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13. 04. 22

京・阪・神

セトゲイ、昨日4月21日で春会期分が終了しました。
3月21日から昨日までの1ヶ月間の会期のあいだ
それぞれの島の会場を訪れた人の数が合計で
24万6000人だったとか。

移動手段の交通も不便、移動費もかさむ、
宿泊施設だってままならない。
そういう島々に、わざわざ、という来訪者が
24万6000人いた、ということです。

なぜ人はそういう島に惹かれるのか。
(まぁたまに行くからいいんですよね。笑)
このブログで前々から謙介が何度も言っているように
島の暮らしなんてそうそういいものではありませんから。

それでもまぁ、一ヶ月で香川・岡山の島に
24万6000人の人が訪れた、というのは、やはり
大変なことではないか、と思います。

ただ、うちのこのブログ、チェックしてみますと
うちのブログに瀬戸芸 ぼったくり、というキーワードで
検索して来る人がいるようです。

どこがどうぼったくり、になるのでしょう?
交通費の高さでしょうか?
食べ物、ということなのでしょうか?

こういうイベント事っていうと、最初からぼったくり、と
勘繰りを入れてかかろうとしているのか
そういう評判が出ていないのか、わざと裏を見ようとしているのか
いまひとつそういうふうなキーワードで来る人の真意が
分かりません。

交通費、確かに高いです。
しかし、平生は過疎の島です。
俺のかつて住んでいた島も、
自分が住んでいたころは、人口が300人ぎりぎりでいたのが
いまや200人です。

こういう島を結んでいる航路は
国の助成金を受けて、なんとか航路とか路線を
維持している、という交通機関が少なくありません。

都会の交通機関のように深夜まで頻繁に
便数があって、しかも来る電車来る電車に必ず
人が乗っている、なんていうことは絶対にありません。

謙介の仕事場に行く定期バス路線だって
一日4便です。
しかも土日は運休です。
全くバスは運休してしまうのです。

人口のまだ比較的多いはずの小豆島でさえ
昨年、今まで島のバス運輸の一切を担ってきた
小豆島バスが運行を休止してしまいました。
今は、そこから引き継いだ別会社が細々と
運行している状況です。
そういうふうな現況ですが、
都会に住む人は、
たまに田舎に来て、自分の住んでいるあたりに比べて
交通運賃が異常に高いと思う。
      ↓
なんだこれは、ちょろちょろ、っと乗って、この値段、って
こんなのぼったくりじゃないか、
ということになるのでは? と思ったりします。

今どき地方の、それも過疎地の
公共交通なんて、廃止か存続か、ぎりぎりのところで
何とか命脈を保っている、という事実を
もっと知って欲しい、と思います。

謙介、いろいろな文化的なイベントに主催者側で参加したり
見学者として参加したりしてきましたが
まだセトゲイの運営はましなほうではないのか、
と見てきた限りではそう思いますけどね。


都会の人で島の生活にあこがれたりする人も結構いるようです。
謙介は人間が不純なのでそういう話を聞くと、

「そんなもの都会の人間の、自分たちに都合のいい思い込みじゃないか、
島暮らしなんて、けっ! どこがいいんじゃ。島に暮らしたい、って
言うんだったら、住んでみろ。」とか思うのですが。
だってそういう人って、あこがれている、とかいうくせに
なんだかんだと言って最後は「都会に帰っていくんだもん。

そういう不便な田舎の現実を知ってもらう、
という意味でも、もちろん現代アートってこういうものだ、と
知ってもらう意味でもこうした催しは、
謙介は開催する意味があったんじゃ
思っています。


次は7月21日から9月1日までの夏会期の開催です。
もちろん春会期が終わっても、継続して展示される
ものもたくさんある、ということですので、
謙介も時間があったらまた違う島に行って見てみようか
と思っています。


さて。
先日、ウエブ版の新聞を見ていましたら
はぁ? という記事がありました。

その記事を見る前に、ですが。
このブログで謙介は、世間でよく言っている
「関西弁」などというような方言なんて存在しないんだ、
ということを何度もお話してきました。

近畿地方の各府県、その府県の中の地域でさえ
方言は種々違いがあるというのに、「関西弁」なんて大雑把な
地域での共通の方言なんて存在するはずがないのです。


関西弁なんていう言い方は
おそらくそうした実際の言葉の違いを知らない近畿圏以外の人が
言いはじめた言い方じゃないか、と思います。 


そういう近畿以外の人の頭の中を想像しますに、
吉本=関西の芸人=遣っている言葉は関西弁だろう
というような当て推量が頭の中で行われて、
「関西弁」などというような変な言い方が生まれたのではないか、と
想像します。
大体がその変な「関西弁」をしゃべっている吉本の芸人さんからして
近畿圏の出身ではない人だっていますもんね。

近畿地方では一番面積の狭い大阪府でさえ
北摂の池田市と大阪市内の船場では方言が異なります。


言葉が違う、ということは、単に言葉が違う、というだけでは
ありません。住民の意思というのか、考え方だって
気質だって違うのです。もっと大きく言えば文化が違ってる、
ということだと思います。

文化の違いがあるからこそ、方言が違ってくるわけでしょ?
同じ文化だったら、同じ方言のはずです。

ウエブの  このニュースを見て、正直ちょっと驚きました。
この記事の中に

 東京方面などから見れば「関西」として
 ほぼ一体化しているように思われている
 大阪、兵庫が、まったく一枚岩ではない
 ことを見せつけたともいえる。

と書いてありましたが、正直、「はぁ? 」って思いました。
これって、近畿圏のことをきちんと調べもしないで
記事を書いている、と正直に言っている、ということですもん。

どうして取材した上で原稿って書かないんでしょう?

「しんぶんきしゃってしゅざいをしてげんこうをかくのでは
ないのですか? 」
って、まるっきり小学生の質問する
するような基本中の基本の質問ですが、この記者さんは
それすら行っていないで原稿を書いている、ということですね。

やれやれ。
阪急電車に乗って梅田から三宮に行く、
その僅か20分で方言はがらりと変わります。
大阪では「今、何してんの? 」という言い方が
神戸では「今、何しとう? 」になります。
同じように梅田から電車に乗って
四条河原町で電車を降りたらまた別の方言です。

近畿地方の各府県を実際に歩いてみたら分かりますが
本当に地域地域で考え方とか思考のプロセスとか
それらはまるで全然違います。
大阪の論理で神戸では通じないし、
同じように京都と奈良だって考え方が違う。 
電車に2、30分乗って移動しただけで全然違います。


以前からよく言われることで
京の着倒れ、大阪の食い倒れ、っていいますが、21世紀の
今、その言葉通りかどうかの検証はともかく、
このことわざが言おうとしているのは
京都と大阪ではそこに住んでいる人々の意識に
はっきりとした差がありますよ、ということでしょ?

そういうふうに昔から、意識は違います、ということが
言われている、ではありませんか?

何をして「関西」はほぼ一体化している、と
思ったのでしょう? とりあえずあの時に
近畿広域連合たらに入っていたら、、、というだけのことでしょ。
選挙の時の票の問題ですか?
要するに政治家のスケベ心連合なだけじゃないですか。


だから最初から一体化なんてしていません、って。
それぞれの意識の差、ってはっきりとあると思いますけど。


たぶんこの記事を書いたような
よく調べもしないで適当なことを言うような人が、
「関西弁」なんていうような「大雑把な」ことを言うのだろうと
思います。人間よく分からないことについては
どうしても「大雑把にまとめてしまいがち」になりますからね。

こんないい加減な記事を堂々と書いて
まかり通るんだ、と思ったら
そっちのほうにちょっとびっくりしたような次第。

(今日聴いた音楽 ささやかなこの人生 風 歌
 花びらが散った後の桜が とても冷たくされるように、、
 と、歌詞にありまして、そんな桜を見上げて、
 いろいろなことを思う、のでありました。)

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Comments

基準をどこに置くのか、ということだと思うのですが、島にやってきても評価の基準が大都市なら、不便極まりないでしょうし、不平不満は多いと思います。
沖縄に住みたい、という本土の友人にも、観光だけにしなさい、とアドバイスしています。
よほど覚悟してこない限り、沖縄本島ですら住み続けるのは難しいようです。
瀬戸内の島々も、目の前には“本土”があるのでしょうけど、生活の質や内容、慣習、あらゆるものが異なっているはずですよね。
後半に紹介してくださった新聞記事についても、関東から見た、関東を基準にしたものだから、そのような記事になったのでしょう。
速く載せれば良い!的な風潮がなくならない限り、質の良い記事(新聞も雑誌もネットも)は生まれてこないでしょう。

それにしても24万人超はすごいですね。
外国人も多かったと思いますので、瀬戸内を内外に紹介する良いイベントに成長したということだと思います。
このCMも好きです(^^)。
http://youtu.be/lGjpCVbcAYE

Posted by: タウリ | 13. 04. 23 at 오후 4:31

---タウリさん
タウリさんならよくお分かりだと思うのですが、沖縄はやはり沖縄で生まれた人と、本土からの移住者の間に、線がありますよね。 おばあが世話焼き、とよく言われますが、それは別の表現をすれば、「その人の一挙一動をじーっと見ている、監視している」ということだと思うんですけどね。そういうことを親切、ととるか、監視されていると取るか、ということだってあると思うんです。離島って、やはり島の人だけの社会があって、よそから来た人は、本当に溶け込みにくいところがありますよね。
憧れだけで島暮らしはできませんもん、もうちょっと現実を直視したほうがいいよ、と俺もそういう島に行きたい、って言う人がいればそういうようにしています。

Posted by: 謙介 | 13. 04. 23 at 오후 8:42

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