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13. 04. 03

奈良・外京のこと(3)

Sarusawa

写真は猿沢の池から興福寺の五重塔を見た風景です。
奈良を代表するような景色のひとつですね。

この写真撮りながら気がついたのですが
以前は猿沢の池、といえば池畔に柳の木が
植わっていて、それが池の水面に接するくらいまでに
垂れていて、これも奈良の風景であったのです。
しかし、ここ最近その柳の木がどんどん枯れてしまって
そうした以前の猿沢の池の風景から柳が
なくなりつつあるような気がします。


この興福寺も世界遺産に入っていますし、
前々回にお話した平城宮跡も入っています。

今でこそ、奈良といえば興福寺や東大寺が頭に
浮かぶでしょうし、そうした古寺の建築が
奈良の風景になくてはならないものになっていますし、
こうしたお寺や宮跡は世界遺産に入ったりしていますが、、、。

でもね、一時期、こんなものさっさと壊して
なくしてしまえ、といわれた時期がありました。

時代としてはまだ一応江戸時代のほうに入るのですが
明治になる半年前の慶應3年3月に新政府が
神仏分離令を出しました。
あれは、お寺はお寺、神社は神社と分けなさい
というのが最初の狙いだったのですが、、、。

だれがどこで解釈を間違えたのかは知りませんが、
いつのまにやらその命令が変な方向に走っていって
「廃仏毀釈」になってしまったのです。

お寺の打ちこわしとか、仏像の盗難が横行しました。
こうした流れの中でお寺は経済的に困窮し
お寺の寺宝を他人に売ったり、外国人に売ったりしました。
大変な数の貴重な文化財がこの時海外に流失したりしました。
それを外国の美術館がどんどん買って、、
外国に日本の仏像が保存されている、という
今の状況になるに至ったのです。

その廃仏毀釈はこの奈良の中でも興福寺に一番烈しく
影響がありました。興福寺の大乗院と一乗院の門跡は
還俗(ぼんさんから在家の普通の人に戻る)してしまうわ、
興福寺の中の塔頭寺院は空き家になってしまって
加えて興福寺の寺領はほとんど没収、ということに
なってしまいました。 もうこんな状態ですから
奈良奉行が五重塔の取り壊しを条件に5両で売りに出したのです。
5両やるから五重塔を壊してしまえ、ということです。

そうしたら、唐招提寺の法華院の住職が五重塔を5両で
買い取りました。でも壊すのはもったいない、と思って
そのままにしていたのです。
その後、金具の値段だけでも15両にはなると奉行所が
言い出して、買い戻しました。
奉行所はこの塔を焼却処分にして金具だけ回収しようと
したのですが、付近の住民から、火で延焼でもしたら
困る、と反対を受けて沙汰止みとなったのです。

明治5年になると当時の県令が、通行の邪魔、とか
あちこち塀が崩れている(そりゃ修理の金なんて
当時の興福寺にあるはずがありません)
という理由で、あっちこっち壊してしまいました。
ついでにこの塔もまた5円とか50円とかという
値段で売りに出したようなのですが
(要するに二束三文のバーゲンセール)
結局買い手が見つからずに残った、ということです。
残ってしまったおかげで、今、ああして猿沢の池から
五重塔を見ることができるんですが、。

興福寺の中金堂は明治になって奈良県庁舎と警察に
使われました。その後県庁舎は食堂(じきどう)に
移っています。

もっとびっくりなのは、奈良県議会のほうで
最初の議会を開いた場所は東大寺大仏殿の回廊でした。

Gijido
ここがかつての議場。
回廊って、吹きっさらしで風がビュービューと
直に吹き付ける構造ですが、それでも明治21年の1月
奈良県の最初の県議会はこの回廊で開催している、
と記録にあります。 

あの当時、その大仏殿も雨漏りがひどい状態で、
明治16年から修理に入っていた
時期でした。この明治の修理は結局30年以上かかって
落慶法要が行われたのが大正3年でした。

なぜ30年もかかったのか、といえば、総工費71万円の
お金がなかなか集まらなかったからです。

そりゃそうでしょうね。 
日清日露の戦争だってあったし、そもそも
明治になって「新しい世の中になって今さらお寺なんて
あんなもん。」と思う人が多かったでしょうし、、。

それから奈良といえば、吉永さんの「奈良の春日野」の
お歌ではありませんが、やっぱり鹿ですよね。

鹿は江戸時代までは上方落語の「鹿清談」にも
あるように春日大社の神のお使いとして
南都奉行が鹿のエサ代を年々管理して
保護されてきていたのですが、、。

明治に入って、特に明治4年から6年までの
奈良県令だった四条隆平という人は鹿をつかまえてきて
馬車のように「鹿車」を作って車を曳かせて
自分の自家用車にしてみたり、
撃って殺してもかまわない、と許可を出して
射殺を承認したので、とうとう一時期は
40頭を切るまでに減っていたそうです。

これでは幾らなんでも、ということで
再び保護政策が取られて、1930年代には

800頭くらいにまで数が戻っていたのです。
それが太平洋戦争が始まって、また
(多分鹿を殺して食べたりもしたんだと思います。)
10分の1の80頭にまで減ったそうです。
戦後は天然記念物に指定されたりして保護が
再びされるようになって、今では戦前の水準
(800頭)をはるかに越して1200頭はいるのだとか。

うーん。ここまで増えると、今度は鹿の害が表面化
するのではないかと、、と思います。
高知県では鹿が増えすぎたので、
目下鹿の数を「「調整」しています。 

こないだから道の駅で
鹿肉バーガーを売り出したり、

Shikaniku1

こっちは鹿肉ソーセージ(見りゃ分かりますが。)

Shikaniku2

このソーセージの横に馬の肉も置いてありました。
「馬」と「鹿」、って、、スーパーの係りの人、
やっぱり受け狙いで、一緒に置いたんですかね。


高知県も鹿肉レシピを出したりして
目下のところどんどん鹿肉を食べよう!と消費拡大につとめています。

まぁね、女の子は、なーんであんなにかわいい
しかさんを食べてしまわないといけないのぉぉぉ、って
言うかもしれませんが、田舎では、森林や農作物を
荒らしてしまいますし、森林を荒らすということは
土砂崩れの原因にもなって、下流の家や田畑が
壊滅する原因にもなりますし、現にそうした
崩落が起きています。
田舎ではしかさんかわいいのに、って、
言っている場合ではありません。


さっきも書きましたが、いまは
興福寺だって東大寺だって貴重な先人の遺産として
大切に保護されていて、やれ国宝だの世界遺産
だのと指定を受けていますが、

かつては売ってしまえだの焼いて壊してしまえだの、
金具だけでも金になるかだの、とそういう時期もありました。


文化財というと過去から大切にされてきたのか
と言われたら、全然そんなことはありません。
興福寺の五重塔だって今は登れませんが
戦後はお寺の資金を稼がなくては、ということで
塔にのぼらせて拝観料収入でお寺の経営を
何とかしのいでいた、ということもあります。

まぁ遺跡の発掘とか文化財の保存たって、
案外その時々の社会状況とか政治に翻弄されて
判断が右顧左眄する、っていうことはありますねぇ。


最近だって、とうとう大阪の中央郵便局舎は
地味だから、っていうわけのわかんない理由で
解体されつつあります。
建築史的には優れた建物だったのですが
日本郵政があそこにビルを建てたい、という
思惑が優先して、目下解体の真っ最中です。


ただまぁ奈良に行って、お寺を見るとき、
奈良のお寺にはかつてそういう時期もあって、
そういう時代を乗り越えて今があるのだ、ということを
頭の隅に置いてみていただくと、
お寺に参詣したり、建物を見るときの思いも
少し見方が変わってくるかもしれないなぁ、と
思います。


(今日聴いた音楽 ということで既定路線(笑)の
 まほろば 歌 さだまさし 1980年
 でも、この歌失恋の歌ですよね。
 悲しい歌だけど、歌が奈良の歌だから、
 っていうんでまほろば、にしたんですかね。
 「まほろば」(もっともすばらしい場所)の
 言葉の意味からは最も遠いような
 内容の歌すけど、、。)

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Comments

京都や奈良のお寺さん、神社さんはとても立派なものが多く、巡りながら感動を覚えました。
今でこそ綺麗に整えられていますが、謙介さんが書いていらっしゃるように、江戸末期から戦後までは多難だったと思います。
こと政治の影響を強く受けた時期ですからね。

世界的に見ましても、少し古いところではポル・ポトによる教育・文化の排除があり、最近ではバーミヤン遺跡のタリバンによる破壊やトゥンブクトゥ史跡群のイスラム原理主義勢力による破壊などがありましたね。
明治の頃はあれだけの火力を用いなかったのでしょうが、破壊されたもの、散逸したものはなかなか回復できません。

艦砲射撃に始まり、地上戦でほとんどの文化遺産が消失した沖縄では、形ある文化財がほとんど残っていません。
王府の財宝等も米軍に略奪され、東京府に移されていた僅かなものしか残っていない状態です。
形を残さないイスラム圏(特に原理主義)や何でも壊す中国には近代の文化遺産しか残っていません。
そういう点ではバチカンや日本という場所は相当の歴史・書籍・建築物が残っている貴重は地域だと思います。

鹿肉はまだ食べたことがありません。
実は猪も食べたことがないのです。
欧米の映画では鹿肉のスープとか出てきますから、けっこうメジャーなのでしょうね。
どんな食感・味なのでしょう?(笑)

Posted by: タウリ | 13. 04. 04 at 오후 4:26

---タウリさん
そうですね。カンボジアのアンコールワット遺跡も遺跡の管理をしていた係りの人がポル・ポトの指示によって殺された、と聞いています。バーミヤンの石仏の破壊も記憶に新しいところですね。文化財・遺跡の保存、修復、というのもイデオロギーとか、最近の日本のように経済状態があまり芳しくないので、そうした資金が集まらない、といったこともありますし、、。沖縄の貴重な文化財は、そうですね。あの戦いで多くの大切なものが灰燼に帰してしまったのですね。前に折口信夫全集を読んでいましたら、そうした文字通り今はもうなくなってしまった、貴重な琉球王朝の文化財のいくつかが写真に出ていました。戦前の写りの非常によくない、それでもどんなものだったか、ということを多少は分かりました。こうしたものはもう二度と帰ってきません。やはり平和は大切です。それからこうした先人の文化財をきちんと管理して後世に伝えなければ、と改めて思いました。
 鹿の肉は、脂身が少なくて、イノシシのように獣臭いにおいもあまりしないので(多少はしますけど、、、)調理に使いやすいかもしれません。イノシシは豚に比べたらやはり獣臭いのと、肉質が固いので、よく煮込んで柔らかくしないと、ちょっと食べるのがしんどいのです。

Posted by: 謙介 | 13. 04. 04 at 오후 10:54

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