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13. 03. 05

800年(その2・了)

昨日はNHKのテレビにあの桜宮高校の
先生が出ていたけれども、体罰とか、気合を入れるために
殴ったとか、、ああいうことで、習う側の技量がどれくらい
伸びるというのだろう?

つい先日も姉と、話していたのでけれども
暴力にまでは至らないにせよ、
スポーツとか芸術系の先生って
弟子とか指導している生徒とか学生の
全人格を否定するようなことを平気で言う先生が
多いよね、という話をした。
姉も大学の時のピアノの指導教官からずいぶんな
言葉を投げつけられたわ、もうずーっとよ、って言っていたし
謙介だって、同じだ。
特に漢字の草書の先生からは、、もう立ち直れないくらいの
言葉を言われたよなぁ、と思い出した。

あの時代はみんなああよ。
という姉の言葉で、二人ともため息をついたのだったけど、、。

そんな中で、あの中2の時の先生は
どんなことがあってもまず生徒の話を丁寧に聞いてくれた。
それで、どうしてそう考えたの? と先生が質問する。
自分は~思ったからです。
どうしてそうしたかったの? 
~という理由があって、、
そうか、そういう考えだったんやなぁ、
と先生はこちらの気持ちも十分に汲んでくれてから
いろいろな話をしてくれた。

その中で、自分のもやもやは必ずしも解決はしなかった
けれども、話を聞いてもらって、心がずいぶん軽くなった、
という気がした。

先生に担任していただいた1年間に、
4、5回美術準備室で話を聞いてもらったことがあった。

体罰をする、言葉とか暴力で生徒を従わせようとする
その正反対の先生だった。


先生のご逝去を知ったのは、告別式の当日の新聞。
そうして自分は先生の葬儀場所からは遠い場所で仕事中。

とりあえず自宅の住所だけは知っていたので、
お香典と奥様宛の手紙とを一緒に現金書留の封筒に入れて
送ることにした。
薄墨にしてお悔みの黒白ののし袋を書いていると
急に涙がこみ上げてきた。どうしてこんなに早く
先生のお悔みののし袋を書かないといけないようなことに
なってしまったのか。

葬儀の終わった翌日。直接電話をしよう、かとも思ったけれど、
ただでさえ葬儀の後始末で忙しいだろうし、
その上にご主人を亡くされたところの
奥様にいきなり電話をするのもどうかと思って、そのままに
しておいた。それから2、3日して、仕事から帰ってみると
留守番電話の着信があった。
再生しみると先生の奥様から、「お香典ありがとうございました。」
とのこと。

先生のお宅に電話をした。
「はい○○でございます。」という懐かしい奥様の声。
「こんにちは謙介です。」
「まぁ○○くん。この度はお香典どうもありがとう。」

そうして、先生の死因が肺気腫であったこと。
酸素ボンベを携行してではあるけれども、
去年の暮れまでは、何とか日常生活は送れていたこと。
(でも、さすがに版画の年賀状作りをする体力は無くなっていた)
今年に入って、1月の2日に病院に入院して、
2月の2日に容態が急変して亡くなった、ということを伺った。
それでも2月の1日も意識ははっきりあって、明日は新聞を持ってきて欲しい
というようなことを奥様に頼んだりしていたのに、、
その夜に看護士さんが見回りに来たときは、もう意識が無くなっていて
その後、眠るように亡くなった、ということだった。

主人はね、よく寝たきりになって、身体にチューブをつながれて、
っていう人がいるでしょ。ああいうふうにはなりたくない、
ということを言っていたの。 そういう意味では意識もほとんど最期まで
あったし、苦しみもしなかったし、いい最期だったんやないかなぁ、って
思うんですよ。

そんな話をしてくださった後で
「あの、お許しいただけるのであれば、お参りに行きたいのですが。」
とお願いをしてみた。
「お許しだなんて。
ええ、ええ、どうぞどうぞ。○○くんに来てもろうたら、主人も喜ぶわ。」
とご許可をいただいたので、土曜日の午後2時に
先生のお宅にお伺いすることになったのだった。

先生のお宅にこの前お伺いしたのは、もう何年前のことだろう。
文学賞の新人賞をもらって、その受賞記念に先生が
お祝いをくださって、その時にお礼を申し上げにきたのだから、
もう10年くらい前のことになる。

先生のところに行くのだから、と、
寺町京極の鳩居○に電話をして、お線香を整えてもらって
それを持って行った。 鳩居○に頼んだら次の日は
宅急便で到着する。便利になった、と思う。


土曜日、朝喪服に着替えて、家を出た。
先生の家は江戸時代に建てられた家だ。

玄関で「ごめんください」と叫ぶと
(家が大きいので叫ばないと奥まで聞こえない。)
奥様が出てこられた。

「まぁまぁ。」とご挨拶を。
それから上がらせていただいてまず仏壇の前へ。
先生の遺影は最晩年のものなのだろう。
でもお亡くなりになったのが70代だったので
まだ自分が習った時の先生の面影は十分にあった。
「これ、お線香なんですが。」
と袋から出して奥様に差しあげた。
「まぁ、これはどうもありがとう。」
ついていた紙袋も後から渡すと
「あら、鳩居○。」
「いや、最近は便利になりまして、、電話して頼んだら翌日配達なんですよ。
先生のところに持っていくの、お線香にしようと思ったんです。
持っていくのであれば、やはりこれは、と思うところのでないと
絶対にいけないと思って、、これにさせていただきました。」
「まぁ、お父さん、鳩居○のお線香、
○○くんが持ってきてくれたわよ。」

急いで鳩居○で手配して本当に良かった、と思った。


それから
今も欄間に火縄銃とか槍がかけられている、
(なんたって江戸時代にできた家ですからねぇ。)
もちろんわざわざ買ったのではなくて、
江戸時代からずっとそのままそこに在る応接間に
移って、少しお話をした。(途中省略)

「先生に会おうと思って、延ばし延ばしになって
しまって。やっぱり会おうと思ったときに、
無理やりにでも会わないと、もうあれが最後
っていうこともあるんですよね。 俺、何度も
そういうことになってしまって、、。」
「そういうもんよ。わたしも後になってから
ああ、あの時会っておいたらよかったのに、、。
ということが何度もあったわ。」
「全然学習してないんです。まったく。」
「あ、いやいや、、。」

「どうか、玲子先生もこれからお疲れが出ると
思いますが、お体大事になさってくださいね。」
(奥様も小学校の先生だったので、玲子先生
と俺は呼んでいる。9
「○○くんも元気でね。」
「あ、玲子先生。」
俺は先生からの年賀状でいつも謎だったことを
この機会に聞こうと思ったのだった。
「先生からの年賀状にいつも『装束家』と肩書
があったのですが、これはどういう意味なんですか?
先生美術だったから、時代装束の研究でも
なさっていたのでしょうか? 」
「あ、それはね。」と教えてくださった。
この街の向こうに八幡さまがあるのは○○くんも
知ってるでしょ。」
「あ、はい。」
「その八幡さまを1225年に宇佐八幡から勧請した時に
ひとまず、御霊をひとまずこの家にお迎えして、
それから装束を整えて、隊列を組んで
お宮のあるところまでお運びしたのよ。
それ以来、八幡さまの秋の大祭の時には
うちの家が代々ご案内をすることになっているの。
800年近く、ずーっと。そう。」
「800年ですか、、、。」
「幸い、少し前から息子にさせていて、主人は
付き添いで歩いていたからね。」

「ありがとうございました。これで謎がとけました。
先生、そんなこと一度もおっしゃらなかったし、、。」
「うちの主人、そういうことはあんまり外に対して
言わないものね、、。」
「でも、なんかずーっと聞いてみたかったので、
これで得心がいきました。」
「まぁ、、でもそれは良かったです。」
「では、どうぞお元気で。」
「○○くんもね。」

そして俺は先生のお宅を辞去したのだった。


(今日聴いた音楽 Good Bye School Days
歌 ハイ・ファイ・セット 1983 アルバム
 パサディナ・パークから 3月になると
 この歌をいつも聴きたくなるんですよね。

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Comments

自分には子ができるわけではありませんし、一般の社会であるような“妻”と結ばれることもありません。
かろうじて、甥や姪が覚えていてくれるかもしれません。
その後は……、何事もなかったように記憶から消えていくのだろうなと思うようになってきました。
だんだんと現実味を帯びてくるのですよね。
若い頃にはなかった発想や思いです。

恩師の先生、謙介さんをはじめ教え子やお弟子さん等、そのような方々の心にあるということが人徳だと思います。
成ろうと思って成れるものではありません。
素晴らしい先生だったのですね。
謙介さんの仰るように、人付き合いで後悔しないよう、適切な時期や機会を見失わないことを心がけていきたいと思います。
僕も全く以て学習が足りません。

Posted by: タウリ | 13. 03. 06 at 오후 5:20

---タウリさん
本当にそうですね。先のことを考えたら、、どうなるのか、ということはあります。その「継承」ということ、俺もいろいろと考えるのですが、、いつも答えが出るよりさきに「ためいき」になってしまって、、。でも、タウリさんもおっしゃるように、そういうことを考える、という歳になってきましたね。 20代にそんなことなんて、思いも至りませんでしたが。

本文にも書きましたが、生徒に対して暴力とか脅しで指導するのではなくて、まずゆっくりと生徒の気持ちをほぐして、それからじっくりと話を聞いてくださって、それから先生のお話があったのです。12年間、いろいろなクラスに所属しましたが、あの1年間ほど、今も懐かしく良かった1年はありませんでした。あんな先生、後にも先にもあの先生しかいらっしゃいませんでした。だからこそ他の先生との結びつきはもうとっくになくなっていたのに、この先生とだけはずっとやり取りがあって、結びつきを切らさなかったのだと思います。
一生お付き合いしていきたい先生でした。残念でなりません。

Posted by: 謙介 | 13. 03. 06 at 오후 8:05

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