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13. 01. 28

立ち話する男子

先週、防衛省の広報誌を見ていたら
マツコデラック○さんとロンドン五輪の金メダリストの
レスリングの米満さんの対談をしていました。
いきなりページをめくったら、
マツコさんのご尊顔がうわーっと出てきて、
まぁほら、ただでさえインパクト大の方が
しかも雑誌が防衛省の広報誌でしたもんで、
ちょっとびっくりいたしました。
まぁ米満さんのほうは防衛省の職員ですから
自分のところの広報誌に出る、というのは
普通のことですけどね。マツコさんが出るか、
とその人選に驚きましたです。

今日は対談というのか、
「話」ということがテーマなんですけど、、。

謙介、ちょうど仕事帰りの時間が
高校生の部活帰りの連中の時間と重なるのです。
いくら田舎で子どもの数も少ない、とはいいながらも
一応県庁所在地の街ですから、やはり結構な数の高校生は
います。ちょうど帰る経路で、あの「がんばっていきまっしょい」の
モデルの高校の前を通ったりします。

それで、交差点とか、横断歩道のところをよく見てたら、
結構おもしろいことに気づくのです。
交差点の横断歩道のところに高校生がいる、というのは
別に不思議でもなんでもありません、が。

その交差点の前をたまたま、クリーニング屋に寄るために通り
それから逆方向にマーケットに行くために通り、
家に帰ろうとしてまた違った方向に行くために3回
30分くらいの間にそこを3度通ったわけですが、同じ高校生2人
横断歩道の手前のところで、ずーっと自転車にまたがったまま
立ち話してるんですよ。

ずーっと立ち話する高校生。
そう思って、注意してみてたら、そうやって、高校生が
この寒い中、自転車にまたがったまま、じーっとして
2人で話してるのを見ることが結構あります。

これをお読みのみなさんは、ご自身が高校生の時、そんな経験は
なかったでしょうか?

俺、そういうのあったんですよ。
高校の帰り、必ず途中で立ち寄る自販機、っていうのがあってね。
ジュースを飲みながら、そこで延々と友達と話をしてた。
話に行くだけのために友達の家に行ったり、とか。
一体何をそう延々と話すことがあったのか、って
もう今にしては忘れてしまっているのだけど、、。

そのときの延々と話をしていた友達、というのが
実は去年の年末に陳さん中華を食べに行った友達だったり
するんですけどね。

謙介ね、大学の時だって、結構そういうのあったんです。
友達のアパートの部屋の前で
延々と立ち話したり、友達の部屋に行って延々と
話し込むっていうの。晩ご飯を食べて、延々と話して
気がついたら、夜が明けていた、というふうな。(笑)

だからああいう立ち話をする高校生、っていうのを
見てたら、自分もそういう経験があるので、あ、分かる分かる、とか
思ってしまいまして、、。

謙介の高校生活って、本当に嫌で嫌でたまらないような
生活であったのだけど、、。学校帰りにああやって
友達と延々と話をしていたことだけが本当に唯一の
楽しい思い出ですねぇ。

ひところコンビニの前でしゃがんで
たむろっているやつらが邪魔、と言われたりしたことが
ありましたよね。 まぁねぇ、邪魔になるようなところで
話をしている、っていうのはちょっと困りますが
あれくらいの年齢の子が同性の友達と
延々と話をする、とか集まる、てちうのはよくあることだったりします。

で、大学に行って、青年心理学と発達心理学を習ったときに
実は、高校の時にああいうふうに同じ年の同じ性別の人間と
話をする、ということは、その人の心の成長、という面で
必要な経験であって、それは大きな意味のあることなのだ、と
いうことを習って、ふーん。そういうものなん? って思いました。

そんな学問的な意味付けなんて知らなくて、
こっちはただ単にその話がおもしろかったから、
なんですけどね。


なので、横断歩道のところで、この寒さにもめげず
延々と語らっている高校生男子を見ると、
あの年頃のにいちゃんたちって、なんだか
熱く語りたいことがあるんやなぁ、と思うし、
そういう友達関係というのか、こうした対人関係のレッスン
ということが、その人の心の成長の過程として重要なのだ、と
心理学で習ったことを思い出して、
ああ、やってるやってる、と思う謙介なのでありました。


(今日聴いた音楽 吉田美奈子歌 駆けてきたたそがれ
 アルバム トワイライトゾーン 所収 1977年
 吉田さんのアルバムの中で、このアルバムが一番好きです。
 恋は流星 も入っているし、、。)


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Comments

高校生って、今思えば特別な時間ですよね。
小中と異なり、また大学生とも異なる、まさに“青”い時代だと思います。
毎朝通勤時に自転車をこぐ可愛い高校生とすれ違うのですが、活き活きとしてFreshな感じが溢れています。

意味も無い話を延々としていましたね。
遊びやスポーツでコミュニケーションをとっていた小中と違い、言葉でお互いに接し合う初めての時間かもしれません。
心理学で僕も同じような講義を聞いた覚えがあります。
社会性が増してくるのもこの頃ですからね。

職場近くの歩道はそこそこ広く、近くに高校と中学校があるため、歩いている学生さんが多いです。
JKは2~3人で歩いていることが多いのですが、歩道いっぱいに広がっています。
すれ違っても除けないのですよ。
あの精神力というか非常識さは、オバタリアン予備軍と言えそうです(オバタリアンって廃語?)
DKやDCは広がって歩いていても、誰かとすれ違う際には路をあけてくれます。
良い子たちです(主観入りすぎ?笑)

PS)励ましのお言葉、とても嬉しかったです。有り難うございました。

Posted by: タウリ | 13. 01. 29 AM 11:22

---タウリさん
 お身体の調子はいかがでしょう?
何よりもましてそれが心配です。 たまたまいろいろと嫌なことがあったり、うまくいかないことが重なったりすると、ちょっとしたことが契機になって落ち込んでしまったり、どうしようもない気分にとらわれてしまうこと、って俺もよくあります。
 確かに浮世の義理で、どうしてもしないといけないこともあるとは思うのですが、まずは心も身体も回復されることが一番だと思います。どうぞ、ご自身の体調を優先してくださいね。
 そうなんです。こないだそれを発見してから、あちこち見てみると、(おっさんのいやらしい思惑は抜きで。笑)結構帰宅途中の交差点とか、学校近くの店の自販機の前とかで語らっている高校生を見つけるのです。本当にまぁ何をあんなに話すことがあるものよ、と、そんな時期をはるかに過ぎてしまった人間は思うのですが、ああいう時間は、本人の中でもいい思い出として残っていくのでしょうね。 謙介は決してあの時代に戻りたい、とは思いませんが、
あんなふうに話ができたピュア(あははは)な気持ちはうらやましいと思います。

Posted by: 謙介 | 13. 01. 29 AM 11:51

懐かしいですね。
僕は、放課後の教室とかでずーっと喋ったりしてました。
部室で意味も無く話したり。
ちょうど今頃の寒空の下でも、缶コーヒー一杯でずっとしゃべったり…。
僕の高校時代、今につながる暗黒時代の始まりでしたが、そんな毎日のなかで支えにしていたのかもしれません。
何か、自分の考えや意見を出して、それに反応してくれる人がいて、そして気持ちを同期していくっていう作業だったのでしょうかね。
それが楽しかったのかも。
何も打算も企みも無く、それこそピュアなひと時。
大人の世界では、確かになかなか難しいことかもしれません…。

Posted by: まさぜっと | 13. 01. 29 PM 10:37

---まさぜっとさん
 まさぜっとさんもそうでしたか。
本当に缶コーヒー一本でずーっと話ができたり、時間を考えることもなくて、いろいろな話ができましたよね。
 まさぜっとさんもおっしゃるように、大人になってからだといろいろと仕事の関係で主義主張もあるでしょうし、、なかなかストレートに言うことがためらわれる、というところもあるでしょうし、、欲得を離れたところでの付き合い、というのも難しいのかもしれません。
 事実就職してからいろいろな人と知り合いになりはしましたが、仕事を離れて、とか、担当が変わっても、付き合いのある人がいるか、と言えば、全然そんな人はいません。大学の時の友達なら卒業してからもうウン十年と経過するのに、いまだに友人づきあいができています。やはりそういう利害関係なしに話もできたり、それ以外のやり取りもあったからではないでしょうか。
 高校生が語りあっているのを見て、ふと懐かしく、うらやましく思いました。
 

Posted by: 謙介 | 13. 01. 29 PM 10:58

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