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13. 05. 14

空海の書(1)

連休は前にお話をしたように
ずっと5月10日にするプレゼンの資料作りとか
プレゼンの練習をしていたので、
ほとんどのんびりすることもなく過ごしていました。

おかげで連休終了翌日の5月7日も
すぐに仕事モードに入っていけましたが。
(いいんだかわるいんだか)

ただ5月6日の午後だけ、県立ミュージアムで
空海の書について、京都国立博物館
(謙介はいつもきょうとこくりつはくぶつかんは
長いので「京国博」と言っていますが)
の主席研究員の方が来られて、解説を
してくれる、というので行ってきました。


ちょっと今日のお題、あまりに専門的過ぎかなぁ、とも
思ったのですが、世の中には結構専門の話をする
ブログもあるしなぁ、と思い直して今日はこれで書くことに
いたしました。


Jyonai1


県立ミュージアムはお城の中にあります。
写真の右側に石垣が見えていますけど、
あれ、正真正銘のお城の石垣です。


と、いうのが、目下こちらの県立ミュージアムで
京都国立博物館所蔵の主だった国宝・重文を
まとめて展示するという展覧会をやっているのです。

Jyonai2


今回京都から運ばれた国宝・重文であれば、
そのうちの一点だけを中心に展覧会を計画して開催したとしても
十分なものが、一挙にこちらにやってきて展示
されたのです。

と、いうのも目下京都国立博物館は収蔵庫も含めて
新館を建設中なのです。ありていに言えば現在の
建物から、新館への移動の時期にあたっていて
そのために置く場所に困っていた、と。

ちょうどそういう時期にこちらの県立ミュージアムが
作品を貸して、って言ってきたものですから
京都のほうも場所で困っていましたし、どうぞどうぞ
ということで一挙に京都国立博物館のお宝が
こちらで展観されることになったようです。

そうしたら今、京都国立博物館に大したものは
残ってないのかって? (笑) 
そんなことはないですよね。

要するに京国博の移動時期に、こちらが貸して、
って言ったタイミングがうまく合った、
ということだったのでしょう。


そういうことで、学芸員や調査員の方も、
もうこんな大規模に京都の国立博物館の収蔵品が
地方で展観されることはないだろう、これが最後でしょうね、
というお話でした。

空海は讃岐の生まれなので
今回は里帰り展示ということで空海の書の展示も
ありました。日本というのは書の保存という点では
本当にすごい国で、1200年前のこうした書跡が
きちんと残されているのです。
ほかの国にはそういう書の作品が
保存されて残っている、ということはあまりありません。

戦乱で焼けてしまったり、
そもそも保存ということを考えていなかった、
ということもあるでしょうし、、
このことだけでも本当にすごいことです。


空海の書の解説ですが、2つのアプローチの仕方が
あります。

一つは書道からの分析です。
それぞれの字の骨組み(構成)の特徴とか、
線の分析とか言うような側面です。

もうひとつは仏教史的な側面です。
この調査員の方の経歴から見て、(出身が史学科の方でしたから)
おそらくはこっちだろうな、と思ったら、
やはり仏教史からのアプローチでした。

この空海の書の講演会はミュージアムの
地下のホールでありました。
250人収容のホールで、事前申し込み
をして受け付けたところ、締め切り前に
予約で満席になった、という話でした。
ふつう、こういう展覧会の協賛行事の
講演会、あんまり人が集まらないことが
多いのですが、予約殺到、というこの人の
集まり方を見ても関心の高さが並ではないなぁ
という気がしました。


空海の書、ですが、、日本の書道史の中でも
一番その字がすぐれていると思います。

おそらく書道をしている人の中では
一致した意見だろうと思います。

時々書をやったことのない人から
空海の書はどこがいいの?
という質問を受けます。

答えは簡単です。


全部。

え? 別に茶化しているわけではありません。
全部、だと思います。

というのが、漢字の書体には
篆書・隷書・楷書・行書・草書・それから空海は飛白体
というその当時の流行書体も研究していますが
全部の書体について申し分なく素晴らしいのです。


謙介、高校の書道科の教員免許を取りました。
書道の教員免許を取るためには
当然、漢字・かなの書体すべて書けなくてはいけませんし
書体ごとに授業を受けて、その作品を提出して
合格しなくてはいけません。合格してはじめて
単位が取得できます。

それから、書道史・書道美学といった書の理論の
授業もありました。
そうして最後に漢字作品・かな作品・
漢字仮名交じりの調和体の作品をそれぞれ
提出して展覧会に出すことも単位の中に入っていました。

ふつうの人であれば、書体によって得意・不得意
というのがあります。
たとえば謙介の場合は、草書が全然だめです。
自分の書いた漢字作品でまだ多少見られるのは、
隷書・楷書でしょうか。
というのか、漢字全般に好きではありませんが。(笑)
謙介の場合はかなのほうがまだましです。

空海はこうした全部の漢字の書体について
びっくりするくらい上手なのです。
その字うまさは中国の歴史書にも記述があるのです。
中国人がうまい、と褒めているのです。


謙介も中国に行ったときにつくづく思ったことですが
同じ漢字でありながら、やはり中国人の書いた漢字と
日本人の書いた漢字は全然違います。

日本人が書いた漢字は
字の構成そのものがひ弱な感じです。
(字が荒くて乱暴なのと、
骨格がしっかりしているのは違います。)

日本人はなかなか骨格のしっかりとした漢字が書けない。
空海の字がすごいのは、中国人が書いた漢字と
なんら遜色のないどころか、空海はそこに線の美しさまで
加わっている、ということなのです。

空海の書いた字を見ていますと、特に線の抑揚ですが
これ以上太くすると下品になりますし
またこれ以上細くしても今度は
骨格だけになってしまいます。
その微妙な部分のさじ加減が
絶妙としか言えません。

今回の出展の中に『金剛般若経開題残巻』というのがありましたが
おそらく王羲之の書を十二分に学ばれたのでは
ないかと思います。
これがその空海の書です。
Kyohannya_2
これは金剛般若経の解説を書くときの草稿(下書き)です。
だから字を直していたり、(最初書いた字の上からもう一度太く書き直して
いたりしています)他の字を補っているところもありますよね。
裏には筆の穂先を整えた跡があります。
なんたってメモですから、まぁ、こんなものです。


これが王羲之の作品『七月帖』
01ohgisi04_s


字の雰囲気が似ていると思いません?


骨格の部分に王羲之の字の
影響が見て取れるように思います。

それから、隅寺心経
奈良の新大宮にあるいとーよーか○ーから
北東に600メートルくらい行ったところに
海龍王寺というお寺があります。
前に平城京の佐保路の辺をぶらぶらと歩いた時に
このお寺に立ち寄って、その時のことをここにも
書きましたが、、。

このお寺、平城京の隅にあったので
別名「隅寺」とも呼ばれています。
ここに中国へ渡航する前の空海がしばらく滞在して
般若心経を筆写し、旅の安全や大願成就を祈念して
お経をこのお寺におさめたのです。


それが、般若心経200巻を一夜で書き写し
おさめた、という伝承のようですが、、それはまぁいくらなんでも
無理でしょうね。(笑)

格調高い字体で書かれたこの心経、
本当に素晴らしい、と思いました。

一回で終わるつもりが、例によって長くなってしまったので
次回も続けます。(よてい。)


(今日聴いた音楽
駅 徳永英明 
オリジナルはもちろん竹野家のまりやさんのお歌ですが
ここのところ、謙介、おじさん声のほうがしっくりくるのです。)


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