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13. 02. 12

往復1000キロ・京都へ(6)

それでは、ということで、妙心寺の前からタクシーに
乗りました。「河原町三条まで」行ってもらいます。
バスと違ってタクシーは裏道をどんどん走ります。
さすがに運転手さん、どの道を通ったら、信号が少なくて
道も空いている、というのを知っていますから、速いです。
京都の大きな道は大抵2車線ずつ、堀川通りとか
五条・御池通りだと3車線ずつあったりするのですが
歩道に近い側の車線は、トラックや普通の車が荷物の
出し入れで停まっていることが多くて、そんなもの2車線
あっても1車線分しか車が流れなくて、結局混雑している
ということが多かったりするんですよね。
だから裏道を走ったほうが速い、っていうのあります。

三条に着いて、河原町通りをちょっと南に。例のBALビル
のところに来ました。 
行ったのが2月2日でしたから
BALの営業は前々日で終了していた、ということです。
入り口にこんな立て札があって、

Bal2

中では各店舗にあった
ディスプレイのケースとか設備の撤去作業が始まって
いたようです。

Bal3


外から見ると、、。

Bal1

やはり40年の歳月は古くなったなぁ、という印象を
与えますね。やがてもう少ししたらこのビルの外側が
防音のシートで囲まれて、このビルも見えなくなって
やがて解体されてしまうのでしょう。
見慣れたビルだっただけに消えてしまうのは
ちょっと残念ですが、まぁそれも時代の変化なのでしょうから
仕方ありません。

河原町通り、もうちょっと人が多いかなぁ、と思っていたのですが
案外人が少なくて、年寄りにも歩きやすかったので
ちょっと安心しました。

で、こっちが○善京都支店の遺跡(笑)です。

Maruzen


今ではカラオケ屋になっています。
この前で右折して新京極を横切って寺町へ行きました。
寺町をちょっと下って(南に行って)錦の筋で右折です。
錦市場、ひえええええ。


オフクロが鰊の炊いたものが買いたい、
ということだったので、錦に来たのでしたが、
河原町とは比較にならないようなすんごい人出で、、
なかなか前に進みません。

錦も行くたびごとに店が変わってしまっています。
以前は圧倒的に地元の人間が買い物に来る、
そのための店、が多かったのですが、

今ではざっと見たところ、3分の2くらいの店が
観光客を相手にしたような感じの
オシャレで少量売りの店に変ってしまった、
という感じです。 餅屋さんでも、以前は
6個入りパックなんかも結構置いてあったのに
今では1個から、というふうに売り方も変った
ように思います。

この市場は午前中と午後では全く客層が
違います。午前中は、旅館とか仕出屋、料亭の
板場さんが品物を見に来ます。
午後が一般客、という感じです。
店も午前中は開いていても、魚も一匹丸のまま
ごろんと置いてあったりして、いかにも業務用の
応対なのですが、午後になると刺身にするとか
塩焼きとか付け焼きにしてあるとか、そういう
家庭のお惣菜対応の品物に変わるのです。
この日行ったのは、週末の夕方で、
まぁ混まないほうがおかしい、という時間帯で
あったわけで、、。

それでも何軒かのなじみのお店に寄って
あれこれと買ったりしました。鰊のあめ炊きも買うことが
できて、そのほかあれやこれやと買い物をしました。
後、大○の地下でお土産を買って、四条烏丸まで
来ました。結構歩いたのですが、、。
タクシーをつかまえようとすると、
帰りはバスでいい、と言います。
「ここが始発なんやし、座れるやろ。」ということです。

四条烏丸の交差点です。
Shijyokarasuma


かつてあった富士銀行も三菱銀行もそれぞれ
建物も名前も変ってしまい、やはり時の流れは
それなり経過したなぁ、と感慨しきりです。

Silkhall

シルクホールのある京都産業会館です。
この建物の8階にシルクホールというキャパが700人ほどの
ホールがありまして、、ずいぶん昔にここでつかこうへいさんの
銀ちゃんのことの芝居を見ました。 これが後に改題されて
「蒲田行進曲」になったのですが、、。
実はあの話、「蒲田」とあるから東京の話、と思っていましたら
太秦の撮影所の話だったのですね。

芝居の台詞の中に(当時太秦の広隆寺の
隣にあった)右京区役所が出てきたので
たまたま京都で上演したからリップサービスで
そういうのを入れたのかと思ったら、そうじゃない、
って後になってわかった、ということがありました。


以前はこの産業会館の南側に四条烏丸市バスセンター
というのがあって、そこから各系統別にバスが
出ていたのです。ちょっと裏に行かなくては
なりませんでしたが、系統別にバスが
出ていたので、きちんと並んでいれば
バスに乗れました。
今は市バスセンターは使われなくなって、
シルクホールの建物の前に、停留所が
いくつかごちゃっとあるようになってしまいました。
一つのバス停から5つとか6つくらいの方向行きの
バスが出るので、どの行き先のために並んで
いる人なのか分からないので、自分の乗りたい
バスが来たら、そこいら辺に居る人の間を
すんませんすんませんすんませんと言って
かきわけて乗らなくてはならなくなってしまいました。

91系統大覚寺行きのバスはここが始発なのですが、、
他の系統のバスと乗り場がごっちゃになってしまった結果、
一体どこ行きのバスに乗りたくてみんなここにいるのか、は
バスが来るまで分からなくなってしまいました。
前はきちんと場所が決まっていたので
整列乗車ができていて、良かったのですが
もう最近はぐちゃぐちゃです。

で、バスの時刻表を見ていたら
またまた変なものを発見してしまいました。

国際観光都市京都なので、バスの行き先表示も
日本語・英語・漢語・ハングル表記の多言語表記です。

Bus

日本語の表記では「京都外大前行き」ですが
ハングル表記をそのまま読むと、
「京都外学前行き」と書いています。
外大は韓国語でも日本語と同じで外大で良くて、発音は
「うぇで」です。だから表記とすれば「きょうとうぇであぷひょん」
でいいと思うのですが、「きょうとうえはくあぷひょん」でした。

なぜ?


そのうちに91番のバスが来ました。
するとそれまで動いていなかった人の中から
俺たちと同じようにわらわらと結構な人が出てきました。

俺は座らなくていいんですが、両親は座らせたかったので
どうなるかな、と思ったのですが、まぁ何とか座ってもらう
こともできました。


「バス、今、なんぼやのん。」とオフクロが聞きます。
「220円やで。」と言うと、「前は90円やったのに。」
おかあさん、それは30年前のこと。と思わず言いたく
なりました。

ただ91系統のバスの走るコース自体は
その遥か以前の90円の頃と変っていません。
四条烏丸から西に西院(西大路四条)まで走って
ここで右折してしばらく西大路を走り、円町まで行き
ここで左折して丸太町をずーっと西に走って大覚寺
まで行きます。ただ、謙介の使っていた常盤までが
市内運賃で、常盤の次からは市外運賃の適用に
なって120円になるのでした。

太子道まで来て、次は円町になったところで、
オヤジが言いました。「今日は2日やろ。」
「うん。2日。」
「そうしたら達磨寺でおまつりやってるさかい、
参っていこう。円町で降りよ。」

慌てて降車のチャイムを鳴らして降りるように
しました。バスは円町の吉牛のある角を左折して
丸太町に入ろうとしていました。
「ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃー」
と吉本の末成さんみたいにいいつつ前に出て円町で降ります。
西大路を渡って、ちょっと北に行くと、
改めてびっくりしました。確かにオヤジの言う通り、
だるまさんの祭りの横断幕が出ているではありませんか。

西大路から右折してだるま寺のほうに行きます。
だるま寺の前です。すごい賑わいです。
ちょうど節分の前日と節分におまいりをすると
1年の厄除けになるといわれています。

Darumadera

門前におばちゃんが座っているのが分かりますか?
あのおばちゃんが、恵方巻きの巻き寿司売りの
おばちゃんです。 あの恵方巻は元々この京都の
風習だったのがいつの間にやら商魂たくましい
コンビニ屋さんの宣伝のせいで全国に広まって
しまいました。京都以外にはなかった風習ですから
おそらく「恵方巻なんて最近知った。」っていう人が、
ほとんどじゃないですかね。 
ああいう感じで、節分のおまいりのところで、売ってたり
したんです。

オヤジが思い出してくれたおかげで、はからずも
節分の厄除けのお参りをすることができました。
ここのおっさん(和尚さん)謙介、ちょっと知ってたんですが、、
お寺の人に、S野T義おしょさんは、お元気ですか?
と聞いたら、6年前に90歳で遷化された、と聞きました。

謙介が知ったのは和尚さんが60歳の頃で、、。
まぁとにかく元気な人で、やたら声がでかい。
200メートルくらい向こうに居ても、声で分かる
というような人でした。だからまぁ90歳まで生きられた
ということなんでしょう。(謙介なんかあの和尚やったら、
死なんやろ、とさえ思ったこともありましたけど。(笑)

このだるま寺から、はなかんまでは、ちょっと微妙な距離
があるのでした。バスに乗っても3つくらい向こうのバス停
なので、乗ったらすぐに降りないといけないし、、。かと言って
歩くのも、謙介はまぁ平気ですが、両親はちょっとどうだろうか、
と思いました。「歩ける? 」と聞いたら、「そんな年寄り
扱いして! 」と元気に憤慨してくれたので
はなかんまで歩いて帰ることにしました。
妙心寺の通りをずっと西に行きます。

「なんや街、暗いなぁ。」とオフクロが言います。
本当に、以前より暗いのです。前は道の両側に
結構いろいろな店があって、それもこの時間まだ
夕方の6時前でしたから、店も開いてて、明るかったの
ですが、いまや店はなくなり、街路灯もぽつんぽつん
としかついていません。ただでさえ不景気なのに
街全体も不景気な感じです。

「あ、ここ蜜蜂があったのに。」と思わず言ってしまいました。
おばちゃんがやってる「蜜蜂」という名前の喫茶店があったのです。
喫茶店なのにカレーがすごくおいしくて、、その後にコーヒーを
いただくのがセット、だったお店だったのですが、そのお店も
なくなっていました。千成餅食堂もこの通りに2軒あったのが
1軒はなくなって、もう1軒は営業はしているようでしたが
その日の営業は終わっていて灯りを落として
いました。(以前はもっと遅く、晩の8時くらいまではやっていたのです。)

その近くのラーメン屋さんはありましたが
その隣の銭湯は建物こそありましたが、どうも長期間
営業していない感じで、、きっと廃業したのだろうと思いました。
そのさらに西のカラオケ喫茶ももう止めている感じでしたし、、
なんだか歩きながら、あそこものうなった、ここもやめてはる
とそんなのばっかり見つけているようなことになってしまいました。
長くなりました今日はここで措きます。

大河ドラマ記念でおまけ画像。(笑)
Niijima


(今日聴いた音楽 京の四季 喜美代・御世春 
 録音時期不明)


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Comments

そんな僕は、以前、蒲田に11年住んで、蒲田行進曲も見たはすなのに、蒲田のお話だと、今の今まで思っておりました。
11年も住んだから、それなりに好きだったけど、何やら怪しい匂いのする町でした、蒲田。

Posted by: takenii | 13. 02. 17 at 오전 6:37

---takeniiさん
謙介の中では蒲田、っていうと、羽田に行くときの京急で、、ということと、比較的最近だったら梅ちゃん先生の舞台になった街、ということしか知りません。(笑)
つかさんの「蒲田行進曲」を見て、どうして太秦行進曲にしなかったのか、と考えました。太秦だと、確かに映画作りの場所ではあったのですが、あまりに時代劇のイメージが強すぎたせいかなぁ、と思ったり、、。でも蒲田行進曲だって、時代劇に出てる役者さんの話ではあったんですけどね。そうですか。怪しいにおいのする場所でした? それだったら、今度いつか東京に行った時は、京急でさっと品川方面に行かずに、ちょっと途中下車してみます。(笑)

Posted by: 謙介 | 13. 02. 17 at 오후 3:35

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