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13. 04. 01

奈良・外京のこと(1)

先日来、俺の仕事場の隣の市の神社でちょっとした騒動が
起こっています。

実はその騒動の原因は奈良の平城京
復原工事に至っているのです。


なんだか四国の田舎の神社の話が奈良に、というのも
変な話なのですが、でも、そうなのです。


ということで、今回、何回かに分けて奈良の古建築の保存
ということを中心にお話をしたいと思います。

去年(2012年)7月に謙介の仕事場の隣の市の
とある神社のご神木が枯れているのが見つかりました。 
木は2本で、いずれも樹齢500年を超えていて、幹周りは
4メートル前後の大木です。地元では当初、老木なので
寿命で枯れてしまったのではないかと考えられていました。

ところが約1か月後、神社の管理を任されている
氏子総代の住民のところに、木材業者が訪ねてきたそうです。 
業者は「枯れた木は危ないから早く切ったほうがいい。 
自分たちが伐採して買い取ろう」と話したのだとか。 

地元の人たちは慌てました。ご神木が倒れたらどうしよう
という心配や何とかしたい」、それから果たして自分たちには
木を切リ倒す費用を出せるのだろうかという心配もありました。 
氏子で話し合った末に、2本のご神木を550万円で
業者に売却する契約を結んだそうです。

ここからが事件に変わったのです。
木の伐採直前に大きな問題が
発覚したのです。 木の根元に、直径5ミリほどの穴が複数
見つかりました。 不審に思った神社側が警察に相談し、
穴は人がドリルのようなもので開けたものだと判明しました。 
さらに警察の捜査で、穴の中から除草剤に含まれる成分の一種
である、「グリホサート」が検出されたのです。つまり「わざと、
誰かがこのご神木を枯らせてしまったのだ」ということでした。 

さらに現場を独自に調査した県の林業研究センター研究員の
方の話によると、木材に詳しい人物が関わっていると推測した。
根拠は木に彫られた穴の深さが4センチほどだったことなのです。

木は表面から4センチほどの部分に、根が吸った水分を運ぶ管が
通っています。 穴はその管まで的確に掘られ、そこから入れられた
除草剤が枝へと行き渡り、枯れたのだそうです。 この方法をとると、
枯れるのは葉や枝だけで幹の中心部に影響はなく、
木材としての質は下がらないのだとか。 
ますます「わざと枯らした」ということが濃厚になりました。

こうした事例が年近年四国で特に増えているのです。一昨年は
ご神木4本が枯れ、2つの業者に売却されたましたが、これらの木でも
同じような穴が見つかっている、と。こうした不自然な枯れ方をした
ご神木は、四国を中心にここ10年で、
少なくとも25本にのぼっているのです。

それで分かりやすく言ってしまうと、神社側が、「お前が枯らせたんだろ。
だったら売ると言った約束は中止。」
と木材商に向かって裁判を起こしたのです。木材商のほうは
「わしゃ知らんぞ。そういうふうに言うのであれば証拠を出せ。」と
主張している、ということで目下言い争いなっているのです。
その誰がやったのかは今のところ分からないことに
なっていますが、木を毒薬入れて枯らしてどうしようと
したのか。

ここでその平城京の大極殿の工事との関連が出てきます。
さっきも言ったようにここ10年で枯らせた木材が
大極殿の復原工事用の木材として転売されて使われた
わけです。


目下姫路城の天守閣の解体修理が行われていますし
定期的に古建築の改修工事はこれからもずっと
あるでしょう。 その一方でこうした古建築に必要な
大木はだんだんなくなってきています。
木を求めるのがだんだん難しくなってきているのが現状です。

平城京跡の大極殿の復原工事、
ひとつ建物を建てるのに200億円かかるのですが
その半分が木材費用なのです。200億のうちの
約98億が材料の木材費です。

謙介、奈良に行くときは近鉄に乗りますが、
いつも大和西大寺を出ると、次の新大宮までは
正直言って外を見たくないのです。
平城京跡の復原された建物が建っていて、どうしてもそれを
見ないといけないからです。

あの復原された建物が果たして歴史的に見て
正確ものなのかどうか? 

それはいまだにわかっていないのです。

現にあの建物がほとんどできたころに、宮内庁の
建築史の研究をしている方が、平城京の建物は
復原された建物のように二層ではなくて、
平屋造であったのではないか、という学説を
提示されました。


ですから復原したあの建物でいいのかどうか
学術的に定説が出ていないのです。

しかもです。あの平城京跡の建物を復原するにあたって
参考にしたものは違う時代の建物です。
伴大納言絵詞に出てくる建築とか
逆にもっともっと前の法隆寺を参考にした、
といいます。 伴大納言絵詞の成立は1170年代ですし
法隆寺は再建として600年代でしょう。
しかし平城京は710年です。


100年も前の建物や、460年後の建物を参考にして
それで学問的に正しいといえるのか?

2013年の現在から150年さかのぼったら1863年です。
1863年って時代の区分で言えば、江戸時代です。
江戸時代の建物と現代の建物で比較ができますか?

そりゃ、江戸から明治のような文明開化の急展開があった、
といえばそれまでですが、それでも1970年代の建物と
2013年代の建物では建築方法だって様式だってあきらかに
違うではありませんか。

正直言って平城宮と同時期の資料があるか、
といえばそんなものありません。ですから推定に
推定を重ねて、出してきたものです。

果たしてそれが正確に史実を反映したもので
あるかどうかは分からないのです。

分からないはずのものを、これです、って出してきて
それで学問的に証明できたと言えるのでしょうか。

文化庁は古建築の再建の条件として、

1.はっきりとした写真があるかどうか。
2.もしくは建築の図面が残っているかどうか。
の2つの条件を提示しています。

そしてこうした資料のない歴史的建造物の再建には
許可を出さない方針、と言っています。


平城京の大極殿の創建当時の写真があるのですか?
創建当時の建築の図面がありますか?
そんなものありません。
それでいて奈良のこちらはオッケー、っていうのは
ダブルスタンダードじゃないですか。

もとがそんな不確かなものに、
果たして200億のお金をかけて
造っていいものなのかどうか。

でも全部見切り発車で再建にオッケーを出しました。
じゃあなぜオッケーを出したのか。


平城遷都1300周年というイベントがあるから
それに観光名所を作って何とか間に合わせたい
ということだったのでしょう。

それが証拠に他の古い都の建物は
あんなふうにぼこぼこと再建されていません。
藤原京だって、難波京だってです。
難波宮は精々建物の基壇を再建したくらいです。


あんないい加減なものを200億もの巨費を投じて
作っていいものなのかどうか。

古代史を勉強してきた人間の良心として謙介は
見るたびに腹立たしく思うのです。


俺が学生だったころはあの大極殿の跡に
枝振りのいい松が1本、植わっていただけでした。
(その松は松くい虫の被害で枯れてしまい、今は
もうありませんけれども。)

でもそれでいいではありませんか。


あれは1970年後半ごろだったかと思います。
平城京の建物の礎石の置かれていた場所に
模型の礎石が置かれました。

プラスチックで作られた礎石です。
傘の先でつついたら、ボコボコ、ととってもかるーい
音のするプラスチック石です。
なんだかその辺から変な方向に行くように
なった、という気がします。


このブログをずっとお読みくださっている方には
謙介が別に古い建築が嫌いだから上のようなことを
言ってるんじゃないか、というようなことはない、
ということはお分かりでしょう。
由緒のある神社仏閣を訪ねたり、
建築を見たりすることに興味があるヤツなんだ
ということはお分かりいただいていると思うのです。
だから、あんな平城京のところにぼこぼこ建っている
建物がやれやれ、と思うわけなのです。

ということで、しばらく奈良のこうしたお話を
続けたいと思います。

(今日聴いた音楽 夜の翼 山下達郎歌
 アカペラの小品の曲ですが、大好きな
 歌です。 1979年 音源はLPレコード)

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Comments

極端な言い方をしますと、いい加減なことに200億円も注ぎ込んで、いったい誰が責任を取るのでしょうか。
1300年の記念事業というのも分からなくはないのですが、それよりも「何故平城京だったのか」という歴史的な認識を深める努力をしたほうが良いのだと思います。
せんとくんぐらいで留めておくべきだったのでは(苦笑)。

戦災で街の90%以上が消失したニュルンベルクも、戦後には地図や写真、図面が残っているものはそれを使って、ほぼ忠実に再現したそうです。
だからこそ、戦後の街並みではあるのですが、歴史的価値を見いだせるのだと思います。
謙介さんが書いていらっしゃるような「平城京」なら、90年代に流行ったテーマパークとなんら変わりません。
歴史的価値とは程遠いものになってしまいます。
お金がかかりすぎている分、とても残念です。

首里城は比較的良く再建されたと思います。
(戦前の首里城)
http://www.geocities.jp/ryuuko5/seidensenzen.jpg
(平成の首里城)
http://kosinuke.cocolog-nifty.com/photos/046/dscn0027_2.jpg

守礼門は、意外にガッカリされる建造物らしいです。
想像以上に小さいのですよ。
「えっ、あれっ?」という観光客が多いと聞いています(苦笑)。
その近くにある御嶽や御殿趾、殿内趾などが面白いと思います。

Posted by: タウリ | 13. 04. 02 at 오전 11:07

---タウリさん
今朝のニュースで守礼の門の修理が終わった、とありましたね。シロアリの被害が大きくて柱が腐っていたとか。やはり建築物は、こうしたメンテナンスが必要ですよね。
沖縄の歴史的な建物については、空襲で破壊される前の写真とか実測図が残っていて、(記憶にあった人もいたでしょうし)復元は比較的容易だったでしょうし、また文化庁の許可も降りやすかったかと思います。 しかし、奈良の平城京跡の建物は、礎石しかないのです。上の建物については、想像の想像でいくしかありません。
にもかかわらず、許可が下りて、、さすがに「復元」(元のように作る)ではまずいと思ったのでしょう。「復原」という表記でした。平城京の建物については疑義が呈されているにもかかわらず、建ててしまいました。本当に果たしてあれでいいのかどうか。
 今も近鉄であの辺を通るたびに、自問してしまうのです。

Posted by: 謙介 | 13. 04. 02 at 오전 11:45

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