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13. 03. 27

大島へ (3・了)

この映画鑑賞会は
吉永小百合さんとのお話の会が
後についていたのでした。
謙介、至近距離で吉永さんを拝見することになったのですが、、
女性でしかも女優さんに
年齢ということを言ってはいけないのでしょうが
70前なんですけれども
そんなふうなお歳には全然見えませんでした。
あの若さってどこから来るものなのでしょうね。
謎です。


お話会では
いろいろと撮影の時の苦心談についても
お話を聞けました。 北海道ロケが主体でしたし
雪のシーンが多かった、とのことなのですが
もう雪が縦横から吹きつけてきて。
耳の中にまで雪が入ってきて大変でした、
というようなお話もありました。

そうしてこの大島とのご縁ができた話を最後にされました。
以前風の舞という、この大島青松園のドキュメンタリー映画を
作ったときに、吉永さんはこの青松園の患者さんとして
長い間ここで暮らしている塔和子さんの詩集の朗読を
担当することになった、と。

その詩に感銘を受けて以来
ずっとこの青松園との交流を続けてきた、ということでした。
「今日だけでなく、また青松園に是非来てください。
この建物を出て北のほうに行くと風の舞というモニュメントが
あります。ずっとこの島で死ぬまで居なければいけないことに
なった患者さんたちの魂が、死後は自由に大空を舞うのだ
ということを祈念して建てられたモニュメントです。是非
ご覧になってください。」という
言葉でお話会の最後を締めくくられました。

謙介たちも風の舞のところまで行きたかったのですが
帰りの船の出港時刻までにあまり余裕がなかったので
また次の機会、ということになりました。


その代わり、西の高台にある、慰霊堂のところまで
行ってみました。
この島で、沈む夕陽を見おくりながら、
明日の希望のない人生をここで送り、閉じなければならなかった
収容されていた患者さんの気持ちを想像すると本当に胸が痛みます。

こうした島の療養所にハンセン病の患者を
閉じ込めておくための法律「らい予防法」が
廃止になったのって一体いつのことなのか
ご存知でしょうか。

あの菅首相がその前に厚生大臣をしていた時のことです。
というと、みなさん、ああそういえばそんな時期があったなぁ、
って思い出されると思うんですが、、

ですから平成になってからの話なんですよ。
本当に長いハンセン病の患者の処遇の歴史から
いけば、そんなこともうつい最近のことなのです。

それまで、あの法律があったために
ハンセン病の患者はずっと島の療養所に閉じこめられたまま
島から外に出ることはできなかったのです。
そうして社会から完璧な疎外者として
ひっそりとこの島で何の希望もないままに
人生を終えなければならなかった。


Ogi1

この高台から見た西の海の風景です。手前の小さい島の右奥に
やや霞んで見えているのが、かつて謙介の暮らした島です。
自分もこの島の近くで、何度やれやれ、と思いながら
この夕陽を眺めたことか。

島の部分、ちょっと望遠にして撮ってみました。
中央の窪んでいるあたりに謙介の仕事場の建物が
あります。

Ogi2

この見えているほうにも浜があって
こちらは裏の浜、と呼んでいて小さい港湾施設はありましたが
メインの港ではありませんでした。

でも、ある日、うちの仕事場で急病人が出たことがありました。
その時、たまたま定期船は出航した後でしたし、
市の診療所にお医者さんの来る日でもなかったので
海上保安庁の船を至急来てもらうように手配したことが
ありました。
その急病人を担架であの浜まで運んで
保安庁の巡視艇に乗せて、巡視艇の中から
消防署に連絡をしてもらって、四国側の桟橋に
救急車に来てもらいました。そんな連携で市民病院に
運んで、その人は何とか助かったのです。

離島に住みたい、とか、島暮らしがあこがれです、
ってうれしそうに言う人がよくいますけど、
思わず、訊いてみたくなりますね。
「本当に島に住む覚悟ができててそう言ってるのか? 」って。

島に住むということは、身体の不調に対して、
何の補償もない、ということだって考えておかないと
いけないのです。

携帯電話だってオレンジ色と白の2社は電波すら入りません。
海が荒れたら船が止まって物資が来ません。
島の社会は本当に閉鎖的で、島の出身の人間と
外部から来た人間の間にはやはり大きな壁が
あります。その壁をどうするのか。
北のカナリアたちの映画には、「そういうこと」が
全く描かれていなかったのです。


気候のいい時だけ訪れたのでは分からない
さまざまな問題がそこにはあります。
久しぶりに島を眺めていたら、あの頃のことが
あれやこれやと思い出されて、やはりちょっと複雑な気持ちに
なりました。

展望台から降りて、船に乗るために港のほうに戻りました。
郵便局がありました。
でもね、この郵便局、新しいでしょ。
おそらく以前は無かった、って思いますよ。
おそらく郵便は船に郵便袋を乗せるまでで、そこからは病院の人間が
船から降ろして、郵便物を仕分けしてそれぞれに渡していたか、と
思います。
Postoffice

職員の旧住宅を使った瀬戸内国際芸術祭のカフェです。
Cafe

しばらく行くと石碑がありました。
碑文を見てびつくり。むーちゃん(山田無文老師)の字だぁぁぁ。

この青松園の園長を戦前から昭和44年までずーっと
していた野島先生という方がおいでですが
その方が1970年に亡くなりました。
その先生の戒名の中の「心月」を取って、
この公園を心月園と命名しました、という
むーちゃん老師の石碑です。

Muchan

老師の字は非常に特徴的なので
すぐに分かります。 おっとりとしている字に
見えますが、ちゃんと中国の顔眞卿を学んで
それが下敷きになっている字です。
それでも、比較的まだ若い時期の字だなぁ、と見ていて
思いました。


港の入り口まで来ました。
振り返ってみますと、さっき登った慰霊の建物が見えました。
Hamabe2

さて、来た時のように今から船に乗ります。
Hamabe1

船は定刻に島を離れました。
島は船の航跡の彼方にどんどん遠ざかって行きました。
帰りもちょうど20分で桟橋に到着しました。
下りてからちょっと歩いて、船のターミナルビルのほうに行こうとして
回廊にあがってみたら、謙介の住んでいた島に通うフェリーが
到着したところでした。
瀬戸芸が始まったので、この船も臨時便が出たりして大賑わいです。
いつもこんなだったら、雌雄島海運も、ちょっと儲けが出るのにねぇ。

Meon

コリドーにあがったら旗がはたはたと、、。
Hatahata
ターミナルビルで友達と二人で遅めの昼食を食べて別れました。
「生吉永を見た、って明日職場で言いふらさんとあかん。」と言いながら
彼は帰って行きました。

謙介は一度実家に戻って、荷物をまとめて仕事場の街へと
出発しました。こちらに早めに着いたので
例によって温泉に行きました。
さすが春休みですね。見渡すホテルや旅館の窓がみんな照明が
ついていて明るいのです。
Dogo1

温泉の本館もお花見シーズンというのか春バージョンで
紅白の幕とか桜の造花をつけて、ちょっと浮かれた感じの
ディスプレイをしていました。北側から見たところです。
Dogo2

北西側から。
Dogo3

正面ですね。(西が正面です)
Dogo4
お風呂にゆっくりとつかって帰ってきたのでした。
なんだか最後は温泉の話になってしまいましたが、、
大島に行ってきたときのご報告、以上で終わりたいと思います。


(今日聴いた曲 恋は流星 吉田美奈子歌
 島にいたときに、いろいろなことがあるとこの歌を聴いていました。
 どういうものか、この曲を聴くと落ち着いた気持ちになったのです。
 おそらく京都にいたときもよく聴いていたので、その京都のときの
 気持ちが聴きながらよみがえってきて、落ち着いていたのかなぁ、と
 今になっては思います。) 

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Comments

“らい”についてはいろいろ学びました。
勉強していたあの当時はまだ“癩”と書いていました。
“癲癇”も“てんかん”と書くように変わってきていた頃です。
沖縄にも数ヶ所ありますが、どこも何もないかのようにひっそりとしており、もう30年近く前は、門がガシャッとしまり、隔絶された施設そのものでしたね。
病気に対する正しい認識を持ち、感染拡大を防ぐ境域の機会にするというのは理想論で、実際には重度のらい患者が寿命を全うするのを待つ施設になっています。
この話題はいつも心を痛めます。

吉永小百合さんについては「奈良の春日の 青芝にぃ~♪」しか思い出しません。
インパクト大です(笑)。
温泉は混雑でしたか?
一昨年、昨年と行っていないので、今年こそは温泉旅行をしてみたいです。

Posted by: タウリ | 13. 03. 28 at 오전 12:22

---タウリさん
ハンセン病の患者さんは、現在では新たに感染して患者さんになる人は全国で1人程度と聞きました。この療養所の患者さんには新しい患者として入所する方はいなくて、今、ここで過ごしている人がいなくなったら、この療養所も自然にその役目を終えるときがくる、と、患者代表の方がおっしゃっていました。喫緊の問題として、患者さんが高齢化していて、単にハンセン病、というのではなくて、高齢による身体の機能の衰えと、ハンセン病との複合によるいろいろな症状が出ているのだ、と、そうしたことに対応するような体制になってきている、という話でした。
 人間って、やはりどうしても1度刷り込まれてしまったことを新たに学習しなおす、しかもそのことが自分に関係のないようなことと思ってる問題については、認識を新たにすることが非常に難しいですね。だからいつまでたってもいわれのない偏見や差別がずっとあるのでしょうが、、。本当にタウリさんのおっしゃるとおりだと思います。
 吉永さんは、大昔。謙介がまだ小学生だったころ、母親の勤め先にある生協の「慰安会」というものがありまして。これは年に1度、有名なタレントを招いてのコンサートだったのですが、ある年が、吉永小百合ショーでした。その時に、吉永さんを見たなぁ、という記憶があります。この方、比較的清純派でずっと来られているようですが、発言とかを聞いていたら、性的なこともたくさん発言されていて、結構どっきりです。外見のイメージと実際はちょっと大きな乖離があるんだと聞きました。
 温泉、いいですね。どこかで温泉クンのような人に遭遇できたら、なおいいのですが、、。(笑)

Posted by: 謙介 | 13. 03. 28 at 오전 8:47

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