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12. 10. 04

われ、茶しばきに行けへんけ(その2)

今日も四国は暑いです。
こっちなんか、まだ日中ツクツクボウシが鳴いてますからね。
まだ濃厚に8月を引っ張っている状態。
来月は11月なんですけど、ね。

今回のおでかけのタイトル、
これにしてしまったので、なんだかなぁと思いつつも
このまま続けます。

なぜ四天王寺に行ったのか? ちょっと理由がありました。
天王寺の駅から、北に15分くらい歩いたら四天王寺の
入り口に着きます。
これが入り口。

Shitennouji1

え? そうなんです。お寺なのに鳥居があるんですよ。
上方落語をよく聴く、という方には天王寺の鳥居は
噺の中に結構出てくるので、
そう珍しいことでもないですよね。


それより前に。 

この四天王寺の門前に
前に「セメント菓子」というものを売っている店が
ありました。角にあったんです。
セメント菓子、、、その名前があまりに変わっていたので
今も覚えているのですが、、。
その角にあった店で、確かに俺の小さいときに
買ったセメント菓子のことを聞きました。
「昔、ここいらでセメント菓子、って言うのを買ってもらった
記憶があるんですけど、、。」と店の人に言ったら、
「ああ、そんなのありましたなぁ、、。」という話です。
「あれって、どんなお菓子だったんですか? 」
「あれ、お菓子とちゃいまっせ。」
「え、そしたら何ですのん? 」
「虫下しの薬ですわ。」
ああ、そうだったんだ、と思いました。
ぎょう虫とか回虫がおなかにいて、、そのおなかの中の
寄生虫を体外に出す薬だった、ということです。
居たのかなぁ、嫌だなぁ、、。

でも世の中にはダイエットの手段として、
おなかの中に寄生虫を飼う人が
いるとか。
あのオペラ歌手のマリア・カラスさんのおなかの中には
サナダムシがいたのは有名な話ですよね。
一時、あの人、すんごく太っていたのに、すーっと痩せたのは
食べる傍から、身体に栄養が行こうとするのをサナダムシが横取り
していたからだ、とか。 サナダムシダイエットですねぇ、、。
今はもうその「セメント菓子」は売っていない、ということです。

まぁその話はそれくらいにして、、四天王寺に話を戻します。

このお寺とこのあいだ行った法隆寺の2つは
聖徳太子が建てたお寺、と歴史的にはっきりとしています。
日本書紀の用明天皇2年にその記述があります。

かねてから対立していた崇仏派の蘇我氏と
排仏派の物部氏の間で、とうとうドンパチがはじまってしまいました。
蘇我氏の軍はは物部氏の本拠地だった河内国渋河
(今の東大阪の布施)へ攻め込んだのですが、
さすがの物部の反抗で、なかなか攻め入ることができませんでした。

そりゃそうです、って。物部氏って軍事を分掌とする
豪族だったんですから、並みの強さではないはずです。

「なんしにきたんじゃ、われ、ええこんじょうしとるやんけ。
さっさといにさらせ。ええかげんにせんかったら、
どたまかちわったるぞ、このぼけが。」

やっぱり東大阪で喧嘩、といえばこういう言い方になるでしょう。
穏健な標準語に訳してみますと、

(何をしにこられたのでしょうか。(わざわざやってくるとは)
あなた、なかなか図太い神経をお持ちですね。
早々にお引き取りくださいね。さもなければ、あなたの頭蓋骨を
割ってしまうことになりますよ。そこの暗愚なお方。)
と、物部さんが言ったかどうかは知りません。

そのとき14歳だった厩戸さんは、蘇我氏の軍の後方に
いたのですが、この戦況を見て、白膠木の木を伐って、
四天王の形を作り、「もしこの戦に勝利したなら、
必ず四天王を安置する寺塔(てら)を建てましょう。」という
祈りを捧げました。

その甲斐があったのでしょう。
蘇我軍の撃った矢が物部守屋に命中し、戦いは崇仏派の
蘇我氏の勝利となったのです。その6年後、推古天皇元年(593年)、
聖徳太子は摂津難波の荒陵(あらはか)で
この寺の建立をはじめたのでした。それがこの四天王寺です。


Shitennouji2

転法輪、と書いてありますが、これは、くるくる回るように
なっていて、回すとお経をあげたのと同じ功徳がある、
とされます。チベット仏教のマニ車と同じようなものですよね。

Maniguruma

このお寺、市街地にありますからねぇ、、しょっちゅう災禍に
遭っています。戦前まで江戸時代の建物があったのですが
台風やら戦災で倒壊したり、焼失してしまいました。
これが戦前の建物。(NDL=国立国会図書館 の電子資料から頂戴しました。)

Kyushitennouji

今の建物は戦後にできた鉄筋コンクリートの建築物です。

Shitennnoujigaran

四天王寺式の伽藍配置の建物の横を抜けて
東のほうに行きましょう。
ここまではあまり人が来ません。

Taishiden1


ここに何をしに来たのか、と言えば、写経です。(写真は、もう書きあがった段階)

Taishiden2

受付で用紙をいただいて、太子殿横のこの場所で写経をするわけです。
この辺で写経を受け付けてくれるのは、奈良の薬師寺が有名なのですが
この日は午後に友達と会わなければならないのでここで、ということになりました。
墨をすって、柔軟体操をして体をほぐしてから筆を執り
40分ほどで般若心経を書き上げました。

Oshakyo


終わってお経をこの太子殿にお納めすると、お寺でご祈祷をして供養を
してくださいます。 阿倍野のハルカスが天王寺の伽藍の向こうに
見えました。 
Taishiden3

今日はここまでにします。


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Comments

写経をなさるんですね。
書家ですからふつうのことなのかもしれませんが、僕の周りにはそういう方がいないのでとても不思議な感じです。
まぁ、神社に興味を持っている人もほとんどいませんが(苦笑)。

心を落ち着けて精神を統一し、一筆一筆を無になって写す。
といきたいところですが、僕は字を綺麗に書くことに意識がいってしまい、雑念・煩悩に支配されそうです(>_<)。
賞状書道を練習すればできるようになるのでしょうか。

お寺に鳥居というと神仏習合の名残なのかなぁ。
沖縄の神社の多くは隣に真言宗の寺院が建っています。
1600年代に真言宗が入ってきたとき琉球人に受け入れられず、現地信仰の自然崇拝・祖先崇拝に神社形式を導入し、それを管理・運営する形でお寺を建てた経緯があるからだそうです。
今でも仏教はあまり受け入れられてなく、基本的には典型的な葬式仏教です。

Posted by: タウリ | 12. 10. 05 at 오전 10:34

---タウリさん
写経、今、ひそかなブームらしいです。何も筆でなくても構わないのです。ボールペンとか、万年筆、家だったら、鉛筆でもいいのです。要は、きれいに書く、のではなくて、敬虔な気持ちになって心を落ち着けて、、というのが大切なことですから。何度も書いていたら、そのうちに心が落ち着いてきます。仏壇屋とか書道用品店、文房具屋に行ったら写経用紙を売っています。ものはためしで一度試みられてはいかがでしょうか。 
四天王寺のは神仏混交のなごりだと思います。というのか、日本の場合は、神宮寺といって、神社に付随してお寺はありましたから。

Posted by: 謙介 | 12. 10. 05 at 오후 5:06

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