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13. 02. 15

往復1000キロ・京都へ(9)

昨日みなさまはチョコレートなんぞいただきました?
あ、俺も職場のおばちゃんから、いただいていたのです。
あけたら、、。
ワニのチョコだった。
え? 
だからワニのチョコ。
こんなの。
Wanichoko1_1

ひっくりかえしたら、、ほら、チョコレートでしょ。
Wanichiko2

    ×    ×     ×

先月の17日に、「あの地震から18年が経過して、、」
と報道がありました。
しかし、年を追うごとに、その扱いはだんだん小さくなって
しまっています。

今の高校生は地震後、に生まれてきた人がほとんどになって
しまいましたし、仮に生まれていてもまだ0歳ですから
地震なんて覚えていない、という子たちばかりになってしまいました。

逆にあの当時50代で一線でバリバリと仕事をしていた方も、
もう70歳を越えられたわけです。
中に少なからず、あの地震で生活の基盤をすっかり
喪失してしまった方だっていらっしゃいます。加えて
歳はとっていきますから、働こうにも働けない。
現金収入の途もない。そうした方の
これから、を考えると本当に大変だと思うのです。

あの1月17日の震災の教訓が、一昨年の東日本大震災に
どれほど生かされたのでしょうか。

やはり、あの大震災のことは決して忘れてはいけない、と
思って、寄ってみることにしたのでした。

(両親には、いろいろな被害の状況を見るのもちょっと負担が大きいと
思ったので、別棟のお土産ものを置いてあるショッピングコーナーで
いろいろ見ていてもらうことにしました。淡路たまねぎカレーとか
タコ飯のもと、とか、、。)

阪神淡路大震災のような地震がこの辺では大体1000年周期で
起こっているのだそうで、昔の建物は、大地震と言っても、
竪穴式住居ですから、いくら震度7とか8とか揺れても
大した被害はなかったようです。

この野島はもともと地層の異なる部分があって、その断層が
今回の地震でも大きな変化をもたらしました。
その大きな地層のずれの部分にそのまま建物でカバーをし、
保存したのがこの記念館です。

ここがその入り口です。
Nojima2

入り口にはこういう表示があります。

Nojima3

入るとすぐに阪神高速の橋脚崩壊のモニュメントがあります。
この下の道、(もちろん地震のもっともっと前ですが)1月の寒い夜
友達と一緒に歩いて通ったことがあります。地震が起こって
高速道路の橋脚が軒並み折れて道路が崩落したのを見た時
やはり、あ、あそこや、と思ってずいぶんショックを受けました。

Nojima4

↓下の写真手画面の下半分に黒っぽいアスファルトの部分がありますが
ここは道路だったところです。地震当時のまま保存されています。
一番手前の三角形の裂け目から手前が、地震でも変化しなかった
道路部分です。ですからそこから向こうが地盤の隆起・移動で
ねじれてしまって、ぐちゃぐちゃになっているのです。

あの数秒間の地震の揺れの間に、地層の異なる部分のうち
粘土層の部分が隆起して、さらにその隆起した部分が南に移動したのです。
繰り返しますが、わずか数秒の間に、です。

奥のほうに土地の段差がはっきり写っていますが、
下のほうがもともとの高さで、左のほうの
高くなっているのが、地震で隆起した部分、ということです。

Nojima5

それぞれ青とオレンジ色の丸い標識がありますが、手前の青と
オレンジ色がもともとの高さ、場所だったところで、地震で
土地が持ち上がり、さらに右にずれて、後ろ側の青とオレンジ色の
位置になってしまった、ということです。
Nojima6

段差ができたところを縦に堀り下げたのがこの写真です。
右側は流れやすい砂の層。左側は粘土層。この土質の違いが
断層を生じさせる原因になった、とそこにいた案内係りの方が
教えてくれました。
これほどまでにはっきりと土質が異なっていれば、そりゃ
上のような変化だって起こるよなぁ、と思います。
Nojima7

この後、外に出ました。
神戸市の長田にあって地震で残った倉庫の壁が
震災のモニュメントとして移築保存されています。

Nagata


たまたま断層の上に建てられていた住宅が
メモリアルハウスとして保存されているのを見ました。
その建物は鉄筋コンクリートの建物で、基礎も
強固に作ってあったので、家そのものに大きな損傷は
なかったのですが、それでも震度7ですからね。
(たくさん写真を撮ったのですが、他にも見学者が
たくさんいて、そうした人の顔とか姿が至近距離で写って
いたので、ごめんなさい。割愛します。)
それから、その阪神淡路大震災の揺れを体験できる
建物に行きました。 案内のおねいさんがどうぞ、
と言ったので、その地震体験装置に座ったのですが、、
しばらくすると、もうジェットコースターに乗っているかの
ように身体を揺すられ、がくがくと大きな衝撃を何度も
受けました。 
あの装置は、地震の揺れを体験できます、と、
気持ちの上でもちゃんと予告があって、自分も
身構えて、そのうえで、、ですからねぇ、、。

実際の地震なんて、いつ何時、どんな揺れに
襲われるやら想像がつきません。
いきなりジェットコースターというのか、
田舎の悪路を走るバスのような烈しい揺れと衝撃が、
というのは、たとえようのない恐ろしいものだった
と改めて思いました。加えて、その揺れで自分の
周囲が崩壊してきたり、もしくは、その場から投げ出される
ということもあるわけで、、。事前に、揺れる体験をする、
という意識があっても、実際経験してみた後は
恐かった、の一言でした。  
Nojima8

これがその建物の外観です。
Nojima9

体験装置から降りた後、しばらくまだ足ががくがくしていましたが
両親も待っていると思うので、別館のおみやげ物売り場のほうへ
いきました。
見ると、カフェコーナーであたたかそうなオニオンスープ
(玉ねぎは淡路島の特産)を二人で飲んでいました。


やはりここに来てよかった、と思いました。
月並みな言葉になってしまうのですが、
東日本大震災も、阪神淡路大震災もやはり決して
過去のことにしてしまうのではなく、ずっとずっと
これからも注目し続けていかなければ、と
改めて強く感じました。

11時になりましたが、1時くらいには実家の街に着くので
実家の街で昼かなぁ、と言いながら出発です。
北淡ICから再び本四高速に乗ります。
淡路島を40分で抜けて、大鳴門橋を一気に渡って再び
四国に戻ってきました。
鳴門で本四高速はおしまいで、ここから高松道になるのですが、、

あら。また。
またETCのバーが開かないのです。
やはりさっきのように、スピーカーから
ご指示がありました。「ちょっと待ってください。」

そりゃ、バーが開かんのやから待つしかないやろ、
と思ったりしましたが、、
「今、係りがそちらに向かっています。」

で、係りの方が来られました。
「どうしてバーが開かないのですか? 北淡ICから
乗ったときには、ちゃんと開いて乗れたのに。」
「ETCの装置が、この車の信号を認識しなかったからです。」

そりゃそうだと思います。認識しなかったからこそ
機械は車はいない、と解釈して、バーを動かす、
ということにはならなかったのだろうと思います。

「私は、毎週、四国の高速道路を走りますから
年間240回、高速道路を使っています。
ここ何年もこんなことは一切なかったのです。
それが今回立て続けに2回も、、です。
さっきも布施畑から本四高速に乗るときに
バーが開きませんでした。で、今回もです。
どうしてこんなことが起こるのですか? 
そっちの機械に問題はないですか? 」

と、訊くと変な答えを本四高速の人はしました。
「本四高速のETCの読み取り装置は、NEC製なんです。
四国の高速道路のETCは三菱でなんです。
この車のは、、三菱ですね、、。信号の送受信について
何らかの認識不適合があったのだと思います。」


確かにそれは事実としてはそうです。だってNECの機械が
読み取らなかったわけですから。

でも、それは大問題ですよ。
車戴機の会社によって、例えばパナソニックの機械は受信するけど
三菱はダメ、って、そんなのETCの装置に絶対あってはいけない
はずでしょうに? 何のためのETCなんでしょうね。

通常に販売されている機種は、必ずどこのゲートでも
正常に通過できるようになっているはず、ですよね。
それが会社によって、これは読み取りますが、
そっちの会社のものは読み取りません、って
こんな差があったのでは、お話になりません。
アホか、って思いました。

ここで本四高速の人に文句を言っても埒があかないので
とりあえず、また通行カードをもらって、出るときにETCの
カードとともに出す、ということになりました。
とりあえず、実家に戻ったら、ディーラーに行って
車戴機を再セットアップしてもらってください、という
ことでした。

何だよーと思いながら、とにかく40分ほど走って、
高速を降りて戻ってきました。

結局その日はディーラーに行けず、ご指示の
再セットアップもしなかったのですが、
それでも、一旦帰って、晩に実家の街から
仕事場の街に移動した時に再び高速に
乗りましたが、正常にバーは開き、
降りたときにも正常にバーが開いて、
全然問題はありませんでした。

その後で、本四高速のお客様相談窓口に
メールを送って一体これはどうなっているのだ、
と訊いたのですが、結局のところ、
原因はよくわからない、とのこと。

別の日にETCのバーが作動しない、っていうのを
調べてみましたら、何と一ヶ月に4000件もの作動しない
事例があるんだとか。4000件ですよ。 恐いです。
謙介なんか、3時間で2回でしたからね。

そんな誤作動しまくりの機械を使え使え、って
本当にいい加減の極致やないか、
と改めて思ったのでした。

なんだか最後はETCの文句になってしまいましたが、
(だって、そんないい加減な機械恐いんだもん。)
でも両親も楽しかったみたいですし、、。
仕事場の街から実家までが170キロ。
実家から京都までが300キロ。
京都市内と淡路島のうろうろの3日間で
合計1000キロの旅でしたが、
思ったほど身体もしんどくなくて、行って帰ってくることができました。


と、いうことで今回の旅のご報告はこれでおしまいです。
いつものように長い長いご報告になりましたが、
最後までお読みくださいましてどうもありがとうございました。

(今日聴いた音楽 Someday My Prince Will Come
ピアノ演奏 ビル・エヴァンズ そんなねぇ、、
 いつか王子様が、だってさ。あはははは。
 アルバム Portrait in Jazz から)


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Comments

ETCにはかなり邪魔されたようですね(苦笑)。
メーカー依存がまかり通るなら、全国展開できなくなると分かっているのでしょうが、きっと現場での逃げ口上なのかもしれませんね。
同じメーカーだったら「送受信機の不具合かETCカードの磁器不良かもしれません」と言われそうです。
僕は年に1~2回しかETCを使わないので、無駄な器械になっています(+_+;)。

阪神淡路大震災からもうすぐ20年なのですね。
TVに釘付けになり、午前中に数十人だった犠牲者が、数日後にはどんどん増えてビックリしました。
今とは違い、情報がほとんど入ってこず、中継ヘリからの映像だけでしたから。
東日本大震災の場合は一般人からの映像も多数できたので、現場の状況がその瞬間から記録に残っています。
これらを如何に活かして防災に役立てるかですが、謙介さんのように、個人が意識を高めていくことが一番大切だと思います。
「役所は何してる」「消防隊はどうした」と叫ぶだけでは何も起きないのですよね。
この経験は地震ではありませんが、昨年の台風でありました。
実家の門塀が飛ばされたのですが、レスキューに電話をしても「自分でどうにかして」と言われたと両親は不満そうでした。
風速60m/sの風が吹き、小さな車が横転させられたり、駐車中の車が押されて一塊になったぐらいの暴風でした。
レスキュー隊は人命に関わっている部分に出動または待機していましたし、屋根や門、樹木が飛ばされるなんて電話は何百とあったはずです。
個人の範囲の“危機”までお役所任せにしようとするのは日本独特だと思いますし、やはり平和呆けというか平時呆けの状態なのかなと感じました。
防災は個人のレベルから、と肝に銘じておきたいと思います。

地震体験車、一度の試してみたいのですが、僕は根っからの怖がりなのでチビってしまいそうです(>_<)。

Posted by: タウリ | 13. 02. 18 at 오전 8:58

---タウリさん
ETCのバーの作動異常についてですが、
カードが汚れていたりすると、異常を起こす
と言われて、時々拭いたりしていましたし、

ETCに入る前、出る前には、カードが
しっかり入っているかどうか再確認もしています。(ICによっては、警報機がついていて、
入り方が不確実だと、警報が鳴るところもあります)
 
ということで、以前にもバーが開かなかったことに遭遇して以来、結構神経質に確認してきていたのです。なので、こういうことが起こると、本当に腹立たしい気持ちに
なります。あれからディーラーに行って
もちろん再セットアップしてもらっています。セットアップのし直しからもう高速道路を4回走行していますが、今のところは何の問題もなく通過できています。

 つい先日も小惑星が落下してくる、というような文字通りの天災がありましたが、地震については、もう地震予測がどうのこうの、と言う前に、日本に住んでいる限り
は、100パーセント地震に遭遇する、と
思っていたほうがいいのでしょうね。阪神淡路の大地震も、東日本の大地震も、決して忘れたりすることなく、そこで得た経験とか教訓はいつまでも継いで絶対に忘れてはならない、と思いました。そういうことも気持ちもあったので、ちょっと寄り道をしてここに行ったのです。やはり常日頃から災害についての備えをしておく、ということは必要なことだな、と再認識しました。やはり自分の身は自分で守る、というのが基本ですね。全てはそこからスタートするものだ、と思います。
地震体験については、自分の体の中で、「来るぞ、試すぞ。」という予測ができていての体験でしたが、それでも本当に予想を上回る衝撃がありました。

Posted by: 謙介 | 13. 02. 18 at 오후 12:25

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