去り際
3月といえば学生さんは卒業の季節ですね。
謙介も学校の修了式が3月15日で、16日・17日で
部屋の片づけと荷物をまとめ、18日にあわただしく
引越しをしたことを昨日のことのように思い出します。
オヤジが道路を作る仕事をしていたので
転勤に合わせて四国と京都を何度か往復しながら
それぞれ住んでいたのですが、最後は定年まで四国で
動かない、ということが最終的に決まって、
四国に家を建てることになったので、
京都の家をいよいよ最終的に出ることになったのです。
どちらも同じくらい住んだので、愛着はそれぞれ
あったのですが、やはり最後、京都を出る時は
寂しい気持ちがしましたし、京都南ICから名神に乗って
長年見慣れた愛宕山を見たときには、もうこれで
毎日愛宕山も見られなくなるなぁとさすがに
いろいろと感じるものがありました。
学生のみなさんの中には卒業、という人もおいででしょうし、
社会人のみなさんは年度末で転勤があったり、とか中には
退職、という人もおいでか、と思います。
謙介は今年は異動はないということだったので
今の場所で担当の仕事も変わりません。
でもまぁ最近、国際的にそのご退職が注目されたのは
やはりなんと言ってもこの方だったのでは
ないでしょうか。
カトリック系の出版物の4月号がぼつぼつ出てきました。
それとともに、前のローマ法王が辞めるに至った
前後のことが書かれた記事があって、
そういう事情になっていたのか、ということも少しわかりました。
前々の法王のヨハネパウロ6世は58歳という
法王にしてみれば比較的若い年齢で法王になったことも
ありましたし、あの方ご自身、非常に活動的な方で日本にも
来られましたし、いろいろなところに出かけて行って、
さまざまな階層の人に会って、いろいろな発言をされた
ということもあって、カトリックの信者さん以外の人にも
結構知られていましたよね。
ただでさえ、前任者と比較される、というのに
その後任のあの方は、ずーっと教皇庁の教理庁長官を
されておいでの方でしたからコチコチとか堅い
という感じでした。
それで、カトリックの雑誌を読んでいて、
びっくりしたことがありまして、、。
こないだ退位した教皇さんは行政改革を
しようとしていた、ということなのだそうで。
例えばバチカン銀行の制度を改革していた、、、。
EUの反資金洗浄政策を協調導入するすることによって
金融操作の透明性を高めようとし、金融専門家グループと
複数の枢機卿で構成される二重の監視委員会を設置した。
その監視委員会はバチカン銀行のゴッディ・テデスキ総裁に
不信任を申し渡したが、後任人事では同銀行の過去を
封印したい枢機卿団の猛烈な巻き返し工作が展開された。
ベネディクト16世にとっては、頑迷な伝統主義者との
付き合いも頭痛のタネだった。 第二バチカン公会議が
敷いた「現代世界との対話路線」を否定し、中世教会を
郷愁とする「聖ピオ10世共同体」(ルフェーブル派)との
折衝などはその典型である。
(福音と社会 266号16ページから)
バチカンの行政改革を行おうとしていたらしいのですが、
旧守派の抵抗がものすごくて、その改革が思うように
進まなかった、とありました。
あの方以上に頑固な旧守派がいた、ということを読んで
謙介さん、ひっくり返りそうになりましたですが。
まぁ思うようなことができず、加えて年齢から来るものがあって
「神のみ前で繰り返し良心を糾明した後、わたしは、
高齢のために、わたしの力は、ペトロの奉仕職を
適切に行使するにもはや耐えないことを確信するに
至りました。」
ということになったのだそうで。
志半ばで、しかも、もう歳で、気力が萎えてしまって、
もうできない! となって退位に至った、ということだそうです。
やはり情報というのはいろいろなところから
多角的に集めないといけないですね。
普通の新聞の報道とはまた違ったことも
多々わかりました。この話はここで措きます。
以下は、日常的な話になるのですが、、。
役職とか仕事の出処進退、って本当にそのタイミングが
難しいものですね。
謙介は、どうだろう、ということを考えます。
自分は地位とか立場なんて「ひら」ですからありませんけれども
そういう地位に上がる、ということも要らないし、
仮に上がったとしても、そういう立場に汲々となんか
したくないし、しないから、時期がきたらさっさと辞めると思います。
そんなことより、ここでお話したいのは、
退職の時の「あいさつ」のことです。
今までうちの仕事場でもいろいろな人が着任して
そうして去っていきました。
一緒に仕事をしていたときも気持ちよく仕事もできた人は
別れ際も、時間を作ってあいさつに来てくださいました。
こちらも、お礼を申しあげたりすることもできました。
うーん。 でも、最近多いのは
仕事の時は、あれやこれやと
人に山ほど用事を頼んでおいて、
一言も何もないままいなくなる、という人ですね。
ここ3年の間にそういう同じパターンの人、
3人ほど見ました。
3人とも30代で、うちでそれなりに仕事をしていて
他にかわっていった、という人でした。
一番あれこれと用事を言ってきていたのに、何の連絡も無しでそれっきり
いなくなりました。
今年もそういう人が2人いました。
実際の退職は3月31日なのですが、
14日からずーっと3月末まで年休を取って、仕事場には出てきません。
おそらくそのまま今頃は次の任地に行っている、ということなのでしょう。
利用するときには用事を頼む、どんどん利用しておいて、
自分に用事が無くなったら、もうそれっきり。
人は道具や機械ではありません。
でも、そういう人って、まるで利用器具としか
職場の人間のことを思っていないみたいです。
だって辞めるの決まったの、去年の10月だもん。
急に辞める、っていうんじゃないしさ。
あいさつなんていつだってできた、って思います。
お世話になりましたのメールもなければ
転任のはがきもなければ、関係が切れたら、それで
おしまい。
で、それで専門が社会福祉だったり心理学だったり
ですって。人間相手の仕事やってるのに、
他人の感情とか気持ちを一体何だと思っているのでしょう。
他人っていうのは、自分の思うように利用するだけの
存在でしかないんですかね?
そういう人の取った行動からは、そういうつもりなんだろうな
としか読み取れません。
まあね、そういう人は、「どうせこの職場からいなくなるんだし。
後に残る人間なんてもうどうでもいいや。」くらいにしか
思っていないのでしょう。
でもねえ、人間って、またもう一度どこで、どういう関係に
なるかわかんないんですよ。 離れて関係なくなった、
と思っても、どうしてもその人に用事ができて
連絡を取らなきゃ、っていうことだって結構起きて
きたりするものなんですよね。
でもさ、そんなふうに、必要が無くなった人間関係はさっさと
切ってしまうような人間が、また何か用事を頼んできたって、
俺は用事は引き受けません。「ごめんね。忙しいから。」とか言って。
もし、仮に辞めるときにちゃんとあいさつをしてさ、あ、こいつは
それなりに人間関係を続ける意思があるんだな、
と思ったら、こちらはいくら忙しくても、何か手伝うよ
って言うかもしれないけれども、、
向こうから切ってきたのに、今さらまた何かしてほしい、って
言ってきたって知らない。
だって、それこそ仕事場の人間の用事じゃないしぃ。
俺とは関係ないしぃ、って思うだけですし、、。。
人って、言ってる言葉じゃなくて、その人の取った行動で
案外「その人の中身」というのが見えてきたりしますね。
どの程度の人間か、っていうのも見えてきたりするもんね。
俺は前の仕事場を辞めるときには、
その仕事場の全員の方にあいさつを
しに行きましたよ。
中には嫌なやつもいたし、全然違う職につくので
その仕事場の人と接点は完全になくなるから
何も言わないで辞めたって、もう関係ない、で
済む話ではありました。
でもそれが人としての最低限の礼儀だと思うし。
そういう意味でも、自分はいつ、そういうことになるかは
まだわかりませんけれども、いつか去る日が来たとき、
自分の去り際はちゃんとしておきたいよね、と、
改めて思ったことなのでした。
(今日聴いた音楽 海を見ていた午後 歌荒井由実
音源はLPレコード なんだかこの曲を聴くと
一気に昭和50年代はじめ、というのか1970年代
半ばに行ってしまうように思います。)
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