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13. 06. 20

文字を読むことと、本を読むことと

今日は文字が読めることと、本が読めること、ということについてです。
と、書くと、何を言っているんだ、と言われそうなのですが、、、。
字が読めたら、本だって読めるだろう、って思われるかも
しれませんが、謙介、どうもそれは怪しいと思っています。

つまり文字が読めても、本が読めない、っていう人が
結構いる、ということを謙介こないだから思っているのです。

どうしてそれを思ったのか、言えば、
こないだ、うちのアルバイトの大学生と話をしていて
彼がこんなことを言ったわけです。

「本を読もうとしても、本の中に入り込めないのです。
文字は読めても、そこに何を書いてあるのか、
全然自分の中に入ってこないで、理解するのに
ずいぶんと時間がかかるときがあるんです。」
ということでした。

彼は大学生ですから、当然今までに
小・中・高と学校を経てきていますし、その中で
教科書だって参考書だってテストの問題だって
読んできているはずです。

知り合いに聞くと、案外そういう人が多いんだそうで。
「読もうと思っても、どうしても体が受け付けない。」とか
「本を読んでいると頭の中がごちゃごちゃしてしまって
イライラしてきて、読むのをやめてしまった。」という人も
結構いるのだそうで、、。

うーん、、。どうしてそうなるのか、何が欠けているのか、と言えば、
書かれている文字を自分の中に入れて考える、という
想像力が欠けている、ということになるんでしょうかね。


そう考えたら、こういう人、結構多いんじゃないかな、
って思います。
前によく行っていた喫茶店で
「本日休業」と札を出しているのに、入ってくるお客さんがいて
あれはどうなっているんだろう???」と
お店の人が言っていたのですが
おそらくはこれと同じでしょう。

本日休業と目立つところに貼っているのです。
「ほんじつきゅうぎょう」と、文字は読めても、
休業だから、お店はやっていない、だから今日は
入れない、と、というところにまで自分の認識が
はいっていかないのです。

文字は読めても
自分の中に文字の意味が入ってこない、ということでしょう。

いろいろなところに掲示とか広告の看板だとか
それはそれはたくさんあります。

でもそんなものがあっても「自分がそれを意識の中で
把握して、わかった」 ということにはならないでしょう。

毎日見ていたのに、それは単なる風景としてしか見ていなくて
全然本人の頭の中に入ってきていない、ということだって
あります。


去年、謙介が東京に行った時に、神田の駅で
「土佐鶴」という高知のお酒の看板が出ているのを
見ました。 中央快速の下りホームから見えますから
おそらく1日に何万もの人がその看板を見ているはずです。

でも「土佐鶴」と書いてあったって、高知県とか
お酒に興味がなければ、全然気が付いていない、と
思うんです。 俺、東京の友達に言われましたもん。
「えー、そんな看板あった? 俺、毎日神田通ってるけど
しらねえよ。」
まぁ人間、意識をするとか、その看板を見て自分の中に
その看板の言葉の意味を入れなければ、毎日見てたって、
まったく気がつきません。


だから本日休業っていう札を出してたって、入ってくる人だっている
ということなのでしょう。
文字が読めても、自分の意識の中に入れなければ
それは「わかったこと」にはならないでしょう?


ここで何度もお話しましたが、
謙介の専門は日本の上代文学です。
『古事記』ももちろんはいります。
ご存じのように『古事記』は稗田阿礼さんが暗誦していた物語を
太安万侶さんが書き写した、というものですね。

つまり稗田阿礼さんは文字をもっていなかった。
しかし、1冊の本になるくらいのたくさんの伝承を記憶していたわけです。

おそらく阿礼さんはそうした伝承を
自由自在に語ることができていたのだと思います。
棒暗記ではそんなもの覚えきれない、と思うのですよ。
覚えたってすぐに忘れてしまうでしょうし。
内容を理解して、想像力を働かせて、まるで自分自身が体験したかのように
その内容を覚えていたからこそ、語ることができたのだと思います。

文字こそ持っていなかったですが
ちゃんと物語を理解して、読みこなして、自分の血肉に
していたのでしょう。

実はこの間から引っかかっているのが、
字が読めたから、と言って、本が読めるのか、ということなのです。


本を読む、ということは、やはりそこに書かれた言葉をもとに
想像力を働かせながら内容を理解して、お話の展開を追っていく
ことができる、ということだろう、と思います。


それが、映像メディアでばかり育ってきた人には
映像が、ほらよ、って、なんでも見せてくれるから
字面からさまざまな画面とか、情景とか、人間関係とか
いろいろと想像することができにくくなっている、という人も
結構います。

それから、最近の文学作品を見ていて思うのは、
場面場面の印象は濃いのですが、作品としての
全体のまとまりとか、言葉の意味の広がりが全然なくて
まるで「ゲーム」を文章化したらこうなるだろうな、という
ような作品が目に付くのです。劇画タッチの文章です。

映像化したような文章しか読めない人が増えているのか
そういう文章がはやっているからかどうかは知りません。
謙介は「ゲームのノベライズ作品」と呼んでいますが。

そんなふうなものは
見た映像がすべておぜん立てしてくれますから
見たら考えなくてもわかる、、、っていうものでないと
理解できない、という人もいるようです。


やはりそこに書かれている文章を見て
そこから、情景を想像するとか、作品の人間関係を
想像する、ということができない、だから文章を読んでも
さっぱり自分の中にその文章の意味が入ってこない。
何を書いてるのかわからない、という人がいるのは
そういうことがあるからじゃないかなぁ、と思っています。

そのことに関連して、謙介が一番「変」だな、思っていることは
どうして自分に合った本、というので読んでいかないのか、
ということです。

本屋も「売れている本」とか「よく読まれている本」っていうのを
平積みにしてドン、と置いてあります。
でも、だからと言って、その作家の書いた本が、自分の読書傾向とか
興味のあり方に合致しているのか?
合致していれば結構なことですが、全然合わない作家だったら、
最後の最後まで違和感を感じながら読むでしょうし、
場合によったら途中で、さっぱりわからん、とか言って
やめてしまうかもしれません。


自分が読む本なのに、どうして「他人の都合で読む読まない」
が決まってしまうのか。 決めてしまうのか。
どうして「売れているから、はやっているから」
という方向からしか本は語られないのか?

自分が読む本でしょう?

自分に合った本を探して、自分のペースで読む、
ということでいいではありませんか。

売れているから、はやっているから読む、って
なんだかちょっと違うような気がするしなぁ、、
そんな気がずーっと謙介してるんですけど。


その辺は服と同じだと思うんです。
ハルキがはやっているから、売れているから、
と言っても、読んでみて、「なんだこりゃ。」という人だって
いると思うんです。

服が、いくらこういうシルエットの服が今は主流です、
はやっています、たって、体型的にそれは無理、とか
それは自分の好みじゃない、
という人だっているではありませんか。

結局は自分のスタイルに合ったものが一番しっくりくる、でしょう?

本を読むのだってそれと同じです。

だから前に何度かお話したように
読書、というのは多分に自分と向き合う部分がありますから、
そこから、読書感想文、というのも、自分、と、その読んだ
本との間の自分の気持ちの変化とか、個人的な体験を
中心に書いていくのがいい、ということなのです。

この本にはこういうふうなことが書かれている、
なんて感想文に書くのは、二の次で、謙介は
「その本を読んでこんなに自分のたましいが震えた」
その体験を文章にしなくちゃ、ということなのです。
まぁこのことは何度も感想文のところで言ってきたことなんですが。

本を読む、という行為は、作品を一度、自分の中に
入れる、という作業をしなくてはなりません。
その中で自分がこの本を通して、得た体験とか
思いを書く。 そういう感想文でないと他人に
訴えかけるものがないではありませんか。

そもそもそういう本を選んで、感想文を書かないといけないのです。

有名だから漱石、ではなくて、
果たして漱石は自分に合った本なのかどうか
最初から本の選び方でミスマッチがありますと
読んでて楽しくないと思いますし、自分の中に
入ってこないんじゃないかなぁ、と思います。

本の読み方は、いろいろな方法があると思います。
同じ本を繰り返して読む、という読み方でもいいし
あれやこれや試してみて、、という読み方でもいいので
最後に自分に合った本を見つけ出す、というふうになれたらいいですね。


本を読むということ、すべてはそこからスタートするように
思います。

(今日聴いた音楽 なんだか化粧品のCMつながりで
 サクセス ダウンタウンブギウギバンド 歌
サクセス、っていうと、今の人は、おそらく花○の
 男性用の、、というのを想像するんでしょうが、違います。
 阿木さんの詞で宇崎さんの歌なのでございます。

 
阿木燿子作詞に宇崎竜童の曲で、思い出したの、
 こんなのもありましたわ。
 ↓ 謙介の卒業した中学校の応援歌。
 (校名の出てくる部分は割愛してありますが)

 風が胸騒ぎ連れてくる
 今日という日のために頑張ってきたね
 夢が一杯にふくらむよ
みんな熱い仲間同士

スタンドでもグランドでも声を掛け合い
励まし合って勝利を祈るよ
スランプならスクラム組吹き飛ばそうよ
固い友情誓って

持てる力を出し切って悔いを残さぬよう
勝て勝て勝て勝て我らが母校
合い言葉はベストを尽くそう

君に優しさを伝えたい
そのためにはちょっぴり勇気が要るのさ
一人じゃないんだ一緒だと
両手を振り合図をする

スタンドでもグランドでも同じことさ
どんな時でもフェアに戦う
ストレートにスリリングに気持ちが弾む
若い日々のときめき、、(以下略)


 もう「ときめき」なんてすっかり、、
 おぢさんは、、。あはははは。はぁーあ、っと。


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Comments

もう今回の記事はとても耳が痛いことばかりで、途中で少し自己嫌悪になり、また耳が痛いことがでてきて、外して隠してしまいたいぐらいです。
謙介さんの仰るとおりで、私も典型的な本を読めない一人です。
敏感すぎて自己防衛のために鈍麻する方がいらっしゃいますが、私は何度も想像力が欠除している人と言われることがありますので、本も気持ちも読めないKYなタイプのようです。
あぁー、“うちあたい”しています。

幼い頃はたくさん読んでいましたが、いつの頃からは読まなくなってしまいました。
受験戦争、というものに巻き込まれた頃からでしょうか。
でも、そのせいにしてはいけませんね。
東大に入るような人たちにも、読書の虫といいますか、本を愛してやまない方々はたくさんいらっしゃると思います。
私の好きな本ってなんだろう?
どんなジャンルが好きだったっけ?
実用書(仕事を含めて)ばかりで、心に染み入るような言葉に接する機会がほとんどありません。
言葉を知らない、ということを常々感じております。
自分の内から出てくる言葉でなければ、メッキのような上っ面にしかなりませんからね。
行動範囲に、本屋さんを含めてみようかな。

雨は大丈夫でしょうか?
アメダスの累積降雨量を見ますと、すごい雨だったようですね。
上がった後も土砂災害には注意なさって下さい。
沖縄は今日は晴れて、風も収まってきました。

Posted by: タウリ | 13. 06. 21 at 오후 5:36

---タウリさん
お話をさせていただいたりしている感じからして、タウリさんはおっしゃるような封にも見えません。
 仕事上、もちろんご自身の研修とか、新しい知識とかの導入のために専門の新刊書を読むとか、雑誌を読むとか、はどんどんしていかないといけません。それにある程度の年齢が来たら、仕事のことがものすごく忙しくなって、ほかに目を配っているような余裕さえ、なくなってしまう、ってことだってありますよ。
 沖縄は面白い人、ユニークな人がたくさんおいでですから、何も本から、というだけでなくて、そうした人の付き合いとか出会いからでも人生が豊かになるようなこともたくさんあるように思います。本土の人が沖縄の魅力は? と聞かれて自然が豊か、というのと同時に人がすばらしい、という話をよく聞きます。
 いろいろな人の人生とか考え方を知る、という中で、読書、ということもありますし、さまざまな人との出会い、ということもあります。近頃はネットで本を買う、ということが多いですが、本屋に行ったら、実際の本だってすぐ見られますし、、、。実際の本を手に取って見てみることで、またいろいろと思うこともあるんじゃないか、と思います。たまには本屋、というのも是非、ふらっとお散歩の中に入れてみてください。案外新しい発見があるかもしれません。
 雨、本当にじゃんじゃん降りました。今まで降らなかった分、もうまとめて降った、という感じです。 仕事場に行く途中の川が増水して、護岸が流された場所もありました。 おかげで渇水対策本部を近く設置しないといけない、と言っていたダムが一晩で満水になってしまい、渇水の心配はなくなりました。 でも梅雨は今からが本番ですが、、。(笑) 今年の梅雨は決して空梅雨ではなかった、ということが分かりました。

Posted by: 謙介 | 13. 06. 21 at 오후 11:39

常々感じておりますが、自分に欠けている点、努力を怠っている点を見て見ぬ振りしていました。
謙介さんの記事はまさに淡く自覚していたことで、しかも的確すぎるぐらいに明瞭な文章で、かつ客観的で冷静な見地からのご意見ですから、ぐうの音もでなかった、というわけです(苦笑)。
人として、人格という面ですごく浅いことを自覚しており、しかし、それを補う努力をしてきませんでした。
普段の人付き合いは、それはこれまでの経験や社会性でどうにかカバーできていますが、親しくお付き合いということになりますと、やはりボロが出てしまうものです。
心を揺り動かす書物、人生の師となる人(年齢に関係なく)、自分を高めていける種々の経験、これらをもう少し“貪欲”に求めていきたいと思いました。
常に学ぶ姿勢がなければ、あっという間に下降していってしまいますね。
気付きを与えて下さり、有り難うございました(^^)。

雨、被害がなくて良かったです。
ダムにもきちんと貯水されたようで、取りあえず今夏は大丈夫そうですね。
富士山の世界遺産登録のニュースを見ますと、関東地方でも天気は回復しているようです。

Posted by: タウリ | 13. 06. 22 at 오후 9:17

---タウリさん
 決してタウリさんのことなど言えません。考えたら最近読んだもの、って仕事関連の本が多くて、そんなものばかりでした。ただ正直、研究の世界は本当に嫌な状況で、学会に行っても、これはというような発表もなくて、それをいいわけにしていた部分も少なからずあったように思います。
 来週大学のときの恩師に会うのですが、いろいろと話をして、自分自身ももう一度考えたいと思います。学会で発表するとか、いうようなことでなくて、自分が、自分の分からないところをどう解決するのか、ということを考えてみたいと思います。ちょうど、本を読む、ということを考えていたところに、バイト生の話があったので、そういうことを考えてみたのでした。

Posted by: 謙介 | 13. 06. 22 at 오후 11:45

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