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12. 12. 28

歌うも舞うも法の声

臨済宗で座禅会に行ったとか、どこかのお寺の
お師家さんについて禅を学んだ人であれば、
今日のタイトルはあー、ってすぐに気づいて
くださるのではないか、と思います。

今月の芸術新潮、白隠さんの大特集でした。
Geishin


謙介の場合は白隠さんといえば、絵画ではなくて、
座禅の前に般若心経とともに唱和する
「白隠禅師座禅和讃」(はくいんぜんじざぜんわさん)
がやはりすぐに思い浮かぶのです。

白隠さんの座禅和讃というのは、こんな↓ものです。

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻(りくしゅりんね)の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死(しょうじ)を離るべき

夫れ摩訶衍(まかえん)の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜(しょはらみつ) 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜(さんたんずいき)する人は 福を得る事限りなし

況や自ら回向して 直に自性を証すれば
自性即ち無性にて 既に戯論(けろん)を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として 歌うも舞うも法(のり)の声
三昧無礙(さんまいむげ)の空ひろく 四智円明(しちえんみょう)の月さえん
この時何をか求むべき 寂滅現前(じゃくめつげんぜん)するゆえに
当所即ち蓮華国 この身即ち仏なり 

もう座禅のたびに言うことになっているので、
いい加減覚えてしまいました。


謙介、特に好きなのが、

 かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
 讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし

の部分でした。

讃嘆随喜、ってもうなんだかすんごく大げさな表現ですが
そこが却って面白い感じがします。

その分、禅の教えに帰依してごらん、こんなにいいことずくめ
じゃぞ、って言っている、白隠さんの思いが
よく表れているように思えるのです。
ストレートに相手の心に入っていく
本当に直球の表現だなぁ、と思います。

あと、好きなのは
 無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として 歌うも舞うも法の声

の部分ですね。「歌うも舞うも」っていうところが特に好きです。

なんだかおかしくなって笑えそうに
なってしまうんですよ。


白隠さんの生涯とか、どんな人となりであったか、とか
どんな絵を残したか、というようなことについては
芸術新潮を見てくださいね。
ただ、謙介、白隠さんで思うのは
白隠さんって、きっとどんなときにもぐいぐいと
直球で押していく、力とスタミナのあったお坊さん
だったのだろう、とは思います。
お坊さんにもいろいろなタイプがあって
繊細で、鋭敏な感覚のお坊さんもいれば
どんどん人の前に出て行って、その圧倒的な
パワーで、そこいらじゅうの人をひきつけるような
力のあった人もいます。
もちろん白隠さんは後のほうの「圧倒的な力で
ぐいぐいと人をとらえて、教化していく、というお坊さんだったのでは
と思うのです。

この座禅和讃の詞もそうですし、白隠さんの絵画もみな
そうですが、まったくためらいのないストレートな
線で、大胆に、しかも力強いタッチで絵が描かれています。
そうした力強さ、ダイナミックさ、というのが
白隠さんを他のお坊さんと違った人にしていて
臨済禅の中でも、より大きな存在たらしめているのでは
ないか、と思うのです。

この白隠さんの特集の監修って誰がしているのか、と
思って見たら、ヨシザワさんでした。なーんだ。
りょうこさんはおげんきどすか?

白隠については、ヨシザワさんが何冊か
出しているので、それらがいい手引きになるのでは、
と思います。

謙介は山田無文老師と大森曹玄老師について
それぞれ座禅の手ほどきを受けました。
どちらも本当に厳しくそしてあたたかい老師でしたが、、
個人的にはやはり大森老師のほうがなじみがあります。

学校を終えて就職が決まって、
いよいよ京都を離れることになった
最後の日、大森老師からいただいた言葉は今も
時々思い出して、自分の中のひとつの指針に
なっています。

そんなことを考えていたら自然に今年1年を
自分なりに振り返っていました。

今年1年、特に今年の後半は
自分の内面、特に考え方、という部分で大きな変化が
あった年となりました。

今までの20年くらいの間、やってきた自分なりの流儀と
いうものが、そろそろ変わらなければいけない、という
時期に差しかかった、ということです。
前の変化のときは、自分自身の内面の変化、という
ことが大きかったのですが、
今回は周囲の状況の大きな変化、ということがありました。

そんな周囲の変化に合わせて自分も変わっていかざるを
得ない、ということ。
変化の前兆はもう2、3年前からあったのですが
今年になって、それがはっきりと変化をしないと
いけない、ということが分かった時期となりました。

ただ、その変化の方向とか、どう転がるか、は
まだわかりません。周囲の状況がもっと
変化をしたら、それに合わせて自分もまた変わらざるを
得ない、でしょうし、、。

今までの問題であれば、自分の中で、考えて
これ、という答えを出せばそれでよかったのですが
そういう自分ひとりの問題ではないのです。

自分以外の人の意見とか特徴を判断しながら、
どうするのが一番良いのか、その答えを出して
行かなければなりません。
事は自分の仕事だけ、自分の持ち分だけのことでは
ありません。自分以外の他者との調整を行って
そうしてそのうえで最善の方法を見つけなければなりません。
全く考えの異なる何人もの人がいて、その調整を行わないと
いけないのです。1人だったらどんなに楽か。
他者がいるのって、本当に難しい。

その答えは簡単には出ません。
場合によったら感情がこじれてしまって
にっちもさっちもいかなくなる、ということだって起きます。
そのとき、どうするのがよいのか。
どうすればよいのか。
しかも問題は一つではありません。似た問題が
同時平行で起こり、解決は簡単にできるものでもないのです。

だから難しい。

今までにはなかったそういうことが次
第に問われるようになってきた、ということです。
これが今年の謙介の中での大きな変化でした。

変わって行く部分、変わらない部分
それぞれ持ちながら、また新しい年へと
移っていくのでしょう。

来年が本当に
これを読んでくださっているみなさんにとって
平安な年でありますように。(謙介自身にも
そういう年であって欲しいのですが、、。)
今年1年、本当にありがとうございました。


どうぞよいお年をお迎えください。


(今日聴いた音楽 そして僕は途方に暮れる
 ロングバージョン
 大澤誉志幸 1984 音源は12インチシングルから)
 

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