスタンのバーミヤン石窟の
仏像のスケッチもありました。
もちろんかつての仏像遺跡のスケッチと、破壊されて、
いたわしい状態のスケッチと両方がありました。

平山さんの絵を見ながら、仏教が遠い長い旅を経て
中国の長安にまで至った、その道のりを思いました。

一緒に行ったせんせいはもちろんインドも中国の西域も
何度もいらっしゃっているので展示を見ながら、
あそこはああだった、ここはこうだったの説明も
してくださいました。

うちのせんせい、心臓が良くない、とかいいつつ
活動力はあるようで、、
15日から中国の蘇州に行く、って張り切っていました。
大丈夫かなぁ、、。あんな暑いとこ。
でもまぁ京都より涼しいかも。(笑)

この後、京都駅で、せんせいとおわかれをして、
謙介は大阪に行きました。
東急ハンズとか、本屋とか行きたかったので。
で、夕方のバスで四国に。
下の写真は途中淡路島でトイレ休憩した時に
撮った夕陽の写真です。


Awajiyuuhi

例によって長々とまたなってしまいましたが
これで今回の京都旅行のお話はおしまいです。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。


今日でこの辺梅雨明けしたのですが
梅雨明け10日の猛暑、っていうのですが
そのままですねぇ、、。
おとといなんて、36度です。ええ。もう体温。
どうかお体、ご自愛ください。


(今日聴いた音楽 荒井由実歌 瞳を閉じて
 長崎の友達はこの歌の高校にあこがれて、
 卒業した高校でもないのに、この高校で
 教育実習をした、と、言ってました。)

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