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13. 02. 14

往復1000キロ・京都へ(8)

はなかんのお風呂、部屋にもバスがあったのですが
謙介はいつも大浴場に入りにいきました。
朝も6時から9時までは大浴場が使えるので、
朝食前の一風呂、でのんびりできました。
2日目の朝ごはんはこんな感じです。
Asagohan

小鍋の中は湯豆腐でした。

おいしくいただいた後、荷物の点検をして出発です。
暖かかった昨日より寒くなる、ということでしたが
まだ十分暖かい感じがしました。

京都を出るとき、って、やはりちょっと複雑な気持ちに
なるんですよね。四国のほうに移ってしまって
結構な年月が経つのに、やはり心の
何パーセントかは、この街にあって、、、。
なじみのお店とか行っても、自然に話ができたりするのです。
右京区木辻南町を出た頃はまだうす曇だったのですが
どんどん天気は良くなって、うす雲も取れてきました。

車を東に走らせ、西大路に出た後、十条まで下がることに
しました。日曜なので堀川通りを下って、、ということも
考えましたが、西大路のほうがすぐだったので
そうすることにしました。
十条まで出て、1号線との交差点で右折して南に。
この道で行くと右京区の花園から京都南ICまで
30分弱で行けました。

名神に乗って、後は来たときの逆です。
今日は天気がよいので愛宕山もきれいに見えました。
そのきれいに見える愛宕山が、、ですから
京都を離れる寂しさになったりするんですけどね、、。

冬は雪が降ったり、時雨れたりするので
なかなか愛宕山がすっきり見えることは少ないのですが、、。
吹田ジャンクションから中国道に。
名神はまだ車の量が少なかったのですが、
中国道になると俄然、通行量が増えた感じで
走りにくくなりました。 それでも一定の速度で行くことはできましたが。
西宮山口から阪神高速に入り、布施畑で本四高速に乗るのですが、
そこで、びっくりするようなことが起こりました。

高速の入り口のETCのバーが開かなかったのです。
幸いここは通行量が少ないところだったのでよかったのですが、、。
バーが開かない以上、停まって待つしかありません。
突然、大きな声がスピーカーから聞こえてきて
「お待ちください。係りのものが今、行っています。」

ややあって、その係りの人が来ました。
「バーが開かないのはどうしてでしょう? 」
と訊いてみたのですが、「分かりません。」
なので、「このチケットで降りるときに精算してください。」
と言われて、通常のチケットを渡されました。

ETCのバーが開かなかった、ということは、過去にも何度か経験が
ありました。もう6年くらい前に1度。新居浜から乗ろうとしたときに、
やはりバーが開かなかった経験があります。 

でも、ここ最近は全部ちゃんと開きましたし、
京都に行くときも、同じコースを通って何の支障もなく行けたのです。
まぁ過去にもそうしたことがありましたから、
まぁそういうこともあるか、と思ったのでしたが。


途中淡路島に渡ってすぐの淡路サービスエリアでちょっと休憩しました。

Awajisa
観覧車もあったりで、サービスエリア、というより、神戸からちょっと
足を伸ばしてドライブにいかがっすか? という本四高速の
人寄せ策なんでしょうね。 一応そういうデート客向けに
眺めのよい一等地の場所にわざわざスタバまで誘致してあります。

ここは明石海峡に面したサービスエリアで夜景もきれいなのですが
昼間もいい眺めの場所です。

Akashioohashi

ここが明石海峡で、この海峡のタコが海峡の流れで鍛えられて
歯ごたえがあっておいしいのです。それで明石焼ができたり
しました。 何せ「明石のタコは」有名ですよね。(笑)


ちょっと休憩をして、そのままここの淡路ICで降りました。
出口では、布施畑からの券とETCのカードを渡します。
ETCの出口があるのに、有人の出口から出ないと
いけない、って、、でもまぁETC通過と同じ料金割引を
しています、ということでした。

この淡路ICのそばの岩屋という町に父方の親戚がありまして
そこに寄る、ということだったのです。
ここのおばちゃんももう80をこえて、ちょっと四国に遊びに来る
ということもなかなかできません。
おみやげを渡したり、話をしたり、しました。
おっちゃんは東京で役者をしています。
テレビを見ていたら、CMとかドラマとか映画で出てくるのですが
その顔を見るたびに
まったくねぇ、少しはおっちゃんにでも似ていたら
もうちょっと謙介の人生も変わっていたか、と。
え? そんなもの変わるはずないやないか、って?
あはははは。そうでしょうね。たぶん。

おっちゃん、「お彼岸やお盆にはお墓参りに帰ってくるけどね。」とのことでした。

名残惜しいのですが、また来ます、と言ってお別れをして
島の道をうねうねとしばらく走ります。

淡路島は島では日本一面積が広いですし、
以前には島の中を電車が走っていたくらいですから
あんまり島、という感じもしません。 言われなければ
本州とあんまり変わりもないと思います。

普通にバスが走っていて、広い道があって、信号があって
コンビニもあって、、ですし、、。

ただよく注意して見ていると、このあたりは、
古い家というのがあんまりありません。
古い家はあっても、全て屋根だけはみんな新しいものです。
それから、更地の場所がやはり目立ちます。

どうしてだか分かりますか?

北淡ICから6キロほど海岸線に沿って走ると
風力発電の風車が見えてきました。
ここで車をとめます。
着いたのがここです。

Nojima1
淡路島の北端のこの辺が、阪神淡路大震災の震源付近
(実際はここからもうちょっと東のさっきのおばちゃんの家近く)
だったのです。


今日で終わるつもりだったのですが、もうちょっと続きがあるので
明日も続けることにしました。よろしかったらおつきあいください。


え? 情人節? それ佃煮にしたらおいしい?

(今日聴いた曲 カモメの翔んだ日 歌 渡辺真知子
 別に1978年に拘っているつもりはないん、、いや、
少しありますかね(笑) 1978年というとキャンディーズの
解散の年なんですが、それがちょうど3月の年度終わり、
という感じで、むしろ1977年のほうに入ってしまうんですよ。
謙介の中の1978年の曲のはじめ、っていうとこっちに
なりますね。)

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Comments

ETCが開かないとビックリしますね。
開くものだと思って車を走らせていますから、後続車もそのつもりで接近してきてます。
本土のETCはバーが開くのが遅い気がします。
鹿児島での経験ですが、何度もバーにぶつかりそうになりました。沖縄はパッと開きます。
せっかくETCが付いているのに、一般料金所に並ぶなんて納得がいきませんね。
もしかしたらETCの送受信部分か配線が疲労しているのかもしれませんよ。
僕の友人はETCカードの期限切れを忘れて入り、止められたことがあったそうです(しかも2回も)。

淡路島といえばかの震災ですね。
震源のそば、真上というのはどのような状況だったのでしょう。
数年後に三宮に行った際に、まだ屋根にブルーシートがかけられ、白いペンキで数字が書かれた所を何ヶ所も見ました。
さすがに道路をふさいでいたビルは直ぐに撤去されたようですが、個人の住宅は相当時間がかかったようですね。
あの局所的な災害でも10年以上の時間がかかったといいますから、東日本大震災の復興がいかに大変かを考えてしまいます。
以前から災害列島という表現が使われてきましたが、地球のサイクルで本格的にその時期に入ってしまったように思います。

朝食、漬け物メインですね。お豆腐が好きなので、朝からいただけるのは嬉しいです。また、旅に出たくなりますよ(^^)。

Posted by: タウリ | 13. 02. 15 at 오전 9:24

---タウリさん
こちらのETCは、わざと開閉を遅らせています、と表示が出ています。というのが、一応ETCのゲートの通過速度が20キロ、と決まっているのですが、そこを減速しないで突っ込んでくるヤツが後を絶たない、のだそうで。それで前の車と接触しそうになったり、前の車に重なるように出てしまうと、料金が課金されなくてタダで走行したのと同じになってしまいます。実際、そうやって前の車にくっつくようにゲートを何度も出て、料金をごまかして利用していた、という連中が時々逮捕されています。
それから技術的にはETCのゲートを通るときに、車戴器とゲートの間で7回くらい通信のやり取りが行われるそうなのですが、高速で走るとそれが十分にできなくてゲートが開かない、ゲートに衝突、ということもあるそうで、危険だと言っています。
 そういうことで、安全面でも課金の上でも良くないので、ゆっくり走行させようとして、バーの開きを遅くしてあります、と掲示が出ていました。阪神淡路大震災、淡路島が震源だったのですが、比較的死者の数とかが神戸に比べて少なかった(地域共同体が機能していたので誰それさんがいない、となったら、すぐにみんなで探して救出できた)ので、扱いが神戸に比べてどうしても小さかったのです。神戸は高速道路の高架橋が倒れたり、走行中の電車が脱線したり、一地区丸ごと焼けてしまったり、とご存知のように派手な被害が大きくて、報道のほうも、こんな被害が出ている、と報道するので、注目されやすかった、ということがあります。
 淡路島ですが、あれから18年になって、パッと見には、地震の被害の跡、を探すのはもう難しい、という感じです。でも、地域に入って、いろいろと話を伺ってみると、まだまだいろいろな面で被害に遭われた方々の補償とかサポートが要るなぁ、と感じました。

Posted by: 謙介 | 13. 02. 15 at 오후 1:57

もう3ヶ月、胃がよわりっぱなしで、旅館の和食がやたらと恋しいけど、それはそれで、堪えるのかな、なんて思ってもみたりで。
謙介さんは本当にいろいろな人と縁、大切にしてきたんですね。文章からにじみ出てて、温かくなります。

『かもめが翔んだ日』高校生のとき、自転車通学で、からっ風にどうせ消されるからと、毎日、いろんな歌を大声て歌ってました。この歌の出だし、大好きでした。
毎回、音楽への反応ばかりですみません〜^^;懐かしい曲ばかりでついつい…

Posted by: takenii | 13. 02. 17 at 오전 6:34

---takeniiさん
きっと謙介の中の話好き、という部分と京都の「おかん」の話好き、というのが呼応して、あっちこっちで話をするのだと思います。京都も街中は別として、右京区なんて、あまり人の移動がありません。ですから、昔住んでいた人、というのが、そのままだったりします。とりあえず今は、まだこんな感じで、あっちこっち話のできる人がいるのですが、さて後5年とか10年経ったら、どうなっているだろうか、とちょっと考えるときがあります。
 胃腸のこと、ブログを拝見していますが、大丈夫でしょうか。そうでなくても、だんだんと若い頃とは身体の状況も違ってきますし、ちょっとしたことで不調になったりしがちです。本当にコンディションを維持するのって、年々難しくなっているように思えてしかたありません。
 謙介の中では、書いたのですが、キャンディーズより渡辺真知子のほうがなんだかインパクトが強く残っています。通勤の車の中でたまにこんなのも歌っているのですが、驚くことに歌詞をよどみなく全部覚えていて歌えるのです。最近の歌はちっとも覚えないのに、、。

Posted by: 謙介 | 13. 02. 17 at 오후 3:44

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