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12. 11. 22

庭を見に行く (1)

先日、ある方の家の庭園鑑賞会があったので行って来ました。

家の構造の関係で鑑賞会の定員は8名でした。
実は春にもそのお庭鑑賞会があったのですが、
1ヶ月前に係りの方にお伺いしたら、もう定員に
なってしまいました、ごめんなさい。と言われて
その時は参加できなかったのです。
ただ、その時に、「秋も開催しますから、秋の時はぜひ。」
と言われていました。

言われていたのですが謙介の別の会合が
同じ日にありそうで、そっちの日程がなかなか決まらず
(とうとう幹事に直談判して日程を決めてもらった)
何とか決まったので、(もちろんその庭園鑑賞会の
日を外したのは言うまでもない)すっかり遅くなってしまったのでしたが
係りにお伺いしたら、今回はまだ定員になっていません、ということで
今回は参加できたのでした。

その家の近くの郵便局前に1時に集合します。
庭園鑑賞会なので、年齢層高めかと思っていたら
半数の4人が20代女性で、びっくりしてしまいました。

庭園鑑賞なんて、おっさんおばさんの趣味だろう、と
思っていたのに意表を突かれた、という感じでした。
まぁ、実家の街にはの盆栽の産地もありますから
植木とか庭園について興味がある、という若い人も
いるのかなぁ、と考えをめぐらしたりしました。

ここがそのお家です。
Oogimachi

お家に到着して、なんだ、と思いました。
ここの家の前は、本当に数えられないくらい何千回、と通っている場所です。
なんたって3軒向こうのクーニング屋なんて
同級生の家だったりしますし、、。


左側が江戸時代(幕末) 右側が明治の増築部分です。
左側の連子窓が新しいのは、数年前に
車が飛び込んできて家が破壊されたために
修理をして、このようになってしまった、ということでした。


入り口ではご当主がお待ちくださっていました。
ごあいさつをして中にお邪魔させていただきます。

この庭は重森三玲が昭和31年(1956年)に
作庭した庭だそうです。


重森さんは岡山県の真ん中のあたり高梁近くの生まれ
のようですね。謙介、高梁は米子に抜ける道で
何度か行ったことがあります。豪渓っていう美しい
渓谷のあるところですね。

日本美術学校で日本画を学んだりして、本人は
画家の道を志していたようですが、他の人の
才能を見て、自分はダメだ、と思ったようです。その後
京都に移り住んだり、また岡山に戻ったりするのですが、
その中で日本庭園を実測調査しまとめる、という仕事を
するようになって、やがて庭園について本格的に
研究をするようになったようです。

昭和14年(1939年)、『日本庭園史図鑑』26巻を
上梓して庭園史研究の基礎を築いた後、昭和51年
(1976年)には息子の重森完途と共に
『日本庭園史大系』全33巻(別巻2巻)を完成
させています。

この人、元の名前は重森計夫だったのですが
ミレーに傾倒していたので、重森ミレーにしちゃった。
息子だって、重森完途(カント)ですからねぇ。

最近キラキラネームが、、って言いますけど、
森さん(鴎外)ところなんて、なんてたって、
ぐわんそキラキラネームじゃないですか?

明治時代に娘にアンヌ、マリーでしょ、
息子にルイにフランツでっせ。
重森さんのところも、ちょっと鴎外っぽい命名をしている感じです。
まぁそれはともかく。

今年はなんだか重森さんの庭見学が続いています。
9月の末に台風が来るとひやひやしながら行った
東福寺のこの庭が重森三玲の名を一躍有名にした庭です。


Higashiniwa3

この庭については、ご存知の方も多いのではないか、と
思います。

Kitaniwa1

ご当主のご母堂がお茶の先生をなさっていて
その方が、1955年ごろ重森さんに作庭をご依頼した、
ということだそうです。 そうして重森さんは
庭だけでなくて、その家の座敷、庭、茶室と
一体になったものをそこに作られたのです。

重森さんは人夫さん5人を連れて
この家に半年滞在して、庭を作庭していったのだそうです。
今では考えられないことですね。

だって、総工費はどれだけかかるのかわかんないんです。
で、重森さんと人夫さんが半年居て、
3度の食事を出す、晩にはお酒を出して宴会だってする。
重森さんへの謝礼、人夫さんの工賃、庭にかかった費用、、。
最後の最後になって、ご母堂のところに
請求書がきて「これだけかかりました」
ということになるわけです。そうしたら、それこそ(笑)
「承知しました。」って、さっとその額を支払う。


例えば下に襖の写真がありますが
その襖の引き戸金具だけで
1956年当時の金額で1個1万円かかっている、
そうなのです。
今のお金に換算したら、 さて、いくらかかったことやら、、。


まずお座敷に通されて、作庭の経緯、
庭の説明、現在の状況等、庭園の専門家と
この家のご当主からお話をいただきました。

なんたって、その話を伺っている座敷の襖だって
重森さんのデザインで、こんなのです。

Husuma1


Husuma2


この家そのものは、文化庁から
有形登録文化財に指定を受けているそうです。
「この表示板、文化庁の人がわざわざ持ってきて
くれたんや。裏に接着テープもついとって、
貼れるようになっとんやけど、貼ってないんやけどな。」
とはご当主の話。思わず、「ええんですか。そんなん。」
と突っ込みがはいります。
「さーあ。」(笑)

Noguchi1


この庭を見るために、イサムノグチも
よくここに来ていたのです、とご当主からお話が
ありました。
イサムノグチはこの街に仕事場(アトリエ)を
持っていましたから、気軽に来る、ということも
あったのでしょう。

ほら、ここ、とおっしゃったのは
謙介の座っている場所。

Hibachi
この写真の右はしがイサムノグチで、
彼がいた場所が、そこ、ということでした。
ご当主が今出している火鉢もそのときのまま。
あれまぁ。


なぜ、イサムノグチが庭を、ということなのですが
彼はユネスコ本部の日本庭園を作庭する委嘱を
受けたので、庭を見たい、ということあった、と
言われています。

実はそのユネスコ庭園の作庭については
最初重森さんに依頼が行った、らしいのですが
重森さん、飛行機に乗るのが絶対に嫌で、
それを断った、と、それでその委嘱が、
イサムノグチのところに行った、ということ
だったようです。
ただ、重森さんは実際に行きこそしなかったのですが
イサムノグチにその当時作庭中だったこの庭を
見せたり、他の参考になりそうな庭も見せたり
また作庭の折の素材となるような石やヒントを
さまざまに彼に与えた、という話でした。

さて。お座敷と縁側の間の戸が開けられて
庭が見えました。
こんな庭だったのです。

Niwa3


長くなりました。一旦ここでおきます。

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Comments

 いやいやいや・・・襖の柄もお庭の感じも,モダンでハッと目を惹いて,それでいて見ているとじわじわとあちこちから味わいが出てくるようなデザインですねえ・・・こういうの,好きです!!!

Posted by: Ikuno Hiroshi | 12. 11. 22 at 오후 10:27

---Ikuno Hiroshiさん 
さすがです。もう慧眼としかいえません。実は、このお座敷の手前にもうひとつ控えの間があって、それから座敷があって、庭、となっているのですが、それを重森さんすべてひとつながり、にしてあるんです。視覚的に襖をみながらその襖に導かれるように襖を開けて、庭へ、と、アプローチになっているんだそうで。謙介ときたら、今Ikunoさんに言われてあ、そうだった、そういう説明されていたなぁ、と思い出しましました。この襖、表具屋さんで、白い部分だけ張り替えてもらったそうです。どうしても白は年月がたつと薄汚れた感じになるので、そのためもあって変えた、ということでした。

Posted by: 謙介 | 12. 11. 22 at 오후 11:11

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