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13. 03. 04

800年(その1)

もう1ヶ月ほど前のことになるのだけど
新聞の訃報欄を見ていたら、
中学2年の時の担任の先生が亡くなった、とあった。

小中高と12年間いろいろな先生の
担任のクラスだったけれども、
中2のその先生の担任のクラスと、その先生だけが
唯一楽しくて、自分も伸び伸びとできたクラスだった。

今でも覚えているのだけど
中1の時のクラス担任は
クラス全員にある特定の生徒、たとえば「謙介についてはどう思うか、
ということを書け。」と言って思ったことを書かせて、
学級活動の時間にそれを読み上げた。

俺についても、クラス全員に思っていることを書かせて
それを読み上げられた。 
当然仲のいいやつは好意的だったけど
仲の良くないのは、悪口のようなことが書いてあって、、
それをクラス全員の前で担任が読み上げた訳。

一体どういうつもりでそういうことをしたのか、
それをすることでどんなふうな教育的効果がある、
と判断したのか、そんなもの知らない。

でも、俺はそれをされたことでものすごく傷ついたし、
今もそのことを思い出すと、腹が立つし
一生その担任のことを俺は許さない。(多分もう亡くなったと思うけど)


そんなクラスが2年になってクラス替えになって
新しいクラスになった。
担任の先生はよその中学から異動してきたばかりの
先生だった。

1年の時の担任がもうひどかったので
どうせ中学校の先生なんて、ろくなもんじゃない、と
不信感しかなかったのだけど、、。

1年の時の担任は、いつも引き算ばっかりの人で
あそこができていない、これが悪い、というばかりの
人だったのだけど、その先生は、ちょっとしたことでも
生徒のいいところを見つけては褒める先生だった。

クラス全体も最初はバラバラだったように思う。
誰かがリーダーで、というのではなくて
この時には、こいつが責任を持って仕事をする係
この時には、そいつが、と、リーダーがみんなで交代になって
しかも、その責任者が決めたことは、クラスでまとまってする
というふうに変わっていた。

その先生に褒められたことはあったけれども
オマエ、そんなことをしたらいかんやないか、って叱られたことは
なかったなぁ。
ただ注意するときは、こっそりと誰もいないところで
やっていた、とそれは後になって聞いたけれど。

いつも生徒の身になって考えてくれて
いろいろと話したいことがあったら、いつだって時間を取るから
話においで。と言ってくださってその通り、どんなに忙しいことが
あってもまず生徒の話をゆっくりと聞いてくれた。

先生の専門教科は美術だったので
そういう話をするときは、美術室の横の美術準備室の小部屋が
臨時のカウンセリングルームになった。

ある時、その先生が、俺がなんだか暗い顔をしているのに
気がついたのだろう。

ちょっと美術室準備室においで、と言って呼んだことがあった。
先生はしばらく雑談をした後で、俺に尋ねた。
「何か最近顔色が悪いし、暗いぞ。何か心配なことでもあるんと違うか? 」

実はその時、我が家はオヤジが他所に女の人を作っていたのが
何の加減かオフクロにばれたらしくて
毎日家の中が戦闘状態だった。
たまに茶碗が飛んだりもしたし。

姉はマイペースな人間だったし、部活にはいりこんでいた。
(後から考えると、わざとそうしていたのだろうと思うけれども。)
そんなこと、なかなか話せなくて、、しばらく逡巡はしたのだけど
きっと中2は中2なりに思って、この先生は信用しても
いいかな、と思ったのだろう。
泣きながらその話をした。
そうしたら、先生は何日か後にオヤジに会って
あんたの息子がしんどそうやぞ、とか話をしてくれたようだった。

まぁ人間の感情なんてそう言われたから
オヤジがすぐに変化する、ということは
なかったけれども。
結局紆余曲折が大体落ち着いたのが
俺が大学に行くことが決まったころだった。

それはともかく。
その先生にはいろいろな話を聞いてもらった。
そういう先生だったから、中3になって担任でなくなっても
高校に行ってからも、時々訪ねていっては、
その時々の状況報告をしていた。
もちろん年賀状のやり取りもあって、、。

俺が仕事の関係であっちこっち移動するように
なってからは、先生のお宅に行って話す機会もなくなって、
もっぱら年賀状のやり取りだけになってしまっていた。

そのうち先生も定年になってご退職になった。
とうとう教頭にも校長にもならずに、美術を教える一人の教員として
終えられた、と後から聞いた。

その後も賀状のやり取りはあったし、
さすが美術の先生で、毎年すばらしい版画の賀状を
くださっていたのに、、。
今年の年賀状の束の中に先生の賀状はなかった。
あれ、おかしい、と、思っていた時の、訃報だった。

(例によって長くなってしまったので、今日はいったんここで措きます。)

 今日聴いた音楽 22歳の別れ 正やんのほうで、
 もとい、風 1975年 音源はシングルレコード
 この曲がヒットしてから7,8年経って
 倉本さんのドラマ「昨日悲別で」のエンディングに
 使われていて、もう一度しみじみと聞きました。)

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