これからのこと
ここのところ、旅行が多いね、と
同僚に言われた。
だって、、、
行けるときに行っておきたいのだ。
病院に入ってベッドに寝たきりの生活になってから
あそこに行きたかった、あれを見たかった
これも見たかった、って、後悔しても
仕方がないし、、。
そう言いたかったけど、この人に言っても
どうなるものでもないし、、と思ったので、
「まぁ最近旅行に行きたい気分だから。」と
答えておいた。
正直なところ病状は悪化の一途で、
こないだの東京旅行前に検査した血液の結果、
ASTは70。(基準範囲は8~40くらい)
ALTは104。(4~45)
ついにALTに至っては100の大台を突破して
しまった。一応100以上が治療開始の目途、
と言われてきたから、その状態に
なってしまっている状況。
確かに今まで悪い悪いと言われつつ、それでも
ASTもALTも45から47,8の間で推移してきていて
悪いなりにそれでも低めで安定していた。
謙介、メディシンコンプライアンスはきっちり守るので
飲み忘れに関しては、1度もない。
飲み忘れがなくて、文字通り薬効甲斐ない状態である
ということは、もう今飲んでいる薬による効果が
望めない状況になってきた、ということなのだろう。
で、さっきも主治医と相談をしてきたのだけど。
今、しきりにテレビのCMで、某外資系製薬会社が
大阪の漫才師使って、「肝炎の治療をするなら今」って
言っているCMを見ますね、という話になった。
「あれ、本当ですか? 」
「うそです。少なくとも肝臓の専門医は今治療すべきではない、
と言って先延ばしにしています。」
「じゃあ、どうしてあんなことを?」
「あの会社は、肝臓病の治療薬を専門に開発販売している会社でね。
一つは、だから肝臓病の患者に使ってもらったら当然薬が
売れるでしょ。」
「そりゃそうですね。」
「だけど、あの薬、何度も言ってきたように、用法が人間の生活を
無視したような用法の薬だし、副作用がきついから、学会も
肝臓専門医も、患者には薦めていないんですよ。」
そりゃそうだろう。24時間をきっちり8時間に分けて
8時間おきに食事をして飲まないといけない
薬なんて、普通に働いている人間には無理だ。
だって朝食を朝の3時半に食べて、朝の4時に薬を飲んだら
お昼は11時30分にご飯を食べて、12時服薬、
晩は7時半にご飯を食べて8時に服薬。
でも、朝の3時半から朝ごはんを食べるのが嫌で
朝ごはんを6時にしたら、必然的にお昼は午後2時で、晩は
10時のお食事。
夜勤の軽食ならいざ知らず、普通の人が午前3時半に
朝食を食べるのか?
こんなふうに人間の生活を無視したような
薬の飲み方をしないといけない上に、何せ3つの薬を
混合して使用するので、副作用も半端でなく出る。
謙介なんか、二つの薬の併用でさえ、階段で2階に
あがることさえできなくなって日常生活に支障が出たのに
もっときつい薬を使い続ける、というのはおそらくできそうに
ない。
「だから薬の売れ行きが悪いんですよ。だけど、会社としては
やはり売って利益を確保しないといけないでしょ。それで
あんなふうに宣伝しているだけでね。
患者さんの身になったら、大抵の肝臓医なら今のあの薬の治療は薦めないし
学会の総意としても、この薬の治療は止めて、もうちょっと待って
さらなる新薬が出てから、改めて薦めるようにしている。」
ということらしい。
でも、ALTの数値が104だからねぇ、、。ウルソを限界いっぱいの
一日9錠使ったら、今度は身体中がかゆくなる副作用が
出るしねぇ、、。
はてさて、話し合いの結果、
もうしばらく状況を見ますか、という
いつもの例によって例のごとくの結論になった。
でも、とりあえず薬は効かなくなった、
次善の治療が開発されるまではあと2、3年。
うーん、果たしてそれまで謙介さん、
持つんでしょうか?
そういうことであれば、先のそのまた先のことなども
いろいろと考えておかないといけないのかなぁ、、
これから確実に歳とともに弱っていくだろう
実家の両親のことも考えないといけないし、、
業績の良くない仕事場の将来のことだってあるし、、
自分のことだけ考えていられたらいい
っていう時期はとっくに終わっていて、、
自分のことよりも他にいろいろな問題が錯綜していて
それが近い将来にどういうふうになっていくのか
ということもなんとなく想像できるし、、。
しかもどれも簡単に答えの出るような問題でもないし。
自分は一体どうしたらいいのか。
先のことを考えたときに
どうしようもなくて、、
ため息しか出てこなかった。
問題を先送りするのが「悪」のように言う人がいるけれども、
即断即決なんてできない問題だってたくさんあるし
いろいろな問題が絡み合っていて、ひとつを直したら
他のバランスが全部狂ってしまってどうにもならなくなることだって
あるのだ。今はまだその状況になっていない、ということもある。
ひとまず送りして、状況がまた変わるのを待って対処する
しか方法のないことだってあるんだよね。
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Comments
数値として表れてしまうと、逃げられない現実を突きつけられてしまい辛いですね。
治療を、と安易に薦められない診療事情もあり、まさに忍耐の日々だと思います。
あのCM、僕も見たことがあります。
注意書きなんか、絶対に読めない瞬間的な表示ですし、そもそもTVで流すものなのかと考えてしまいました。
相談された医師も困ってしまうと思います。
調べてみますと副作用がかなりの頻度のようですし、中等症以上のものも多いようですね。
謙介さんの肝機能がこれ以上悪化せず、border line以下に下がってくれることを願うばかりです。
僕の両親も高齢です。
一人は脳梗塞後遺症があり、いつ再Attackがあるかと気になっています。
家族の高齢化は皆が通過する過程とはいえ、現実味を帯びてくると考え込んでしまいますね。
謙介さんの仰るように、バランスをとって生きていくことが大切で、曖昧模糊としている部分があっても良いし、結論を先延ばしすることがあっても良いのだと思います。
最近常々思うのですが、「今を生きる」ということがとても大切なのだと思います。
その瞬間の質を高められたら後悔することも減るのではないかと思っています。
でも、何にしても難しい課題ですね。
急に寒くなってきていますので、体調を崩されないよう注意なさって下さいね。
Posted by: タウリ | 12. 11. 13 AM 11:22
---タウリさん
おつきあいしにくいような昨日の文章にこうやって励ましの言葉、本当にありがとうございます。あれから冷静になって考えたのですが、朝の3時にご飯を食べないといけないような薬を使用してまで、治療を薦めていない、ということは、まだ少し余裕はあるのだ、と、考えました。 ただ、オフクロが先日、ちょっと転んでしばらく寝ていたりしたので、そうしたこともあったり、このところ数値が48→71→98→104 となんだか採血して検査するたびに良くない方向に転じるばかりですし、、いろいろと考えて、ついため息が出たりした、ということです。 今日明日のことではないにしろ、しかし近い将来、どうなるのかは、なんとなく予測できそうなことでもありますから、やはりそうした予測を考えてつい、いけない方向に考えが行ったりします。なるべく不安がっていても仕方はないので、とりあえず自分にできること、二つ、夜は11時までには寝る。オフクロには週末病院に行って精密検査を受けてもらう、(これが難題) ということをしよう、ということは考えました。
何でも即決がいいように言われますが、果たして即決で行っていいような問題ばかりなのか、と、言えばそうでもありません。ゆっくり時間がかかったとしても状況を見ながら、自然にそうする、というほうがいいことだってあります。
タウリさんのおっしゃったこと、実は大学の時に禅学を習った京都の亀岡のお坊さんからも同じことを教えられました。「即今只今」今を一生懸命生きなさい、と。先のことを考えるより、今この目の前をどうするか、ですね。タウリさんの言葉、本当にそうだと思います。お言葉ありがとうございました。感謝感謝です。
Posted by: 謙介 | 12. 11. 13 PM 3:37
だましだましの先送り,こういうのはありなんじゃないでしょうかねえ・・・iPSを使った画期的な新薬が出ないとも限りませんし。
などと書いてる僕自身だって,(今のところ病とは縁がないものの)いつ事故に巻き込まれて死に直面しないとも限らないわけで。
「死を思え」じゃありませんが,謙介さんの文章は,日頃呑気暮らしをしている自分への警鐘だとも思ってます。
Posted by: Ikuno Hiroshi | 12. 11. 14 AM 12:50
---Ikuno Hiroshiさん
そうですね。世間は先送りとか弥縫策とかいうと、「その場しのぎでいい加減」ということをすぐに言うんですが、俺はそれだって別にいいじゃないか、って思うんです。 話はちょっと遠くに行ってしまうんですが、去年の東日本大震災のあと、病気になったり急に介護が必要になった人がものすごくたくさん出て、今もそんな人が増え続けている、と、聞きました。 それまでは、それぞれの人、Ikunoさんがおっしゃるようにその場しのぎというのか、だましだましうまーくバランスを調整しながらやってきていたのだと思うのです。それがあの大震災でその今までの微妙なバランスの上に成り立っていたことがいっぺんに崩壊してしまった、と思うのです。その結果として介護とか急に体調を崩された方がものすごい数になっている。
物事はいろいろなものがからみあってできていて、決して単純に即断即決なんてできるようなものはなかなかありませんし、早くにできたから、と言ってそれでよかったのか、と、言われたらそうでないかもしれない。 何でもスピーディがいいように言われますが、必ずしもそうではない、と病気になってから思うようになりました。
Posted by: 謙介 | 12. 11. 14 PM 1:15