奈良・外京のこと(2)
春過ぎて夏来るらし しろたへの衣干したり天の香具山、、という
万葉集所収の持統天皇の歌は
中学校の3年の国語の教科書に出てくる歌なので
多分大抵の人はご存知なのではないか、と思います。
この歌は、歌の表面だけ見ますと、
夏がやってきたのですね。(夏用の)白い着物がひるがえっています
という歌なのですが、、、。
この歌は天の香具山が出てくることでもはっきりしているように
藤原京で詠まれた歌です。
で、この藤原京なのですが、誰がここに都を作ったのか、
と言えば、この歌の作者の持統天皇だったわけです。
ですから、単に夏の着物が干されている、という叙景歌の解釈だけでは
ちょっと不足で、認識としては「だから、この藤原京はいいのよ。」という
自画自賛の感慨もそこに入れるべきだと思います。
なんたって自分がここに都を造る、って言って造らせたものですから、
やはり感慨もそれなりにあって当然ではないか、と思うのです、、が。
ところがぎっちょんちょん。
この都、建設途中で、こらあかんわ、ということが判明して
完全にできる前に、平城京に遷都してしまうのです。
なぜかといえば、前にも明日香に行った時に説明しましたが
この藤原京は天皇の住まいは都の真ん中にありました。
この都は奈良盆地の地形の関係で、南のほうが
高くなっていました。
これが致命的欠陥だったわけです。
水は高いところから低いところに流れるのですが
大水が出たときに、その水が南の高いところから
都の真ん中にあった天皇の住まいのあたりに
一気に流れ出たわけです。
加えて、あの時代は、下水とか、し尿処理も
適当だったので、そういう今でいうところの汚染水も
全部天皇の住まいのあたりに流れ込むことになりました。
そういう事実が判明して、これはあかん、ということになって
都をうつす、ということになったのです。
今度の平城京は北の端に天皇の宮殿があって
北の端が、高さとしては一番高くなっています。
学習をした成果(笑)ですよね。
新しい平城京も中国の都城制を参考にして作りはしましたが
「左右対称」ではなくて右に出っ張った「外京」という部分を
くっつけました。
この外京の部分が今の奈良市の基礎となるのです。
そうしてその外京の端に「東大寺」が作られることになりました。
それではなぜあそこに東大寺が造られたのでしょうか。
謙介は理由がふたつあると想像します。
一つは、ご存知のように東大寺には大仏さんが
鎮座しています。
大仏というくらいですからでかいですよね。
ということは、重さも並ではありません。
あの重い大仏さんを安置しても、地面が陥没するとか
像が傾いたりしないような、地盤の強固な場所でなければ
ならなかった、わけです。
近鉄の奈良駅から東大寺に行く道を実際に歩かれたら
よーく分かるのですが、東大寺方向(つまり東)に向かって
ずっと上り坂なのです。
どういうことかといえば、丘陵の尾根にあたる部分に
東大寺が造られた、ということです。
「尾根筋で地盤が堅い場所」ということで、あそこにした、のだと思います。
それが一つ目の理由です。
さっき謙介は平城京の「外京」の部分が今の奈良市の基礎に
なるといいました。他の平城京の部分は次第に朽ち果てて
しまって、また後には田畑に戻ったのですが、
「外京」の部分は何とか集落が保たれ、それがやがて奈良市に
なっていきました。
ではなぜ外京の部分だけ残ったのか。
この平城京の外宮の地域が、他の町に向かう道路の
主要な結節点とうのか、ポイントだったからでしょう。
それが証拠に東大寺の転害門の前の南北の道を
北に行けば木津を越えて、山城(今の京都府)に行けます。
逆に南は最古の官道といわれた山の辺の道のほうに連なって
います。
東は柳生・月ヶ瀬を経て伊賀へ。
西は暗峠を越えて難波へ。
そういう道路の四つ角がこの平城京の外京の
地域であった、からでしょう。
四つ角は当然いろいろな人が集まります。
人が集まるということは物資も集まり、店とか市も
できるでしょう。そうして、そこからいろいろな商売も
生まれます。
藤原京からも、その前の飛鳥からもいくつもの寺院がこの新しい都に
移ってきました。 仏教が力を得ていた時代ですから
お寺はどこにでも移転しても良かったわけです。しかし興福寺、
東大寺は、平城京全体で言えば東の端のこの外京の位置に
建てられました。東大寺は地盤のこともありましたが、
興福寺などは、もっとほかの場所でもよかったのに
今の場所に建てられたのです。おそらく道路が四通八達していて
物資やさまざまなものの運搬にいちばん便利な地を選んで
そこに建立されたのでしょう。
平城京の外京だけ残った理由としては 複合的な要素が
絡み合っているとは思いますが、謙介は、上のようなことも
大きく影響したのではないか、と考えているのです。
(今日聴いた音楽 異邦人 今日の歌は徳永さんで。
元歌は、サンヨーのCMの音楽だったのですが、、
今やサンヨーも無くなってしまって、、感慨無量です。
徳永さんのこの歌唱もしっとり目で、これはこれで
すばらしいと思います。)
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